子宮全摘、そしてその後

喉元過ぎればなんとやら。
完全にサボっておりましたが、年内に終わらせようとなんとか筆をとりました。
今現在の私の状況ですが、仕事がマジでくそな状態なものの、体調面についてはほんっっっっっっとに快適に過ごしています。
というか、経過観察であのまま置いてたら、今の仕事の状況だとたぶん酷い事になってたので、あのタイミングで全部終わらせてよかったと思ってます。

前のような時系列での詳細な感じには書かずに、ピックアップして書いていきますので、お付き合いください。(※結局全部で6000字超えて笑ってます)

■レルミナ
術前処置として、自分からレルミナの服用を打診しました。
UAE経験者にはあまり出してない、と言われましたが、せめてものサイズダウンを狙って、術前までの2ヶ月弱飲み切りました。
UAE経験者に出してない理由としては、おそらくですが、すでに壊死してる筋腫には効かない事だと思います。
ですが、手術に踏み切った理由は筋腫の成長なので、生きてる筋腫がいるならそれには効くのでは?という素人考えです。
医師もOKしてくれたので、試せたのは良かったと思います。(現にMRIの結果からエコーでは1cmほど縮小してたようです)
ただ、これネックなのは、薬価がめちゃくちゃ高いww保険適用で1ヶ月9000円弱位だったと思います。
後、添付文書見ていただくとわかるんですが、まあ更年期障害っぽい症状が副作用として出るので、飲むのがつらくなる方もいる薬にはなります。
私は、不正出血とかめまいとかはなかったものの、出社すると夕方には眼精疲労とものすごい頭痛が出てました。
在宅勤務の時は何もないのになんで?と思ってたんですが、よく考えたら薬飲み始めてから発現してて、調べてみたら、『低エストロゲン症状』による頭痛だったっぽいです。
在宅勤務の自室の灯りが暗めに対し、会社のフロアは明るくて、目に刺激が行き過ぎてたのが発端と思われます。
それに気付いてから、痛み出る前にロキソニンを飲むことにして、多少ましに。
後は、若干ほてりやすかったかな。
ホットフラッシュまではいかなかったですけど、真冬の時期に暑さは感じてました。

■準備~買って良かった物~
腹巻付きパンツ。
これにつきます。
普通の下着だと傷にゴム部分が当たって痛いと聞いてたので、臍部分を切る可能性もあったことから、シームレスタイプよりハイライズの物で探したんですが、これがとてもよかった。

参考に私が購入したのはこちら。
https://item.rakuten.co.jp/karlyshop/9122/
安いし、綿だし、シンプルデザインで言う事なく、退院後にも買い足ししました。(※私が買った時より値段あがってます( ;∀;))
傷に当たって痛い、はもうほぼないんですが、楽すぎて今もまだこれ使ってます。
なお、サイズ感がレビュー見ると表記より小さめっぽかったので、普段のサイズより2つ上を買いましたが、術後は腹部が全体的に腫れてる?膨らんでる?ので、許容範囲ではあったものの、ちょっときつかったです。
傷が落ち着いてきたら圧迫感もなくなりましたが、通常サイズはやっぱきつそうなんで、今後買い足すならサイズはやはり1つ上にすると思います。

■コロナ抗原検査
入院当日。
陽性だったらリスケです、とまあそれはそうなんですが、結果出るまでに、病室には案内されているし、昼ご飯も食べると言う状態で、これ…陽性だったら…部屋使っちゃってるし、1日分の入院費と昼ご飯代取られるんだよね?とヒヤヒヤでした。
お昼だいぶ過ぎた頃に、大丈夫でしたーって伝えに来られたけど、ほんと…あれどうにかならんのか、って感じです。
せめて別室とかでやって結果出てから、病棟案内してほしかったな。

■術前説明
あまりに筋腫が大きいので、子宮動脈の処理が筋腫をどけてから(臍部小切開)じゃないと出来ない可能性が高いし、開腹になる可能性も0ではない。
との事で、あくまで可能性の話でしたが、まあ、臍の小切開は不可避であろうと言うのはこの段階で覚悟はしてました。
サイズとかは後述しますが、取り出した筋腫見るに、結果としては、開腹しなくて済んだ、だと思います。
後は、尿管を傷つける可能性もあるとか、予期せぬ出血から輸血もあるかも、とか。
この時期はまだコロナも5類移行前だったので、説明は両親と聞きましたが、やはり術中の院内待機はなく、終わったら電話でした。

