私の自慢すべき高校時代の親友
高校時代の親友。入学当初に同じクラスだった彼女は、中学から一緒だったものの、中学のころは同じクラスになることもなくあまり話したことがなかった。しかし、高校の入学当初、クラスに友達がいなくて不安だった私は、彼女を拠り所として高校生活を初めた。
彼女は私が出会った人の中で1番明るくて、1番あけすけな性格で、とにかくよく喋る。自分の思ったことや近況などを聞かれなくても勝手に喋るし、止めなければ一生喋っているんじゃないかと思う。
そんな彼女は良くも悪くも思っていることを隠さないタイプだったので、彼女をよく知らない人からは誤解され反感を買うことも少なくなかったものの、あけすけで素直な性格から交友関係は驚くほど広く、友達には誰にも平等に優しかった。
だから彼女は私のことを数多いる友人の1人だと思っているかもしれないけれど、私は彼女が好きなので親友だということにする。
昔から彼女は友達が本当にたくさん居て、誰とも平等に仲が良かった。深く狭い交友関係を築くことを得意としていた私とは真逆だったため、私は彼女を尊敬する気持ちと、羨ましく思う気持ちと、少しの劣等感があった。
大学に入ってからも彼女の性格はそのままで、むしろ大学の開放されたコミュニティにおいて、彼女の広く交友関係を築くことのできる長所はますます発揮されていた。久しぶりに会って話を聞くと、授業でたまたま隣の席になった男子と意気投合して飲みに行った話や、友達のまた友達の幼なじみから恋愛相談を受けている話や、バイト先の後輩が可愛くて仕方ない話などをしてくれて、とにかく充実した大学生活を送っている様子が目に浮かぶ。
大学生活がそんなにも充実しているのに、遠く離れた大学に進学してたまに連絡を取るだけの私ともずっと仲良くしてくれている。良い友達を持ったなあと、半ば聞き流しながら彼女の近況を聞き、羨ましくも尊敬する気持ちで楽しんでいる私だが、実は彼女の尊敬できる部分は他にもたくさんある。
さっきも書いた通り、彼女は良くも悪くも自分の思ったことは包み隠さず言う。そんな性格と、広く交友関係を持って属するコミュニティを固定しない姿勢が相まって、高校時代は彼女をよく知らない人から反感を買うことがよくあった。
彼女には小学校からの幼馴染はいるものの、少なくとも高校で出会った人は友達になるとみんなが平等に「友達」だった気がする。誰かが特別になったり、親友になったりすることはなかった。この平等に「友達」になることは、高校の閉鎖的なコミュニティとの相性が思いのほか悪く、狭く深く交友関係を築き、親友を作りたかった子からは「いつメンだと思ってたのに除け者にされた」「八方美人だ」と言われることも少なくなかった。
高校という狭い世界での人付き合いを重視する人間は、同調圧力にはすぐに屈するし、1人では何もできないくせに大人数で群れたとたん自分を大きく見せる人もいる。たくさんいる。そんな人たちは、ひとたび彼女に誰かからの悪意が向いたのを良いことに、寄ってたかって悪口を言ったりした。
群れている人間は自分の居場所がそこにあることと、自分が大きく見えることが重要なので、自分の浴びせた言葉が人に与えた傷の深さをいちいち覚えていない。悪意をぶつけられることを誰よりも恐れているのに、その矛先が自分に向きさえしなければそれで良いと感じている。
だから彼女は一方的に傷ついたこともあったはずだし、私が把握しきれないほど広い交友関係を持っていたので、私が知らないところで嫌な思いをしていることも多分あっただろう。
それなのに、久しぶりに会った彼女は高校時代の嫌な思い出を驚くほど上手に割り切っていた。
地元のカフェでバイトをしている彼女は、未だに高校の同級生に出くわし会話を交わすことが多い。もちろん同調圧力に屈した彼らもやってくるし、そのたびに当時の苦い記憶が思い出されるだろう。
それでも彼女は、1度和解をした人のことは完全に許し、その人の良い部分を見ようとする。和解ができていない相手のことも全く根に持たず割り切っており、今の自分の生活を楽しむことに全力を注いでいる。
彼女は本当にすごい。自分のことを悪く言う人には目もくれず、いちいち怒ったり根に持ったりせず、自分の今が充実していればそれで良いと考えられる。大人すぎる。
許すことが自分にとっても幸せな方法だと知りながら、私は1度だって自分に悪意を向けた人のことを許すことなんてできない気がする。
やっぱり尊敬できて羨ましくて、ちょっと劣等感を感じちゃうな。私の親友は本当にすごい。
彼女が許していたとしても、彼女に悪意を向け傷付けたみんなが、彼女に対して申し訳ない、後ろめたいという気持ちを持っていますように。
ちょっぴり性格の悪い私より