名前の由来と、兄と私。
私の心の中に、引っ掛かっていることがある。
それは、私の名前の由来を、母親も、父親も知らないことだ。
小学生の頃、たしか8,9歳くらいのころ。
自分の名前について発表する授業があった。その前段階で出されたのが、親に名前の由来を聞くという宿題。
家に帰って、母親に聞くと、
これがまさかのまさか、
わからないと言うのだ。当然わかると思っていたのに。
そして、その後父親に聞いてみても、まさかの同じ答え。
思わずポカーンとしていたら、
「辞書で引いてみたら?」と、とんちんかんなことを言われ、
結局、わけもわからず適当に自分で名前の由来を考える羽目になってしまった。
*
時が経ち、いつしか私の名前はおばあちゃんがつけたのだと知らされた。
でも、時すでに遅し。
おばあちゃんも歳のせいか、良く覚えてないと言うし、もう多分私の名前の由来がわかることはないと思う。
兄の名前は、両親がつけたらしいのに。
名前だけじゃない。
実家には、兄が産まれたときの木がある。
兄が小さい頃の母の日記もある。
私のはないのに。
そんなことがずっと羨ましくて、妬ましくて、何より寂しかった。
でも、それはきっと、我が家では言ってはいけないことだった。仕方のないことだった。
兄は障害があるのだから。
頭ではわかっている、障害児を育てる大変さ。いわゆる手のかからない子だと言われてきた私。
でもそれは、きっと、兄がいたから。
寂しかった、なんて言わない、言えないから、
あの日自分で見つけた、名前の意味を大切に、名前に恥じないように強く生きていこうと思う。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?