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#006 シンガポールの貧困高齢者に思うこと

こんにちは。社会科コンテンツクリエイターのモチオカです。

このnoteは、世の中、日本や世界をテーマに、私が面白いと思ったことや疑問に思ったことについて話すnoteです。

今日は「シンガポールの路上でポケットティッシュを売っている高齢者」についてお話ししたいと思います。

2022年、2年前にシンガポールに旅行したときのことです。旅行の2日目に地下鉄の駅に向かって歩いていたところ、肌が浅黒い高齢者の方が道端に座り、ポケットティッシュを無言で差し出して売っている姿を見かけました。おそらくまとめ買いしたティッシュを3個ほど持って、通り過ぎる人に「買ってください」と無言で訴えている感じでした。

その光景を見て、私はとても驚きました。というのも、シンガポールに対して、勝手に「キラキラした先進国」というイメージを持っていたからです。そんなシンガポールにも、こうした一面があるのかと衝撃を受けました。その後も、同じようにポケットティッシュを売っている高齢者を2~3人見かけ、ますます疑問が膨らみました。

なぜシンガポールでこのような現象が起きているのでしょうか?

調べたところ、シンガポールの社会保障制度がこの背景にあることがわかりました。シンガポールでは、社会保障があまり充実しておらず、基本的には「自助」、つまり自分の生活は自分でなんとかするという考え方が根本にあります。

老後の生活費も、自分で積み立てた貯金から賄う仕組みです。この制度は「中央積立基金」と呼ばれ、労働者と雇用主が強制的にお金を出し合って貯蓄し、それを老後の生活費として使うものです。日本のように政府が年金を支給する形とは異なり、自分の蓄えで老後を過ごすことが求められます。

さらに、シンガポールでは「子どもが親の面倒をみるべき」という価値観も根強く残っています。そのため、政府からの高齢者に対する支援は最小限にとどまっており、子どもがいない場合や子どもも生活が苦しい場合、高齢者は自力で何とかしなければならない状況に陥ります。また、英語が公用語ですが、英語教育が広まったのは1970年代以降なので、高齢者は英語教育を受けていない世代も多く、十分な仕事に就くことが難しい場合も多いです。

結果として、路上でポケットティッシュを売るしかない高齢者が出てきているのです。このポケットティッシュは、スーパーでまとめ買いしたものを3つセットにして売っているようですが、まとめ買いしたときの値段より少し高く売っています。それでも、多くの人が買ってくれるようです。

こうした事情を知り、私は「社会保障制度をもっと充実させるべきではないか」と感じました。社会的弱者を支える仕組みが整っている国こそ、真の先進国だと思うからです。

でも、逆に考えると、この高齢者の路上でのティッシュ売りには、実は意義があるのかもしれないとも感じました。

自助努力の姿が見えることで、周りの人が助け合う空気が生まれるのではないかと感じたからです。シンガポールでは、実際に高齢者からティッシュを買ってあげる人が多いそうです。必要なくてもティッシュを買い、2つは返して1つだけもらう、まるで施しのような行動です。

日本では社会保障が充実しているため、同じように高齢者がティッシュを売っていても、「政府がなんとかするべきだ」と思う人が多いでしょう。私も、もし日本でそのような光景を見たら、同じように「政府が対応すべきだ」と思ってしまうかもしれません。

こう考えると、自助の努力をする、そういうかわいそうな存在が社会の中で見えるからこそ、 お互い助け合う空気ができてくるのかなって思えました。実はこの高齢者の路上でのティッシュ売りには意義があるのかもしれないな、と。

社会保障制度は必要ですが、人々の自発的な助け合いの精神も大切です。仕組みに頼りすぎると、その精神が失われる恐れがあります。

とはいえ、社会保障が整っていないと、本当に支援が必要な人に手が届かないという問題もあります。このバランスが難しいところで、まだ自分の中でも答えが出ていませんが、弱者を支える仕組みと、自発的な助け合いが両立する社会が理想なのかもしれません。

今日は、シンガポールの路上でポケットティッシュを売る高齢者を見た体験をもとに、社会保障制度について考えたことをお話ししました。皆さんはどう思いますか?ぜひご意見を聞かせてください。


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