■前日の食事
夕方に色々準備かつ説明に来られた看護師さんからの宣告。

「えーと、あ、晩ご飯から絶食ですね!」
「え?……え????手術昼からなのに!?晩ご飯ないんですか!?」
「うん、書いてますね、絶食」

というわけで、空腹との戦いが始まりました。かなりショックを受けた顔をしてたろうなと思います。
念の為、担当医に再確認してくれたらしく、後から再度「絶食で間違いなかったです★」と報告されました。
悲しい。

■術前処置。
言わずもがな、下剤地獄です。
と言っても、私はマグコロールという薬で、コップ1杯で済みました。
スポーツ飲料みたいな味で、冷やして飲んだら普通にごくごく飲める。
が、効き出してからが何度トイレに行ったか。。。
痛くなるというより、便意で行くのでかなり自然に近かったと思うんですが、最終水でも延々出て、これ、いつまでトイレに通うんだ?ってなってました。
出るには出るから、水分は取らんと脱水が怖いなって思って水を飲むと、その刺激でまた水が出るっていう永久機関みたいな状態でちょっと笑いました。
結局消灯後も通い続けて、12時半くらいまで休めなかった。
今回、総室だったので、出入りには結構気を遣いました。

■手術当日。
UAE時にはひっっっじょうに苦労したルート取り。
最初から自己主張して、ホットパックを貰い両腕をひたすら温める。
結果:奇跡的に左腕でルート確保成功。
めちゃくちゃ拝み倒したら、「先にちゃんと言って温めてくれてたからですよ~」となんとも嬉しいお言葉。
第一関門は無事突破です。
そして、昼から予定が、前の手術が早く終わったとのことで、急遽40分くらい早く始まることに。
部屋に戻るのは翌日になるので、貴重品やら鞄やら全部ロッカーに入れ込んで、着圧ソックス装着していざ。
術後の着替えとか回復中に使用するコップとか水を袋に入れて預け、手術室フロア前まで看護師さんに連れられてポテポテ歩いてる横を、

「あっ、おはようございます!よろしくお願いします~!!」

と何やら色々手に抱えた執刀医が駆け抜けて行きました。
さすがに40分も前倒しになると医者も準備が大変。
手術室フロア出入口でオペ看さんに引き継がれて、ストレッチャーやら器具やら色々置かれた広い廊下には手術室のドアもたくさん並んでで、他も今リアルタイムで手術してるんだなぁ、なんて他人事のように思いながら、何回も深呼吸してた気がします。
オペ看さんと、緊張してます?とか色々話をしながら、自身の手術室へ。
中に入り、名前の宣誓と術式、部位の確認し、上だけ脱いで、さっさと手術台に横に。
後はもう見たまんま、まな板の上の鯉。
ぼんやり準備されていくのを眺めてました。

「ダブルチェック始めま~す。〇〇~、△△~…」
(なんか読み上げ出した。手術台温いな~、いつ麻酔いれr――)

いきなり落とされましたw
声掛けもカウントダウンもなくwww始めます、すらなしww
どこまで起きてられるだろ、とかのちょっとした術前挑戦をする間もなく昏倒しました。
あんまり意識してなかったんですが、緊張してる顔してて早々に眠らされたのかもしれません。

次に覚醒したのは、回復室に運ばれてる最中。
すでに気管挿入も抜けてて、抜く前に覚醒したらやだなと思ってたので、それはよかった。
後で親に聞いた話、開始時間は早まりましたが、終了時間は予定とそんなに変わらなかったみたいです。

寒くて電気毛布入れてもらったものの、すぐ暑くなってしまって、電源切ってもらったり、毛布掛けっぱなしにしてくれてたのも暑くて剥いでもらって、最終バスタオルをタオルケット代わりにされてたような気がします。
時間にするとどれくらいの間隔でナースコール押してたのかちょっとわからないんですが、騒がしい患者にはなってなかった、はず、たぶん。
何度か水でうがいさせてもらったり、痛さはあったけどいう程じゃなく、不安だった吐き気も微量、腹腔鏡手術の体勢による、術後の肩の痛みとかも特に感じる事はなかったです。
なんだかんだ、結構寝れたというか意識を失ったというか。
思ったよりも楽に朝を迎えれました。

