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noteセラピー おばあちゃん編

また自分を癒すために思い出を綴ります。わたしのおばあちゃんは、わたしが10歳の時に亡くなりました。もう30年ほど前になるんだな。。認知症で(その当時はボケと呼んだけど)、わたしはとにかくおばあちゃんが怖かった。急に歌い出したり、悪態をついたり、表情はうつろで、どこかに行ったり、そして失禁もあり匂いがして、2人では居てられなかった。。。

おばあちゃんをお風呂に入れるのが大変な大仕事だった。母、父、ふたりがかり。おじいちゃんは嫌がって手伝わなかった。恥じらいがあったらしい。女とか男とか関係あるか!と父は怒ってた。本当に家族だけで認知症の大人を見るのは大変なことだった。

おばあちゃんが、童謡のカセットを聞きながらだとお風呂にわりとスンナリ入ったことがあった。それで、その手で行くんだけど、あんまり上手くいかない。わたしもおばあちゃんの気持ちを盛り上げようと歌って手伝ったりもした。おばあちゃんがすこし微笑んだ覚えがある。でもヒリヒリする思い出なんだけど、本当に手伝うのも嫌だった。お母さんがありがとうといってくれたのは覚えてる。でも本当におばあちゃんが嫌だった。

おばあちゃんは認知症になる前はすごーくしっかりしていた人で、姉はほとんどおばあちゃんに育ててもらったんだという。姉の幼稚園の遠足で一緒にジェットコースター乗ってくれたんやで、なんて武勇伝のように家族に語られていた。当時は50代だったろう、おばあちゃん。幼児の乗るジェットコースターは知れてるだろうけどね。人差し指の爪が壊死していて、教師だったとき、こどもを助けたときにバイキンが入ったせいだったらしい。その爪の形が、わたしにそっくり。血縁をかんじていた。

74歳でおばあちゃんが亡くなったとき、おじいちゃんは「娘孝行だ。もう長く生きても娘が大変だと思ったんだ」と言っていた。娘とはわたしのお母さんのこと。正直、その通りだと思った。。。悲しい。それでも症状が出てから10年は患っていた。お母さんをはじめ、家族は本当に苦しかっただろう。わたしも苦しかった。

こども時代は、おばあちゃんが亡くなってから薔薇色となった。。。家の中でだれも臭くない。だれも脈絡なく歌い出さない。こどものわたしが家族の中心。薔薇色だった。旅行も行ける。お母さんも明るい。

かなしみとあきらめと、罪悪感と、でも事実だもん、という気持ち。おばあちゃんがいなくなって良かった。。。

よく年の夏、昼寝中に金縛りにあった。耳元で女の人がウフフふふ、、、と笑っている。怖い!動けない!その金縛りにあっている夢の中では、庭の家庭菜園に帽子を被った若い女の人がいて、それをわたしは「おばあちゃんだ」と認識していた。(それで見出し写真を家庭菜園の写真にさせていただきました)

おばあちゃん、いなくなって良かったなんて思ってごめんなさい。。こわいこわい金縛りから覚めて、そんな思いを持ってた。

でも、いまは思う。おばあちゃん、たぶん孫を嫌な目に遭わせたりしないよな。そもそも金縛りは生理的現象。おばあちゃんが怒ったなんてそんな風に思わなくて大丈夫。かわいそうに、こどものころのわたし。おばあちゃんの認知症をめぐって家族がギスギスして、とても辛かったよね。子供が、自分中心の家族になって嬉しいなんて、思って当然のことだよ。

大丈夫、大丈夫。

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