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16年寝かせた伊藤計劃を読んだ

風邪を拗らせたのとアレルギーが合わさって、咳が止まらなくなってしまった。咳き込んでしまってろくに眠れず、普段使わない筋肉が緊張しているのでお腹や背中も筋肉痛で怠い。内科に行ったら咳止めとアレルギー薬と抗生物質と総合感冒薬と去痰剤が出た。あまり病院に行くことがないのでよく知らなかったが、まずは考えうるあらゆる原因の薬を出して、どれかが効くことを期待するというのが一般的な治し方なのかな。2日間薬を飲み続け、咳はずいぶん落ち着いてきた。どれかが効いている。

伊藤計劃「虐殺器官」を読んだ。発売当時に買った記憶があったけど、読んだ記憶がない。16年の積読を経て、そういえば「言語SF」だったような、とふと気になって読んでみた。

後進国で次々と起こる紛争や内戦や大量虐殺。それらを引き起こしているのは、聴けば殺し合いを始めてしまう「虐殺の文法」だと言う。セイレーンの歌声のようなそれが具体的にどういうものだったのかは説明されなかったけど、作中ではチョムスキーの普遍文法が引かれていた。一時期言語学に興味を持って色々読んでいた時期に読めばもっと楽しめたかもしれない。

米軍特殊司令部隊の暗殺者である主人公が、これまで戦地で犯してきた殺人について罰せられることを望んでいたのが印象的だった。全ては自分の意思で犯したことだと認めてほしいと願っていた。彼らは任務に赴く前、痛覚をコントロールする薬を飲み、セラピーを受ける。感覚だけでなく意識や意思も外的制御できるなら、自分の輪郭がぼやけてきてしまうのは自然なことだと思う。自分というものが一体どこにあるのか曖昧になってくるんだろう。

自分が自分であることとか、自身の自由を何者かに奪われないことの切実さのようなものを感じた。それでも放送なんかに乗っかって、自然と脳内に侵入してくるのが「虐殺の文法」なんだろう。目と違って耳には蓋がないし。自らの意思や感情と言えるものって何なのか分からなくなって、ちょっと不安になってしまった。

積読しすぎてクラシック作品になるまで熟成していたけど、読んでよかった。名作と言われるもの、ちゃんと読んでいきたいなと改めて思った。

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