■術後翌日以降。
午前中に、看護師さんに支えられつつ、点滴棒を引き連れて、ヨロヨロとですが回復室から歩いて部屋に戻されました。
痛み止めもあって、寝起きのいわゆる腹筋を使わないと行けない時がツラいくらいで、正直、術後の痛みはUAEよりよっぽどマシでした。
これはほんま個人差があると思いますので、一概にどちらとは言えないのですが、担当医の

「全摘だったら動脈止めて子宮全部とるだけで痛むのは縫った傷口だけ」

は本当だったんだと思います。
温まった器のプラスチック臭がどうなるかドキドキしたものの、出された昼ご飯も6割ほどは食べ、この後もほぼ毎回完食。美味しかった。
そして、それなりに睡眠も取れてました。
ほんと、UAEの地獄とは比べるまでもなく、快適な入院生活だったと思います。
点滴も術後2日目にははずれ、お風呂も毎日入れました。
傷にしみないの?ってすごい怖かったですけど、それも特になかった。
ひたすら、寝て、ご飯食べて、廊下ウロウロして。
途中、胃の張りが気になってレントゲン撮影いったり、なかなか排便がなくてソワソワしたり、体力はさすがにガタ落ちしましたが、概ね順調に経過し、予定より1日早く退院となりました。

■摘出した筋腫
550g。これを軽いと感じるか重いと感じるかはそれぞれだと思うんですが、
第一印象では、10cm超えの筋腫でそんなもんで済むんだ、と。
ただ、その後、報告した友人に「(500mlの)ペットボトルじゃん!」って言われて、お腹の中にペットボトルずっと入れてたと思うと、デカい(重い)な、と思いました。
担当医の第一声。

「いやー大変だったよ。分け入っても分け入っても筋腫。本体(子宮)にたどり着けなくてね」

経過診察通院の時に術中の写真見せてもらえたのですが、臍からこう、なんていうか、壺カルビ?状態で、びろろろっと紐状にカットされたのが引き出されてました。
リンゴの皮をくるくる1本で剥くみたいにして、筋腫も1本の紐状にして摘出したそうで。
摘出された筋腫の全体写真で、画面の4分の3は切られた筋腫でしたね。
入院中はメインの執刀医の診察で、そちらでも「いやー大変だった。癒着も結構あってね。出血は言う程…いや、普通にあったか」とほぼ同じ事言われてたので、そうだったんだろうなとは思ってましたが、写真見れば見るほど、ひどいな?となりました。
実際、手術に踏み切った原因の筋腫の大きさもさることながら、UAEで死んで白っぽくなって見やすかったのもあるかもしれませんが、巨大筋腫以外の散りばめられた筋腫の数に、正直引きました。
ほんと、よくあれを体に入れてたものだ…。
筋腫核だけの摘出なら子宮は傷だらけで取り切れないパターンもあったんじゃないかなと思います。
そしてそれだとたぶん術後の痛みが半端なかっただろうなぁと。
子宮自身には、こんだけ疾患抱えて…お疲れ様でした、としか言えないです。
後、面白かったのが、卵管が目で見てちゃんとチューブ状だとわかること。
何枚か写真も印刷して渡してくれていて、自分の臓器ですが、完全な教材と言うか、たまに見返してはすごいなぁと眺めてます。

あ、後、巨大筋腫は臍からですが、子宮とかは下から摘出しているので、ぶっちゃけた話、その後の内診がちょっと楽になりました。
そら、4cm以上の物を通したんですもんね。疑似出産っぽい形になったのだと思います。
まあ、もちろん内診が嫌な事に変わりはないですがっ。

なお、期待していた下腹部のでっぱりは言う程戻らなかったので、ただの贅肉でした。とほほ。。。
後、体重も、術前(12時間以上絶食)と退院時(ご飯前朝一)でぴったり同じでした。
500gなんて誤差ですよね、誤差。
ズボンとかサイズ変わるかもーって買い物控えてたのは意味がなかった。

