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寂しくない夕暮れ

ワーママやってたころの罪悪感の話を。

しあわせを感じるものはたくさんあるが、寂しくない夕暮れを過ごすこともわたしのしあわせにとっては重大なことだと思う。

わたしは、とくに夕方こどもと過ごすことに喜びを感じる。

秋は夕暮れ。その言葉どおりわたしも夕暮れが好きだけど、肌寒くて、景色は美しくて、ひとりで居るのがとくに寂しく感じもする。

わたしは子どもの頃寺に住んでいたから、家族はだれかしら家にいて、ひとりぼっちのさみしさは感じなかったように思う。やっぱりお父さんお母さんにいて欲しい気持ちはあったと思うけど、おじいちゃんおばあちゃんでもお姉ちゃんでもコタツの居間に人がいるのはほっとした。ゴロゴロ言ってくれる猫も嬉しかった。

それで良かった。わたしは寂しがりだと思う。、、、ヒトは皆寂しがりだろうか?

今住んでいるところは夕方5時に「恋は水色」という曲のおうちに帰りましょうソングが防災無線から流れる。これがまた、めちゃくちゃ寂しくなるメロディなのである。帰りたい、、、!家族に会わねば、、、!そんな気持ちになる。(ちなみに実家は朝夕6時に鐘をつく、お知らせする側でした。懐かしい)

わたしは結婚してからこどもを望むようになって、ずっとさみしかった。こどもを授かれるまではずっと旦那さんと本当の家族になれてないような気持ちがあった。自分でも自分を追い詰め続けたように、いまは思う。不妊治療が数年続いて、なんとか仕事をしていて、こどもができないと自分を追い詰めて、、、過ごしている日々は、幸せは日々にたくさんあるのに感じ取れないような状況だった。さみしかった。願いはもう縋るような思い、「こどもが生まれてくれたら、、」

生まれた。嬉しかった。順当に保育園に預けた。

こどもは5時の帰りましょうソングに泣くようになった。と、保育園の先生から聞いたと義父母から聞いた。わたしはお迎えに行くのが遅くなるので、義父母が迎えをしてくれていた。保育園の他の子よりうちの子は帰るのが遅かったようで、みんながさきに帰るのが寂しいらしくて5時の曲が聞こえたら「みんなが帰る」って泣くんです。先生は「賢いお子さんですね」。わたしの一歳の子が。

わたしの罪悪感は、わたしにしかわからないだろう。わたしは泣いた。涙脆いわたしが泣いたって、日常茶飯事なんだけど。この子、寂しいんだ。寂しいんだ、、、!

罪悪感は仕事復帰してからずっとあった。あんなにのぞんだこどもを大事にできてない。大事にすることはずっと一緒に過ごすこと、だとは思ってはなかった。でも、仕事していると時間の余裕がなさすぎて。あのときかわいかったか?もう、わからないくらい、余裕がなくて。私にとってとても大事な存在なのに、私にとってはぜんぜん、大事にできてなかった。

そんな気持ちに呼応するかのように、こどもは保育園に通えないくらいずっと熱を出し続けることが多く、仕事を続けていられなくなって結局辞めた。そのときはこどもに、家族に、職場に、全方位に罪悪感でぐちゃぐちゃだった。


数年後、ぐちゃぐちゃが落ち着いてきてふと気付いた。夕方の罪悪感から解放された。


こどもはふたりに増えてくれた。しあわせだ。ほんとにしあわせだ。主婦になったわたしは家事を済ませていれば、夕方にこどもたちと散歩にだって出かけられるのである。夕焼けだって一緒に見られる。夕方5時のあの曲が聞こえたら「お風呂の時間だ」と家に帰り、あらかじめセットしたタイマーで沸いている風呂にこどもたちを誘導する。

あの曲に泣いているこどもを迎えに行かなくていい。

わたしのあの罪悪感はわたしが弱いからだと思っている。でもそれは、、もう人それぞれでいいだろう。そんなにわたしを責めるな、わたし。

わたしはいましあわせだ。こどもがいてくれる夕方がしあわせだ。

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