入院3日目(術後1日目)
ほぼ眠れず迎えた翌日。
この日は、痛みであまり体感なかったですが、37度半ばの熱がずっと出てました。
運ばれてきた朝食にも手は付けられず、前日の昼に置いとくねとよけてもらってた蜜柑をいただきました。
これが凄い美味しかった……。
そして、どんよりしたまま担当医の朝の訪問を受ける。
「…夜だいぶしんどかったみたいですねぇ。今どうです?」
「さっきよりはまし…ではあるんですが、痛いです」
「うん、たぶん痛みのピークは過ぎたんじゃないかな」
(昨日もそう言った…)
淀んだ目で何とも言えない笑みを浮かべてたと思います。
ただ、私が今までの患者さんに比べて、群を抜いて酷いと言うわけでもないと言われ少し安心しました。
通常入院期間は4泊5日の月曜~金曜なんですが、翌週の月曜まで入院延長される方もいたとか。
そして真逆の、術後すぐの昼食からしっかり食べれる猛者もいたと聞いて目が点に。
さすがに担当医も、あれは僕もびっくりしました、と言ってましたが。
後、術後にショック状態になったのは想定外だったそうで、ちょっと慌てたと言われて更にアルカイックスマイル。
結局この日も一日、ぐったり。
けれど、やはり多少気がまぎれるのか、日中は夜より痛みがマシでした。
昼ご飯もほとんど食べれないまま、昼過ぎ頃フェンタニルの投下が終わり、それは外れました。
その後は抗生剤と生食の点滴のみで、それも夕方には終わり。
最初、緊急の痛み止め投下用にルート残そうかと言う話もあったんですが、結局全部撤去。
「(点滴外すの)終わったら、昨日の処置結果の話するね」
と担当医から別室に呼ばれ、改めて画像見ながら説明を受けました。
予定していた血管は全部塞栓出来て、後はこれがどれくらい効果が出るかを経過観察との事。
経過は基本、1ヶ月後、3ヶ月後、6ヶ月後、9ヶ月後、12ヶ月後で確認していくようです(合間抜ける事もあるようですが)
塞栓しなさすぎたら筋腫は死なないし、塞栓しすぎても筋腫以外に影響でるしで結構微妙な塩梅なんですね。
そして、実際施術してみて何かわかるんだろうか、とこれから一番の心配事になる事を再度質問しました。
「あの…見た感じ筋腫分娩ってどれくらいの率でなりそうかわかったりするものですか?」
「あー、何とも言えないとこだなぁ。でもこちらも最悪のケースを想定して説明するって義務があるから一応言ってるんだ」
言われてみればそらそうですよね。
でも、その最悪の事態を引きかねないので戦々恐々なわけなんですが。
ここまで3人の医師に、壊死したら面倒的な事を言われてる手前、率は上がるのかなと思ってますが、これはもうほんと神のみぞ知るです。
もし、大量出血とかになったら放射線科では対応出来ないから婦人科の方に連絡してね、と言われ、これもまあそらそうやなと。
そして、術後からここまでは塞栓の痛みで、その後は炎症の痛みに変わっていくとの事。
だから麻薬もここまでだったんですかね?
ここからはロキソニンとボルタレンで痛みコントロールです。
また、この日の夕方頃から軽い出血が始まりました。
最初は帯下っぽかったんですが、段々茶色→鮮血に変わって行き、結局術後1週間くらいは何かしら出血してたと思います。
夕方には親がまた様子を見に来てくれ、食事がとれてないと伝えていたのでゼリーやパンを買ってきてくれました。
ド@クのミニクロワッサンやもちもちチーズなど小さな食べやすい物が数個。
ただやはり匂いでちょっとむわっとしましたが、なんとか1つだけ食べれました。
入院前はここまでひどい事になるとは思ってなかったので本当に色々助かりました。
そしてやはり個室は強い…。
夜ご飯はなんとか、全体4割位を口にしました。
が、夜が更けるにつれて、また痛みは増していく…。
消灯時間になっても寝れるはずもなく、結局座薬を入れてもらい、それが効き出すまで部屋の中をうろうろうろうろうろうろうろうろ…。
完全に檻の中の熊状態でした。
そこへ、ちょっと早めの巡回。
珍しく男性の看護師さんで、ドア開いた瞬間ちょっとビクついたのが見えました。
「っ!? だ、大丈夫ですか?」
「あ、すみません、痛み止め効くの待ってるだけなんで…」
「あっ…(察し」
常夜灯だけの中、幽鬼のように立ってたので驚かれたんでしょうね。
その節はすみませんでした。
そして、前日は電気が全部消せたはずなのに、この日からドア付近のライトが夜も付きっぱなしで…。
そのライトが気になって気になって、寝れません。
普段、別に明るかろうが寝る時は寝るんですが、環境変わってしかも痛みもあって、でダメだったようです。
更に段々、腰も痛くなり出し、寝転んでいるのもそれはそれでつらい状態に。
座薬もすごく効いた!と言う感じもなく、明け方にロキソニンを臨時服用。
結局、痛みに細切れの睡眠とも呼べない微睡みで一夜を明かしました。