見出し画像

効率について考えたこと


大学受験から効率重視で生きてきた。効率よく勉強して効率よくやっていけばとりあえず大学受験と大学院受験と学士編入試験は通過。大抵の試験は受かるし無難に生きることができた。

しかし最近効率を追い求めすぎて「間」みたいなものがない、気がしていた。

彼氏も「非効率の良さ」について先日語っており、効率的であることをよしとするこれまでの自分も効率的であったからこそ生まれてきたのでどうなんだろうなぁと考えていた。
 

「無駄の中にある幸せ」

例えば無駄に朝早く起きて朝日を見にいく、遅くまで起きて友達と語り合うとか。が例として語られていた。たしかに早く寝て翌朝タスクをこなすのが一番効率は良い。だからこそこういう一見無駄な行為は無駄ではないということ。


「効率よく生きるんだったら産まれてすぐ死ねばいいじゃん」

この言葉はある意味的を射ているがそうでもない気もする。生きて、やりたいと思ったことをたくさんやるのが本当の効率の良さなのではないかと思うから。


そして

「効率的にやって非効率的なことをする」

これが最適解なのかなと今のところの結論。全部を非効率化するのは違うと思う。なので何を非効率にやって何を効率的にやるのかを明確にするのが大切なのではなかろうか。
📝

いいなと思ったら応援しよう!