仲直りのしかた
出会った時から夫はあまり多くを語る人ではなかった。夫はああだこうだ言われることが嫌いで、同じくらい誰かにああだこうだ言うことを嫌う。ご飯屋さんに行くと注文したメニューと違うものがよく届くという謎の不運さを持っているが、そんな時でも激昂することはない。あぁ間違わはったんやなぁと言ってそのまま食べ進め、最後あぁ美味しかった!と笑っている。どう考えてもあちらのミスだと言う時でさえ、それを指摘することは少ない。わたしはそういう場面でどうしても黙っていられない質なので、え?ほんまにそれでええの?わたし店員さん呼ぼか?とつい夫にしつこく確認してしまう。しかし、ほんまにそれでいいらしい。なんでやねん。茶色いほうじ茶ケーキ頼んでんのに真緑の抹茶ケーキが運ばれてきて黙ってられるってなんでやねん。
ああだこうだ言わないのは、人間以外の生き物にもそうだ。マンションの三階にある我が家は、暖かくなってくると虫がよく侵入してくる。それを夫に報告すると絶望した目をしながらも、殺すのは可哀想やしなと覚悟を決めて、じりじり近付く。戦闘力3くらいのクイックルワイパーともはや戦力外のうっっっすいティッシュペーパーをつかんで、ギャアギャア叫びながら戦うのだ。そして生かして逃がす。夫は虫が苦手だけど、入ってきた虫の意思すらも尊重したいらしい。
わたしの親友はそんな夫のことを凪のような人だと言った。それはとてもしっくりくる表現で、その日から夫が静かに佇んでいる姿を見ると、ああ今日も凪ってんなと思うようになった。今も夫は自室で扇子を片手に本を読み、静かに一人で凪っている。
だからか古くからわたしたちを知る人達には、二人って喧嘩とかするん?とよく聞かれる。それも、喧嘩なんてしないよね?の意が込められたような口調で。だから正直にめっちゃするで!と答えると、え?なんで?どんなことで?まず○○君って怒ったりするん?と質問がぽんぽん投げられる。大学生の頃に出会った時にはすでに夫は凪っていたから、その反応は当然だ。
夫は本当に怒らない。ロボットではないので勿論怒ることはあるし、ある程度の愚痴も言う。ただ少なくともわたしには全くと言っていいほど怒らない。夫が風呂上がりに飲もうと用意していたキンッキンに冷えた麦茶を飲んでも、夫から借りた本をソファに置きっぱなしにしても、休みの日に好きな時間まで寝ていても、身支度に長く時間をかけても、全く怒らない。わたしならギャーギャー言ってしまいそうなことでも、まぁちょっといつもと違う風が通り過ぎただけだよねみたいな涼しい顔で、好きな音楽を流しながら本を片手に、ほらまた凪っている。
十中八九、喧嘩はわたしから始まるということは言うまでもない。
先週、夫と大喧嘩をした。理由はもうよく覚えていないけど出勤前に喧嘩をしたので、毎朝ドア前でする行ってらっしゃいの時間がほぼ無かったことは覚えている。喧嘩の真っ最中に行ってらっしゃいなんてしてやるもんか!と思いながら、仏頂面で外に出た。と言うのもわたしは誰かを見送る時、もしこの人が事故に遭って会えるのがこれで最後だとしたら…と考える癖があるからだ。そんな最悪の結末をいつも想像してしまう。しかしあの日夫はドア前に立っているわたしをチラリとも見てこなかった。だから、一切こっち見〜ひんねんな〜〜!!!?あ〜〜っそ〜〜!!!とかなんとか言ってすぐにバタンと家の中に入ってやった。まぁそんな日もある。
たまにどうやって仲直りしたら良いのか分からないときがある。なかなか会う時間が無かった学生の頃は、時間をロスしたくないという焦りから急いで謝り、形式上は仲直りしています(けど内心はもやもや)ということがしばしばあった。仲直りする正攻法は、謝ることだ。しかし口先だけで謝ることと、ちゃんと心で謝ることの間にはとてつもない差がある。家族になり、毎日必ず顔を合わせるようになった。学生時代と比べると一緒に過ごす時間は倍どころじゃないくらいに増え、心をちゃんと向かい合わせる余裕も生まれた。しかしわたしはあまり素直な人間ではない。実はもう心の中ではそんなに怒っていないのにわざと素っ気ない態度をとって、無駄に事態が悪化することがしばしばある。そして大きく後悔をする。
先週の大喧嘩がまさにそうだった。朝威勢よくドアを閉めたものの、一日中ずっともやもやしていた。時間が解決するとはよく言ったもので、お互い離れてそれぞれの時間を過ごすことで、冷静さを取り戻せることは多々ある。もうすっかり熱は冷めたけれど、さてどうやって謝ろう。連絡を待ってみるか?そろそろ連絡してみる?でもなぁ、なんて考えていたら気付けばもう夕方で、わたしは軽く脳疲労を起こしていた。
その時夫から電話がかかってきた。ワンコールで出るのはなんか悔しいからと少し泳がせて(こういうのが良くないことは分かっている)から出てみた。後ろから夕方のスーパーの賑わいが聞こえてくる。「あの、今日、なんか食べたいものとかあったりする?」あまりにもたどたどしく聞いてくるので、つい笑ってしまった。「今日何が食べたい?」だと食べたいものがある可能性しか想定していないが、「食べたいものとかあったりする?」だと食べたいものは無いという可能性も考慮されていて、これはかなり腰が低い聞き方だ。わたしが笑うと夫はえ?え?と少し動揺していて、さらに笑けてきた。「そのお店の中で、いっっちばん美味しそうなやつが食べたい!!!」と返すとようやく夫も笑って、「わかった!」と明るい声が返ってきた。そうやってあの日夫はわたしとの仲直りを成功させたのだった。本音の部分のごめんねをわざわざ言わなくても、気持ちは十分に伝わった。仕事終わりに混んでいるスーパーにわざわざ立ち寄って、重いリュックを背負いながら、わたしの食べたいものは何かと考えてくれた。オブラートに包んで言っても、それはたしかに愛でしょう。
わたしの夫は、凪のような人。わたしははじめ怒らない人だと言ったけれど、そうではない。大きな声で怒って、素直に謝らないわたしは、いつも夫に甘えている。夫は静かに穏やかに笑いながら、そんなわたしの甘えを受け入れて、許してくれる人だったのだ。
その日の夕飯は、好きな色だけ並べた絵の具のパレットみたいだった。わたしの大好きな桃色のえび、赤黄緑とわたし好みのカラフルな野菜がもりもり乗ったサラダ、夫の大好きな橙色のサーモンのお寿司などなど。夫が選んだそのお店で一番美味しそうなものたちを食べながら、いつも通りのわたしたちに直っていった。