動けるとき、動けないとき
時速200kmですすむときと、戦闘力が3のときがあるmochiccoです。
自然とスイッチが入って動けるときはだいたいのことはなんでもサクサクッとできてしまうのに、スイッチoffになってエンジンが切れてるとまるで別人で、芯が抜けた鉛筆かのように全然動けなくなることがある。
動かなきゃ、ととかく気持ちだけは焦るもの。
このとき、何かやらなきゃいけないことはわかっているけど、何をしていいのかわからない状態に陥っている。
何をしていいのかわからないがゆえに、焦ってしまう。
そうすると、とにかく動かなきゃ、と無理に動こうとする。
気持ちだけは前のめりなのだけど、やることが全然思い浮かばず、結局スマホ見ていたり、と癖を優先して動いている。
こんなとき、プチパニック状態なので、落ち着くためにもまずは呼吸をととのえるとよい。
これを回避するためにはリスト化してタスクの見える化をするとよい。
基本的に、あたまで考えてあたまで済まそうとしてしまうがゆえに起こる事故のようなものなのだ。
さらに、あれもこれもと目新しいものに興味を奪われ、興味を持つだけならともかく、実際に完結もしてないうちにあちこち手を出してしまって、処理能力が追いついていないのも一因なのである。
完結していないゆえに、消化不良を起こしている。
さらに、インプットが圧倒的に多く、アウトプットが圧倒的に少ないというバランスの偏りによるものでもある。
新しい情報や知識を取り入れるのはよいのだが、それを良い悪いで短絡的に見てしまうと、無意識のうちに正しさにとらわれて、一方を否定し、もう一方のそれこそがまるで正解で自分にとってよいものだと思い込んでしまい、それまで取り入れていたものを完膚なきまで無くそうとして苦しさが生まれる。
まるで一気に答えを見つけたかのようにまっしぐらに新しい方へと進みたくなるけれど、潜在意識の仕組みからいっても急には無理なのだ。
片付け出来ない。と嘆くことはとても簡単で誰でも出来ることだけど、それは難しく捉えすぎているだけのこと。
片付けという言葉自体がとても漠然としているところがあるため、片付けが苦手な段階の状態なら「ととのえる」を意識して行動するとよい。
乱雑に置いてパッと置いたものが斜めになっているのなら、それをピシッとまっすぐにととのえるだけ。
これならものの10秒もかからない。
それに、ピシッとなるので気も引き締まる。
それゆえ、空間自体もととのった空間になる。
空間の乱れは意識の乱れ。
意識の乱れは空間の乱れを引き起こす。
こんな些細なことの積み重ねで少しずつととのった空間が定着していく。
たったこれだけのことだけど、やってるのとやっていないのとでは、少しずつ差が出てきて、それは時間とともに大きな開きという差が出てくるものである。
どちらがいいとか悪いとかはないし、どちらが正解なんてこともなくて、それは単なる好みだったり何を優先してるかによって選ぶものは変わってくる。
1日だけならそんなに大差ないけど、それが1週間、1ヶ月、3ヶ月、半年、1年、3年、5年、10年・・・と時間が経てば経つほどに差はついてくる。
意識的にしろ、無意識的にしろ、選んでいるのは自分だし、その選択の積み重ねで人生はつくられているものだから。
宇宙は完全に自由だからこそ、人生をクリエイトすることができる力をどの人も持っている。
それを忘れてしまっているだけのこと☻
動ける自分も動けない自分もどちらも自分。
できる自分もいるし、出来ない自分もいる。
状態がちがうだけ。
ダメなわたしに思えるとそんな自分のことを嫌で嫌でたまらなくて、なくしたい!!となるけれど、その状態のときはそうだった。っていうこと。
本当に動けないときは手を抜くことも大事だけど、それと同じくらい大切なのが息抜き☻
本当に動けないときは休んだ方がいいし、ただダラダラしてスマホ見てるだけとかなら少しでも体を動かしてみたり。
そんなちょっとしたことでバランスをととのえる。
人生はまるで波乗り。
バランスバランス𓂃𓊝𓄹𓄺