■術後経過
出血については、術後はちょこっとあった程度ですぐに止まり、夜用ナプキン使われてましたが、後ろに流れるほども出てませんでした。
退院1週後、近所に少し出掛けた際に出血もありましたが、それも極少量。
他は時折、茶オリや、お腹に力を入れると粘度のある淡いピンクの塊?体液?(水には溶けないけど、ナプキンには吸収される)が出てました。
あれは最後まで結局なんだったのか謎です。(担当医にも伝えましたが、内診では異常も何もなし)
2ヶ月くらいは気になってましたが、徐々に減り、今では何もないです。
筋腫の病理検査も問題なく、経過観察の診察もすべて終わり、何か異常が発生しない限りは、もう担当医に会う事もないでしょうし、笑顔でお礼を言って病院を後に出来た事が何よりのお礼になったと思ってます。

傷口はさすがに臍部分は切ってるので、うつ伏せになるのが半年経っても怖かったです。
2月頭に手術して、結局まともにうつ伏せになれるようになったのは、10月入ってからだったと思います。
なお、臍の傷は出臍っぽくかなり飛び出た感じで縫われており、真ん中切るって言ってた気がするけど、臍の縁に沿って切開したんだなぁと思ってました。
が、治って行く過程でその飛び出した部分が中にどんどん引っ込んでいき、元の臍の形に。
before/afterで写真撮っておけば良かった!って後々思うくらい劇的変化で、人体ってすごい、思いましたw
傷痕は、腹腔鏡の小さな穴は若干紫っぽい感じで薄っすら残っている程度で、臍の小切開はさすがに残っていますが、まあ、私は気にするタイプではないので、びっくりするような痕でもなく、綺麗に縫ってもらえていたんだなぁ~って感じです。

後、筋腫肥大に伴い、ぺちゃんこになってた膀胱が解放されたからか、お手洗いに行く回数が減りました。
これ、かなり嬉しい。
映画とか毎回開演ぎりっぎりに行って、それでも途中で行きたくなったらどうしようって毎回ドキドキしてたんですが、意識してない日常生活でも回数減って、あ、今までやっぱ頻尿だったんだな、って改めて実感しました。
術後すぐはさすがにわかりませんでしたが、おそらくゆっくり自陣を取り戻した膀胱が今のびのびと働いてくれてるんだと思います。

■術後の喪失感とか
はっきり言って、私はまったくないです。
それこそ、月のものもピルのカレンダーでしか確認してなくて、毎月何日頃に来る、とか意識しておらず、来週休薬期間(月のもの来る)か、とかそんな認識で、いつ来るかってところにアンテナ張らずに7年近く過ごしてたので、服用カレンダーなくなると、何も意識せず。。。
「そう言えば、出血がないってこんなに楽なんだな」と時折思い出す程度です。
術前にレルミナで完全に止めてたのもあるかもしれません。

■終わりに
子宮筋腫・子宮内膜症の治療から、UAE→子宮全摘、とおよその治療歴は7、8年程。
現段階では、快適、の一言に尽きます。
記憶を遡ると、この年齢で子宮全摘するには、まずUAEで全摘適用の下地を作っておく必要があったであろうし、UAEをするにはかかりつけ医と常日頃から症状について相談する事が必要だったなと思います。
卵巣は残したので、今後もかかりつけ医との関係は続きます(と言っても2年に1回でいいよ、という話ですが)が、ちゃんと通うつもりです。

ほとんどの期間を低用量ピルで安定させてきましたが、やはり人によって合う合わないもありますし、私が治療を始めた頃より保険適用の治療法も増え、選択肢は多岐に渡ります。
同僚には、普段から生理がきつく、子供も望んでるけど不妊が見つかって治療中の人や、更年期障害にパニック障害も併発して治療を続けている人もいます。
同じ女性特有の悩みであっても、人によって症状、重篤度、感じ方は本当に人によってそれぞれ違います。
なんか変だな、つらいな、と“自分が”思ったなら、他の人の意見は気にせず、まずは自分に合った病院を見つけて(それが一番大変だったりもしますが)、通ってみることをオススメします。