【書く習慣チャレンジ】創作のモチベが不純。
書く習慣チャレンジNo7
テーマ:最近悩んでいること。
最近悩んでいること。
それはコンテンツを作るにあたって、そもそもの動機が不純で伝える力がないこと。
まずは、そもそもの不純な動機から話そうと思う。
何かを作り出せば、悩むことに時間を使わずに済むから。
この頃分かってきた、私の1番元気な生き方。
「やりたいことをバリバリやりつつ、8時間寝る」
これに尽きる。
やりたいことがないと、悩むことや将来への不安をこねくり回すのに時間を使ってしまう。
だから、私は何かを作り出したい。得意かどうかは別にして、なにかを作っていれば、時間をより良く使っている感じがするから。
きっとこう思っているのは、私だけじゃないと思う。
生きづらさを抱えている=自己肯定感が低いってこと。
自己肯定感が低い人の中でも、多動気味、繊細で小さなことが気になる、考え込みやすい、そんな傾向を持ち合わせている人は多い。
「何もしていない方が悩む」に思い至るところがあるんじゃないかと思う。
あなただけじゃない。私だけじゃない。
だからこそ、ゆっくり休養するだけじゃない方法を編み出して、伝えたい。
突然ですが、「ぼーっとできますか????」
「ぼーっとする」。これは、1つの才能と言っても過言じゃないと思う。
一緒に暮らしている夫は、時々ソファーでぼーっとしている。隣に座っていても、「今なにも考えてないな」と分かる表情でただ座っている。漫画だったら、口から魂が出てそうなお顔。
私は、夫のように、ぼーっとできない。「なにもしない」「なにも考えない」ができない。
これまでの人生で、ぼーっとした感覚を味わったのは数えるくらいだ。
強いて言えば、私には一ヶ所だけぼーっとできる場所があった。
山陰の山の中。村の外れにある、バイパス沿いの祖母の家。その近くに小さな橋があった。橋の横にある階段を降りると、小川が流れていた。舗装されたコンクリートに座ると、川の流れる音があたりに反響して、大きく聞こえた。この空間には川が流れる音しかない。取り残されたような、特別な空間だった。ただ座って川の流れる音を聞いていると、ぼーっとできた。その場所では、スマホも、本も、ギターも、友達もいらなかった。
こんな、ぼーっとできた場所をはっきり覚えているほどに、私はぼーっとすることができない人間だ。
何も考えずに、落ち込まずにゆっくりする。それが1番だけど、できない。
ぼーっとできない以上、常に動き回る意識を何に向けるかがとても大事。
マイナスに向かった瞬間に、ノンストップネガティブモンスターが出来上がる。
ノンストップネガティブモンスター。高校からつい最近まで、私はまさにこれだった。
とにかく思考が止まらないから、暇さえあれば悩み続ける。悩むための思考力が育ってしまったのか、いくらでも派生できた。
例えば、隣のデスクで言い合いをしているとき。大きな声や語気の強さにしんどくなる。それだけで済まず、言い合いをしている人の背景を考えて、「みんな辛いんだな」「なんで、こんなに辛いことが多い世の中なんだろう」と主語が大きくなって、止まらなかった。
悩んで悩んで、20代の後半を迎えたある日。
「悩むの飽きた」
こうして、悩むのに飽きた私は、方向転換を図った。
その方向転換の先が、病まない生き方探しと、コンテンツ作り。
とにかく本を読みまくり、健やかな生き方を試す。
noteを書き、ライティングの勉強をし、ブログやSNSで発信する。
悩むことを止めるには、この方法はとても良かった。
とにかく、脳みその容量をやることや情報で埋める。頭は疲れるけど、結局悩むのも疲れるので、一緒だと思ってインプット多めにする。
ゆっくりしても、悩んで一日が過ぎちゃう!ってお困りの方は試しにやってみて欲しい。私は田舎民だから行く所がないけれど、行く所がある方は美術館や博物館などのインプットできる施設も良い。
つまり、私のそもそもの動機とは、悩まないために、作る。振り返ったり、落ち込んだときに見返すためにも、作る。
「自分が作りたい。」それだけじゃ、良いものはできない。
今1番の課題が、「悩まないため」と「良いコンテンツ作り」の両立。
そもそもの動機が、自分が悩まないためだから、たくさん書くことはできる。
でも、どうせやるなら良いものを作りたい。
