地域に押し込められる苦痛。
「町おこし」という苦痛
「町おこし」とか「地域振興」って苦痛。
なぜかとってもキツイ。仕事でどうしてもそういうのをテーマに課されるんだが、通り一辺倒で本当につまらない。ショッピングセンター,カフェ,イベント…。そんな意見ばっかりだし、成功した街の真似をしようとしたりで。人口の奪い合いしてるだけの移住招致。おいおい、そこに住んだら子どもはどこの高校に通うのか?進学校に通うんなら、一人暮らしか食事付きパンション探すしか無いんだよ。コミュニティ万歳の地域教を布教されてもなぁ。みんな同じ考えじゃ無いんだよね。自分が良いと思ったからと言って,みんながそうとは限らない。地元出た出たいって思ってる子どもたちに,強制的に「町おこしプロジェクト」を考えさせたり参加させるのは苦行でしか無いよなぁ。結局,自分たちが仕事として食べていくための一過性の町おこしであって、SDGsってもんじゃ無いんだよね。
「持続可能であるためには」
個人的には,小さな町や村はどんどん物理的に一緒になるしか無いと思っている。つまり棄村アリだと思っている。そうやって規模縮小していかなければ成り立たない。地方自治体の予算だって限界がある。技術の限界もある。リモートで医療や介護の全てが補える訳ではない。歴史や文化,思い出もあるが、それらは生きる支えであっても,実際に生活し生きていくこととは分けて考えないといけない。いち早く割り切ってそうやっていったところしか生き残れ無いと思っている。
ここは実際雪国で。それでも雪はまだ少ない方だけど。それですら「一生ここに1人で住むのは厳しい」と思ってる。数百メートル内に某大型ショッピングセンターもスーパーもコンビニも、ある程度の病院も、高齢者福祉施設もあるのにそう思う。子どもに「私たちの面倒を見て」とは言わないし。おそらく地元には戻ってこないだろう。そう育ててきたから。それは子どもに地域と親という枷をつけないできたからで。持続可能が親子の扶養義務の上に成り立っていんだろうか?郷土愛植え付けることって親子の扶養義務を成り立たせるのに便利だよね。そう考えると,子どもたちに郷土愛を育ませるっていうのって洗脳なんじゃ無いだろうか?とも思ってしまう。
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