見出し画像

私たち夫婦の記録①通報されるパパ、包丁を向けられるパパ

私たち夫婦は今離婚調停中で、親権、養育費、子との面会について話し合っています。

パパが逮捕されかけたり、ママが月に3回救急車運ばれたりと、いろいろありました。
数回に分けて事実を書き残したいと思います。

夫婦カウンセラーの方に、昼ドラ3本分くらい書けますね、と言われた内容なため、嫌いな方はご遠慮ください
(令和元年5月からの経緯です)

普通の幸せな結婚生活、妻の妊娠。

私たちは令和の初日に婚姻届を出しました。
そんな日に籍を入れるくらいに幸せな夫婦でした。

同年の夏、妻の妊娠が発覚しました。
初期のつわりが激しく、何とかしたいが、男にできることってほんとに些細だったのを覚えています。
(これ以後、妊婦さんや大変な女性を心から尊敬しています)

妻は「一緒にがんばろう」と支えてほしかったでしょう。
しかし、あまりに妻が辛そうで、「お前に何がわかるんだよ」って思われるのが怖くて。もっと伝えるべきだったと反省しています。

すれ違いからの救急車。パニック症状

妻はもともととても心配性でした。
妊娠が発覚したときも、望んではいたものの、笑う前に不安だと泣きました。

また、妊娠中は衛生面やにおい、いろんなことがより気になっていて、食器洗いの仕方など些細なことでのケンカが出てきました。

徐々にすれ違いが大きくなり、毎週土日にケンカするようになっていきました。
(ここからケンカの話がたくさん出てくるが、ケンカの原因は互いにほぼ覚えていません)

妻の怒り方が激しくなり、大声で怒鳴る、物を投げるなどがはじまりました。
私は妊娠後の不安定さなどからくる、仕方のないものだと見ていました。

ある日、妻が大声で怒鳴ったあと、顔を真っ赤にして倒れました。
過呼吸・半目・痙攣、、何か言いたそうなのに唇が震えるだけで、言葉になっていません。

焦るのが嫌いな私も、これはさすがにびびりました。
すぐに救急車を呼びました。

その日はすぐに良くなったが、医師からパニック障害の診断を受けました。感情が高ぶると倒れたり、動けなくなったりすると。

これ以後現在も妻は、いつパニックが来るか分からない不安と闘っています。

自殺未遂と、離婚しよう事変。

はじめて救急車を呼んでから1ヶ月経っていないと思います。

この日もささいなことだったと思うが、妻がマジギレし、その後止められなくなり、ベランダに出て飛び降りようとしました。
止めて家に引き戻したのですが。そのまま過呼吸になり、やはりどうすることもできず、救急車を呼びました。

私はこの辺でやっと普通ではないと思い始めました。
自分の周りにはこんなこと無縁だと思って生きてきたので遅くなりました。

パニック障害について、本を読むなどし始めました。
また、夫婦カウンセラーをお願いし、妻と共に複数回、関係改善やパニック時の対応についてカウンセリングを受けました。

受けたアドバイスは、
・話し合いは、怒り口調ではなく「話したいことがあるけど、今大丈夫?」と相手の様子を聞いてから始めること
・それと同時に20分のキッチンタイマーを設定すること などでした。

しかし、キッチンタイマーが意味を成したことはありません。
離れようとすると妻から「また逃げる」「ここでやめたら私たち終わりだよ」などと告げられました。

他にも極力言い合いにならないように実践してみたが、、妻は私がしっぽを出すまでケンカを仕掛け続けているように思えましたし、幼かった私も、どうにも出来ませんでした。

今ならわかるのだが、妻はカウンセラーから言われたことを「やらない」のではなく「出来ない」状況だったんだと思います。

私が怒るまでケンカを仕掛けたのではなく、何をしても怒らず支えてくれるのか試していました。

やはり自分のにはこんなこと無縁だと思って生きてきたので、当時は気づけませんでした。

よって私は妻の理不尽に真正面から向き合い、自分のせいだと悩み、我慢はすぐに限界を超えました。

守ってほしくて試す妻とは裏腹に、これ以上自分の責任で妻の痛々しい姿を見たくない私は、徐々に妻に冷たくしてしまっていた。

仕事から家に帰るのが嫌になっていきます。
帰路で具合が悪くなって吐いたり、1缶ビールを飲んで気合を入れてから家に入ったり。
それでも子どもが生まれる前の父親が何甘えているんだと、めっちゃくちゃ強がって戦っていました。

