変化シチュ(TF)を『サビ』として扱った時の難しさについて
人外化において『サビ』があるとするならば
それはどのような描写をイメージするでしょうか。
多くの同嗜好者が想像するのはやはり『人間が人外化するところ』つまり『TFシーン』そのものだと思います。
私も、変化シーンそのものがサビであり大トロであることに疑いはありません。
自身が変化してしまう恐怖に泣く姿なんかはやっぱり興奮する要素のひとつでもありますし。
しかし、TFシーンがサビ…つまり本番であると仮定した時、物語上の不都合が生まれます。
変化とは基本的に物語でいえば最初に来るということです。
つまり、頭サビであり、初手で大トロを頼むようなもの
無くもないですが構成としてはやや尖っているのは確かですね。
その上、シチュとしては不可逆変化が好まれやすい傾向があるため、二度三度と変化させてもいいとは限りません(私も変化は不可逆派です)
もちろん物語上、変化前のフラグになる出来事を持ってきたり、変化の予兆のようなシーンを経てTFシーンを最後付近に持ってきて終わりにするのはありだと思います。
思えばTF後、本能堕ちや快楽堕ちなどの『元のキャラクター性の死』で終わることが多いのは、それに興奮する人がそもそも多いというのもありますが『人間性の葬式』が物語の幕を下ろすのにちょうどいいということもあるのでしょう。
しかし、私個人としては精神変化を好まず、変化したキャラのあれこれについて考えるほうがTFシーンそのものより楽しい気持ちがあるため、TFシーンというひとつの『サビ』を終えた後の物語に対して新しい『2サビ』を与える方法とは何か考えることが大事なのかもなぁと思っています。
そもそも大トロだけじゃなくて、サーモンもいくらも甘エビも食べたいですからね。