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順番待ちのお話

こんにちは。志摩りすです。

今日仕事中に考えていたことをここに置いていきます。

日本人って「順番」って言葉に弱いんじゃないか、でもなんでだ?ってお話です。

横柄な客

僕は今窓口関係の仕事をしている。

そこに今日、割り込みしてくる横柄な客が来た。他の順番待ちをしているお客さん達は、じっと彼をみている。ところがその客はそれを意にも介さずカウンターにいる僕に向かって話し始めた。語気が強く、いかにもな雰囲気を醸し出すその客。

僕は彼に向かって一言、「順番にご案内しています」とだけ言った。

すると驚いたことにその客は黙って順番待ちの中に消えていったのだ。僕自身、彼が文句をいってきたり「簡単な質問だから」とごねてきたりするものだと思っていたため、まさに晴天の霹靂といった感じであった。

思い返せば、1日に一人は横柄な態度をとる客がやってくる。しかし彼らは、必ずといっていいほど「順番待ち」という言葉に従い、先客に場所を開けていたのだ。

(失礼ではあるが)僕の職場にやってくるお客さんの質が高いからだとかそういった理由だとは思えなかった。もっとこう何か、他の何らかの力や行動規範に従って彼らは順番を守ったかのように僕には思えたのだ。

行動を強制するような『力』

僕はそこに「文化」の力が働いたのではないかと考えた。

順番を守らないことは、社会の規範を破ることだ。規範を破ることは、日本社会における”普通”の振れ幅を超えた行動をするということだ。すなわち「浮いた」行動。浮いた行動をとる人間は、もちろんそのコミュニティではマイノリティ。

マイノリティに同調圧力をかけたり、あるいは、マイノリティを”反逆者”として弾圧することにより「全体の幸福度」を上げていくような社会を”ムラ社会”と呼ぶのだとすれば、「村八分」という風習、戦時中の社会などを鑑みても日本では古来よりこの”ムラ社会”的文化が連綿と現在まで続いてきているように思える。

あの時の窓口がひとつの小さな日本社会だとしたら、カウンター前にやってきたあの横柄な客はあの瞬間まさに「マイノリティ」であったのだ。

彼はきっと、僕が発した「順番」という言葉をきっかけに自らがこの場における”浮いた存在”であることに気付いたのだろう。そう、気づいたのだ。自分がその社会を構成する一人であり、自分がまさに今マイノリティと化しているということに。そこには慈悲はなく、救いの手もない。そうなってしまえばもとより従う他はないのである。

あの横柄な客は、「文化」という大きな力によって待機列の中に消えていったのだ。

要約すると

まぁつまり何が言いたかったかというと、日本では全体の調和や多数派と同調した行動を是とする風潮が現代までずーっと続いていて(仮定)、それが「順番待ち」という現代社会のほんのミクロな場所でも表出したのかもしれないね、それの”力”のせいでヤバイ客がしゅーーっと消えてったんじゃないのかな(適当)、と思ったって話。

おしまい。


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