見出し画像

忘れたり諦めたりが嬉しい

歳をとったからか、けっこう前の、思い出してもどうしよもない失敗を「恥ずかしい、もうダメだ、最低自分」といたたまれなくなることが、減った。歳をとって、ずぶとくなれたわけだ。まあいいや、とほんとに思えるようになってきたわけだ。客観視できるようになったのかもしれないし、ただ忘れただけかもしれない。とにかく「思い出しはずかし」することが減った(「思い出し笑い」みたいな感じ)。

ーーーーー

嫌な奴だと思うけど、「この女子グループで一番幸せなのって私ね」って常に思ってたいのが、私だ。不思議な感情だといま改めて思うけど、物心ついたときからずっとそう思ってた。女子グループはメンバーを総入れ替えしながら、ずっとつきまとう単位だ。小規模な山の学校生活、そのなかでは学力やなんやで私はかなり恵まれてきた。でも都合の良いもので、容姿はほんと、、すこし小柄なハリセンボンの春菜さんかな?(すみません)というかんじだったのに、自分が一番幸せと思えてたのだから、多分に自分の幸せにバイアスがかかってたはずーーーー。
高校、大学、社会人となって現在も、女子グループはある。
そのなかでも私は「いちばん」幸せだと、思ってる。

たぶん、いいのだそれで。人それぞれの、なにに重きを置いてるか、なのだ。幸せという自分にしかわからない、誤魔化しまくれる基準が良いのだ。まあいわば、良かったさがしを「できてる」のだ。哀れでよくぶかな私が、自尊心を満たす工夫をしているだけなのだ。それでいいのだ。いいのだーーーー。大いなる諦めである。

辱めを思い出すことも減り、自尊心を満たす工夫を自嘲して諦めることができてきた。

歳をとって良かった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?