また別の休日、口論になり、妻が過呼吸になっりました。

あろうことか私は、痙攣している妻に「これが続くなら離婚したい」と言ってしまいました。あまりにしんどくて、、そのしんどさをわかって欲しくて、反射的に言ってしまいました。

もちろん、本当に離婚したいわけではなかった。カウンセラーのいうとおりにしてくれ、自分にも限界がある、と伝えたいだけだでした。
妻も、本当に辛かっただろうに。

妻はその日、朝まで一睡もせず泣いていました。妻の両親からも、このことは相当責められました。

この出来事の翌日から、2週間ほど妻が実家に帰り、距離をとることになりました。
その後戻っては来たが、良かったのは1日だけで、翌日にはケンカした記憶があります。状況は変わりませんでした。

包丁事変。包丁向けられたのは私、警察に疑われたのも私。

コロナ到来。

家から出たかったけど、在宅になりました。
もともとアクティブな妻も、コロナで家にこもりきりで、相当ストレスが溜まっていました。

ある休日、再度ケンカになり妻がキレました。ただ、この日の爆発加減は違いました。

めちゃくちゃにヒートアップした妻は、台所に走り、包丁を取り出しました。

うわー、やっっば。本当にあるんだこんなこと、、

なぜか自分はめちゃくちゃ冷静で、何もかもが止まって見えました。
今でもはっきりとその光景を思い出せます。

ぐっしゃぐしゃの妻の顔と、震える包丁を持つ手。
「あなたを殺して、私も死ぬ」と近づいてきます。

私たち夫婦は対格差があります。
私は身長180センチの元野球部で犯罪者顔。
妻は150センチで細い。
なので力勝負で負けることはありません。

妻の腕をつかんで包丁を奪い、手の届かないところに置きました。
互いにケガなし。冷静に話そうと思いましたが、、

妻は私に握られて赤くなった腕を見て「DVだ」と泣き、外に出ていきました。

数分後、妻から警察を呼んだと連絡がありました。
そして本当に警察が家に来た。まあ、やましいことはないのでと思っていたが、結果めっちゃ疑われて、2時間ほど釈明することになりました。

細くてかわいい女性が、号泣しながらDVだと電話をかけ、現場に行ったらでかい犯罪者顔がいるわけです。
警察は当たり前にすごい態度で疑ってきました。
最後には、妻からも改めて話を聞き、事情が分かったようで助かりました。

(この後にも3回ほど、同じようなことで警察が家に来ています。3回目には「お兄さんも大変ですね」と理解してくれるいい方だった。)

出産、少しの兆し

こんな関係の私たちだったが、それでも互いに、これではまずいと思っていました。
だから警察沙汰のあとも普段の会話はありました。

おなかの中の子の名前を相談して決めるなど、ちょっと仲が悪い程度の夫婦生活で済んでいたと思います。

そして、妻が出産のため入院。
私はコロナ渦で病室には入れませんでした。
毎日病院に行き、数分だけ、小さなスペースで妻と立ち話をすることのみ許されていました。

日々手紙を書いて、フルーツとともに渡しました。

この期間が一番仲が良かったし、もしかしたら改善できるかもしれないという兆しがありました。妻も、感謝してくれている様子がLINEで伝わってきました。

そして無事出産し退院となり、いよいよ妻と子どもを迎えに行きました。

(つづく)

いいなと思ったら応援しよう!