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休日への期待が高すぎる。

休日が大好きすぎて…

土日休みの仕事についている。土日は完全休み。
休日が大好きだ。
大好きだからこそ、自分の中の、休日への期待度が高すぎる。
そして、日曜日の夕方になると、「思ったより全然、なにもできなかった…」と落ち込んでしまう。

思考パターン

最近「あたまをつかう習慣がない」と気がついた。
決して卑下する意味合いじゃない。
改善策を考えずに、無理やり自分の中に押し込める思考パターンが習慣化していて、改善策や理由探しに頭を使っていないという意味の、「頭を使う習慣がない」。
たとえば、
嫌なことがあったとき、自動的に「運が悪い」「なにもかもうまくいかないから、消えたい」と思う。
何かできないことがあったとき、解決策に考えが及ばずに「わたしなんて、この程度の人間だから」と思う。

こんな風に、現状をなに一つ変えずに、自分を納得させる術を身につけてしまっていることに気がついた。

いちばん慣れ親しんだ方法で、頭も使わず楽だけれど、見えないところで身を削る方法だ。

どうしたらいい??

自分なりに理由を探して、対策を考えてみた。

理由として考えられるのが、

① セルフコンパッションの低さ
セルフコンパッションとは、
「あるがままの自分を受け容れ、自分を思いやる力」だそうだ。


いまはまだ、かなり意識していないと「自分を思いやる」のが難しい。苦手だ。ましてや、「あるがままの自分を受け容れ」はもっと苦手。
「~すれば、もっといいかも」と条件付きの理想を掲げる方が、無意識だけど、自分にとって楽なのだと思う。
ただ、その条件付きの理想が、客観的な自己理解に基づいてないので、結局できなくて落ち込む。

② 自己否定のクセ
自己理解にもとづかない理想を掲げて、自分の体力や気力(遂行力)がついてこない。
それでも、うまく行かない時点で気づいて、計画の見直しに取り掛かれたらいいのだけど、そうもいかない。

無意識の「自己否定のクセ」が発動するからだ。
「せっかくの土日だったのに、何もできなかった…」と自分を責める気持ちが止まらなくなる。
責めるのに頭のリソースも、体力も使うので、余計に何もできなくなる。

いままでの状態を抜け出して新しい習慣を作る時、それを邪魔する“コンフォートゾーン”と“ホメオスタシス”を用いた考え方があるらしい。

コンフォートゾーンとは、
「それを好んでいるのか否かに関わらず、無意識で居心地がいいと感じる場所」らしい。

この原理でいくと、たぶんわたしのコンフォートゾーンは、いままで20年以上続けてきた「自己否定をする方法」になるのだと思う。

細かく目標設定すれば落ち込まないとか、できることから順番にとか頭では理解している。めちゃくちゃわかってる。
それでも、自己否定のクセが、なによりも早く、自動的に、無意識に、発動する。
① のセルフコンパッションの低さについても、コンフォートゾーンなのかな、と思う。

変化って難しい。

「20年間続けてきたパターンは、すぐには変わらない」に尽きる。

でも、ひとつだけ嬉しいことがある。
それは
「気がついたこと」
「解っていること」

「知らないことは選べない」という言葉が好きだ。

もちろん、知らない方が幸せだよね…と辛くなることもあるけど、知っていたいと思う。
知ることで、選べるようになりたい。

だから、「こういう考え方してるな~」「これはきっとコンフォートゾーンだな~」と、わかってるから大丈夫!と自分をほめたい。
褒めながら、少しずつコンフォートゾーンを抜け出していきたい。

余談
家庭や学校、会社で、不適切なかかわりをされてきた人はきっと、コンフォートゾーンが狭くなるんじゃないかなと思う。
実際、親からの仕打ちや、いじめ、パワハラなんかも、最初からそんなことされると思って、その場にいた人はいない。
最初は大丈夫かもと思っていた世界が、いきなりひっくり返って苦痛でいっぱいになる経験をしたのだから、狭くなって当然なのかも。
良いか悪いかを別にして、コンフォートゾーンにこもっているのが、一番心は平穏だろうし。籠らざるを得ないくらい、追い込まれたのが、強迫性障害みたいな、正解にルールを課す衝動なのかもしれない。

当面の解決策

ひとまず、「休日の成果を考えない」に挑戦している。
どうやって抜け出すか、まだ答えは分からない。

少しずつ探して、書いてみたい。

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もっちゃり
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