デッサンは小説を書くのに役立つ?
どもです。
noteの使い方ヘタクソマンこと、もちだもちこです。
もちださんは、漫画家になりたかった人でした。
なので「漫画科」のある専門学校に通っていました。
学んだことが全部役立ったわけではないし、私は結局漫画家にはなっていないので、もしかしたら失敗だったのかと思った時もありました。
ところが卒業してから十数年後のことです。
私が専門学校で学んだことが、どちゃくそ役に立つ時が来るのです。
その時の私は、趣味として新しいことを始めようとしていました。
友人のすすめもあり、小説を書くことにしたのです。
昔から小説を読むことは好きでした。だからこそ、身近なコバルト文庫のようなピュアっピュアな恋愛ものでも書いてみようと思ったのです。
はい、ここで注目。
専門学校では、一体どのようなことを学んだのか。
漫画の書き方、デザインの基本、色のこと、美術(デッサンなど)の基礎、法律関連などなど。
単位はテストよりも、課題と出席率が重要視されていたイメージ。
国から認可された所だったので、それなりにしっかりとした学校でした。
(うろ覚えですがw)
漫画の描き方って大まかな流れとして。
設定(キャラや世界観)プロット(物語の筋)
↓
ネーム(コマ割りとセリフ入れ)
↓
下書き(ネームを参考にして原稿用紙に書く)
↓
ペン入れ(原稿を完成させる)
そして小説になると。
設定(キャラや世界観)プロット(物語の筋)
↓
原稿を書く
↓
推敲する(ほぼ完成させる)
漫画も小説も流れとして同じように見えます。
むしろ工程としては小説のほうが楽そうに思えたりしたりたり。
だがしかし、決定的に違うことがあるのです。
それは
「漫画の1コマで伝えられるものを、小説はそのすべてを文章にする必要がある」
と、いうことでした。
さらに言うと、心理描写や情景描写なども全部ということになります。
ちょっと面倒だなと思いましたが、まぁそれはそれ。
幼い時から小説を読むことが大好きだったから、まぁまぁ楽しんで書けたと思います。
ところが、もちださんは気づいてしまいます。
「読み返すと物足りない」ということに。
キャラクターがね、薄っぺらいんですよ。
人間味がないというか、綺麗のかたまりで出来ているみたいな……。
やっと本題。
どうしてだろうと考えた時、もちださんは思い出しました。
専門学校のデッサン授業で先生が言っていたことを、ちょっとしたトラウマとともに思い出したのです。
(トラウマ例:上野動物園で丸一日かけて100枚動物クロッキーという課題など)
デッサンに必要なことは「そのままを描くこと」でした。
授業で私が描いた絵を見て言われたことは……。
「影と陰は違うものだから、違うように描け」
「後ろがどうなっているのか確認して描け」
「黒だけで色を表現しろ」
「石、布、果物、質感を描け」
今、思い出しても胃が痛くなります。
そして絵を仕上げたら、質問されるんですよ。
「ここ、どうなってるの?」ってね。
説明するじゃないですか。そしたらこう返されるんですよ。
「言い訳するな。今言ったことを描け」ってね。
完成した後に「ここをもっとこうしたら」とか「こう描きたかった」なんて言い訳はいらないんですよね。
だったらそう描けよって話なんですけど、それが上手く出来ないんだ!ちくしょう!などと発狂しそうになったりしました。
きっとまだ若かったのでしょうね……ははは……。
そんなトラウマを植え付けられつつ、デッサンでは「多方面から物事を見る」ということを学びました。
たとえば。
小説のキャラクターに「品行方正な男性騎士」がいるとしたら、色々な角度からそのキャラを見るんです。
なぜ品行方正なのか?→父親の厳しい教育があった?→その父親と仲がいいのか?→良くも悪くもなく冷たい親子関係?→愛に飢えている?
「品行方正」という言葉ひとつをとっても、こうして見ていくとキャラクターが少しリアルになると思いませんか?
光あるところに影があって、さらに陰をつければリアルになっていく。
ただ真っ直ぐ見た時だけではなく、後ろから、上から下から、しっかりとキャラクターを見ていけばどんどんリアルになります。
それは物語も同じなのですが……。
「物語をデッサンする」については、また気が向いたら投稿しますね。(酷)
ではでは。
また次回。