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新潟〜群馬〜長野ひとり旅[5日目・群馬 横川 ー長野 軽井沢/碓氷峠/廃線ウォーク]2021年6月6日

横川のまちに汽笛は鳴り止まない

あっという間の5日目です。高崎駅から信州本線で約30分、終点の横川駅までやってきました。

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本日の目的地は軽井沢。

しかしご覧の通り横川ー軽井沢間は繋がってません。その昔ここには「碓氷線」という特別な鉄路がありました。しかし長野新幹線開業とともに1997年9月30日廃線。

今回はこの廃線跡を歩くツアー「廃線ウォーク」に参加します!

とにもかくにも心配なのは己の体力...

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11.2kmと距離だけ見るとそうでもないのですが問題なのは「難関」と言われた碓氷峠、その標高差は554m、待ったなしの登り坂なのであります。体力づくりしないとヤバいなぁ〜と思い思うだけで時は過ぎ、別の意味で仕上がったボディのまま参加する運びに...

トロッコに乗れば体力温存できるな〜という甘い考えは「点検中で動いてないんです〜」というガイドさんの言葉で打ち砕かれ、絶望。

参加者のシニアも「倒れるかも…」と肩を落としていた。実際のところ、何かあった時のためにスタッフが待機してくれるので安心なんだけど、こういうシニアが一番元気で最強だったりするんだよなぁ...という予想は後に現実となったわけですが。

グッズのゆるイラストとデザインがどストライクでエコバックと靴下を衝動買い!

ちなみにグッズを購入すると荷物を軽井沢まで運んでくれます、ありがたい!

鉄道文化むら

受付を済ませた後はスタート時刻まで鉄道文化むらを見学。

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当時活躍した機関車や旧型客車、貴重な資料がたくさん展示されております、楽しい!

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うわ!なんだこのマッドマックスのゴツいトラックみたいなやーつ!!ガンガンのメタメタにカッコいいじゃないか!!と思ったら、なんと関門トンネル専用に使われていた機関車でした。塩害を防ぐためにステンレス製だそうで、珍しいなぁ!

碓氷線

難関と呼ばれた横川ー軽井沢間は、66.7%c/パーミル(1kmで66.7m登る)という急勾配を攻略するために...

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ノコギリみたいなレールに歯車を絡ませて登り降りするアプト式をドイツから持ってきたり、

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いち早く電化されて専用の機関車が作られたりと、時代と共に最先端の技術を取り入れ姿を変えながら日本の流通を支えた貴重な路線なんですね。

この専用機関車を2両(時には3両)連結させて普通列車や特急を支える方式はここだけ。

当時は鉄道ファンにもかなりの人気で、流石に最終日はどエライ事になってますね。こういう映像は胸が熱くなりますよ。

廃線ウォークスタート

私の拙い説明はこのくらいにして、11:00 廃線ウォークスタート!

メンバーは先程の結局最強シニア、ハイキングガチ勢ファミリー、鉄道ガチ勢グループ、おひとりBBA(私)の、総勢10名ほど。

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ガイドさんが当時のエピソードを交えながら案内してくれます。

流通の重要な拠点だった横川駅、当時は鉄道の街として、とても賑わっていたそうです。物資を運ぶために作られた路、そこに人が集まり、街ができていく。...本来はそれが自然だよなぁ、とふと考える。今ではキレイに作られた街が先にあって、そんなキラキラした所に人が集まるように思えていて忘れがちだけど。そんな当たり前の事を、かつて栄えた横川の街に思いを馳せながら考えていると、心の奥の方がじんわりと暖かくなった。

いやいやしかし、暑い。梅雨真っ只中の6月上旬。直前に降った雨のせいで不快指数はMAXです。まだ序盤も序盤なのに先が思いやられます。

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分かります?この傾斜。この見た目にも分かる大変にエグい角度を、たった2両の機関車で8両もの列車を支えて走ってたのかと思うと、機関士さんたちの緊張感は相当だったでしょうね。もしブレーキが壊れて暴走してしまったら、鉄の塊が転がり落ちてしまう...考えただけで恐ろしい。

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国の重要文化財である丸山変電所を通過します。

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振り返ると文化むらがもうあんな遠くに。坂道を登ってきた実感が湧きます。

峠の湯

12:10  峠の湯に到着、お昼休憩です。

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おぎのや名物、峠の釜めしをいただきます。しっかり目の甘辛い味付けが疲れた身体に染みる!しかも釜は横川駅オリジナルカラー!廃線ウォークオリジナルパッケージ!!

絶対持って帰ってやる...!!!

