どこに出しても恥ずかしくない私
なんて存在しない、よな、、。
私は、漫画家になりたかったんですが、人に読まれるにあたって恥ずかしいという気持ちがまずあって、人目を気にして、何を描きたいというのが無くなっていってしまいました。学生時代にWEBでこっそり同人活動してた時が時間も意欲もあって一番イキイキしてました。でも人に知られたくない。なぜなら少年漫画を元にしたBLパロディだったから。こういうのは私にはいちばん恥ずかしいものでした。恋愛要素も性的な要素もある。しかもそれらは、憧れや経験や、、をふまえたものになる。つまり素の自分から離れ切ることはない。こんなことが憧れなんだ、こんなことをしてきたんだ、って読者に思われちゃうだろう。恥ずかしい!
でもだからこそほんとは描きたいことはそれだった。その証拠に、19から22くらいのその当時、めちゃくちゃイキイキしてた。湧き上がるような衝動で他の人の作品を拝見し消化し、自分の作品を生み出しました。しかし、それは「時分の花」。そのときのかがやきだったのです。いま、同じ熱量で、こういう恋愛もの描けない。
かといって社会派もしんどい、私生活エッセイもネタがない。まわりの人のことなんて描いたら、バレたら嫌われるだろ、、
投稿漫画はあたりさわりない軽い恋愛ものの少女漫画を投稿していました。軽いかわいい恋愛ものを描きたい気持ちはまったく嘘ではなく、楽しくしあわせに描いたけど、これじゃない感はありました。自分なりに折り合いをつけたんだと思う。わたしが描いてると、たとえば親に知られても嫌じゃないもの。過度に性的でなく、公序良俗に反せず。
わたしはまた作品を作っていきたいんだけど、何を作りたいかわからないんです。描きたいものを描く!では突き進めない。そんなわたし。
どこに出しても恥ずかしくない自分が、いないように、誰が読んでくれても恥ずかしくない作品もないのかも。。でも、少なくともわたしはそれでないと描けないと思う。親にも子にも読まれても見られてもいい作品しか、出したくないんだ。
模索していこう。
あんまり嫌じゃなく、模索していけそう。
誰も傷つけず、わたしが恥ずかしくもなく、喜んでもらえるもの。
ある気がするんだよ。
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