過去の自分が知らなくて苦労したことを、もっと早く、苦しみが浅いうちに知ってもらえるように伝えたい。
そんな欲が出てきた。
良いコンテンツ作りは、「私が書かないと悩んじゃうんで、書かせてもらいます〜」だけじゃダメ。
学べば学ぶほど、「どんな人に届けたい?」「何を伝えたい?」が大事と分かってきた。
評価されていくためには、他者視点が必須。最初の不純な動機だけでは、そこに手が届かないのだ。でも、伝えたい。だから、今ある動機に重ねてもう一つ必要な気がしている。
その先の動機を作りたいのよ
その先に必要な動機を探して、概念的なクリエイティブの本や動画を漁りまくっている。概念的な本や動画とは、すぐ役に立つTipsじゃなくて「どんな心持ちで臨むべきなのか」が書いてあるもの。
その中で、やっと細い糸を掴んだ気がした考え方がある。
それがこちらのイベントの最後、質疑応答コーナーでのお話。
大体1:11:19頃からの質問に対する、1:11:42からの古賀史建さんのお答え。
「分からないことは書いてはいけない」
「分かったらそこで立ち止まって、分かるまでを振り返る
「これがあったから、分かった」「こういう風に言われたら、もっと早く分かった」と思えるものや分かりにくかったポイントを探す
読者にとって1番親切な理解の階段を作っていく
これを聞いたとき、やっと自分ごとにして考えられた。今書こうとしていることを、初めて当てはめて考えて、しっくりきた。
私が作りたいと思っているのは、「生きづらさは変えられる」を伝えるコンテンツ。
「なんでこんなに自分だけしんどいんだろう?」
「このしんどさがずっと続くの?」
そう思った人が、いきなりポジティブ!!!じゃなくて、「どん底に落ちない」「落ちてもそのうち浮上する」くらいから、楽な生き方を手に入れていけるような情報を伝えたい。
悩み飽きて、どうにかしよう!と思うまで、本当に苦しいのが当たり前だった。
どうにかしよう!と思っても、取り組みやすいものを見つけるのに時間がかかった。ポジティブ!と言われると、「まだちょっと無理だわ…」と引いてしまった。薬を飲むレベルではないと言われ、カウンセリングを受けたけれど、実際の生活の相談はできなかった。
もっと、毎日の生活をどうにかする方法を知りたかった。
何もやる気が起きなくて、自己嫌悪してしまう日に、どうすれば良いのか。
こうすれば良いと分かっていても、できないときにどうすれば良いのか。
そんなことを教えてくれるものを探すのにすごく時間がかかった。
だから、私はそれをひとまとめにしたい。私のnote、ブログ、SNSを見れば、自然と情報収集ができる、そんな存在になりたい。
古賀史健さんが言うところの「分かっていること」。
私にとっては、「生きづらさは変えられる」ってこと。
この結論にたどり着くために、1番親切な理解の階段を作りたい。
そのためにも、今の不純な動機だけじゃなくて、「こんな人にこういうものを伝えたい」をきちんと構成する力が欲しい。
生きづらさを抱える人にとって、コンテンツは味方だと思う。
「今日はムリ」。そんな日には、本なんて読めない。でもスマホは見続けてしまう。Twitterは開ける。
働き方としても、クリエイティブな仕事は味方になってくれると思う。集団でガツガツ働くときには、苦しさの種になってしまう繊細さや真面目さが活かせる分野がある。家に居ながらでも、働けるものもある。
受け取る側にとって味方になるコンテンツ作りも、発信する側になるための道のりも、どちらも発信できる人になりたい。
なんか最後は、意思表示!みたいになってしまったけど、とにかく伝える力がないことに悩んでいる。
周りを見渡せば、人の役に立ちたい!良いものを伝えたい!と相手のためにクリエイティブになれる人がたくさんいる。横目で眺めては、「自分のことで精一杯だったから、そんな動機持ち合わせてないよ…」と凹む。
凹む度、「もう自己満だけで居られれば楽なのかな」と思うこともある。
でも、今更持てるようになった「誰かのために伝えたい」って気持ちは大事にしたい。
「自分のために作る」と「誰かに届ける」を両立できる日を夢見て。
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