と、小脇に抱えて持ち帰ったのですが、みんなさくっと返却してました、何でや!!「持って帰って欲しいんですけどねぇ」とガイドさんは残念そうに言ってましたが確かにかさばるし...。ちなみに帰宅後、米を炊いたら一発でヒビが入り即死(号泣)、うずまき線香入れとして第二の釜生を謳歌中です。

いよいよ廃線エリアへ

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さぁ、午後からはついにディープゾーンへ!!!堂々と立ち入って参りますよ。

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トンネルの中はひんやりとしていて気持ち良かったです。

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コンクリート製の枕木。レールを支えるため、この路線のためだけに製造されたものだそうです。

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廃線から24年も経過しているとは思えない...今にも列車が走ってきそう。

しかしこれは観光協会の皆さんが管理して下さるお陰でして、放っておくとすぐ雑草で覆われるので草刈りが大変だそうです。この貴重な碓氷線を後世に残そうという姿勢には頭が下がります...。ちなみに「キレイに刈りすぎると廃線感が出ないのでちょっと残すのがミソ」らしい。すげぇ意識高いwwww

新・碓氷川橋梁

長い長い2号トンネルを抜けると眩しいほどの緑が飛び込んできます!

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新・碓氷川橋梁に出ました。気持ち良い風が吹き抜けて素晴らしい景色が広がります!

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遠くに見えるレンガ調の橋は旧線、めがね橋です。あちらは整備されていて遊歩道になっているのでチラホラと人が。

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谷底をバックにガイドさんに撮ってもらったお。お見苦しくてごめんなさいね。

更に長いトンネルを抜け、ようやく中間地点である熊ノ平駅へ到達。

その手前でガイドさんたちによる粋な計らい、発電機を使い当時の信号を復活させる点灯式を行います。沈黙を経て灯される信号機...素晴らしい演出です。

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トンネル内にも光が灯ります。感動ものです。

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更にプロジェクターで「機関士たちの記憶と記録」というショートフィルムを鑑賞。

YouTubeに公開されている映像は短編verなのですが、これだけでも目頭が熱くなる(涙)

横川で激動の時代を生きた機関士さんたちのインタビューがメインなのですが、とても丁寧に作られてて、当時の事や廃線時の想いなど、胸に迫るものがありました。

鉄道に限らず時代の流れの中で廃れていくものは沢山あります。活気ある時代には戻ることはないけど、そこに居た人たちの想いは確かに生きていて、心を寄せることはできる。切なさで胸が苦しくなるけど、その気持ちはとても尊くて大切にしたいなと思いました。

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しんみりと観賞した後は熊ノ平で休憩。あともう少しだ...!

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しかしゴールを意識した途端に体力の限界気力がなくなってきました。

あと少し、あと少し...枕木を一歩ずつ踏みしめます。

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最後のトンネル内で県境を越え、ようやく長野県入り。さよならグンマー!

そして...

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ついにゴール!!!!とてつもない達成感と疲労感に満ち満ちております!骨盤が崩れそう!!

新幹線ならシュッと行けるこの時代に、1日かけて歴史を全身に感じながら自分の足で踏破するロマン、大変心が潤う良い経験になりました。

軽井沢

疲れた!とりあえず何か食べる!!絶対肉食べるマンだから!!と、駅前の目についたお店で腹ごしらえ。

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なんだったっけコレ、とにかく長野の肉のやつです、うまー!!!!

と、ガツガツ貪り、お腹を満たしたところで気付いたのですが、明らかに雰囲気が違うのです。周りの人がなんか上品な洋装の人ばっかり...

そう、ここは富裕層のまち軽井沢。峠越えを果たした満身創痍ボロボロBBAは完全にお呼びでないのである...!!!あぁ浮いてるな!めちゃめちゃ浮いてるな!さっさと宿に行きましょう。

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今日の宿は、軽井沢っぽいとこが良かったので、いかにも度高めのこちらのペンション、素敵〜!

若いオーナーさんが迎えてくれました。「軽井沢観光されてきたんですか?」と聞かれたので「あ...こんな汚らしい格好ですいません、ちょっと峠を越えてきたもので」と自虐的に廃線ウォークの話をすると、「ええーっ、あそこそんなのやってるの?!知らなかった!僕廃線巡りとか大好きなんですよ」と、めっちゃ食いついてくれてちょっと安心(?)しました。こんな偶然ってあるのね。

明日の予定を聞かれたので、帰るだけだと答えたら「えっ...ここまできて草軽鉄道の廃線跡行かないんですか??」と信じられないという顔で言われた。

草軽鉄道って何...?

というわけで明日へ続きます。

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