つらつら

 大学4年生になってから2か月が経った。ほとんど単位を取り終えているので、春休みとの境目がよくわからないまま、ゆるりと新学期が始まった。

 就活を終えた私たちには腐るほど時間があって、何かと口実を見つけては飲みに行き、くだらない話とまじめな話をしながら時間を潰している。卒論が面倒くさいとかいう話もするけれど、この時期から真面目に卒論に取り組んでいる友人などほとんどいない。愚痴だけは一丁前。もし真面目に卒論に取り組んでいたとしても、大学1年生の頃よりはよっぽど暇だ。暇で暇で仕方ない。こんな状態から社会人になって週5で働くなんて、耐えられるだろうか。
 とにかく今の私というのは、昼に起きてYouTubeをみて、適当なごはんで胃を満たして、夜になると友達と飲みに行き、夜中に帰ってきて次の日の昼まで寝る、そんな毎日を過ごしている。

 飲みに行って友人と話すことと言えば、最近では就活の話が多い。どこに内定をもらっただとか勤務地がどうとかいう話から、どんなことを実現したいとか、どういう人でありたいとか、そんな話まで。就活は私も友人もそれなりに努力をして、それなりに納得のいく場所から内定をもらえている。頑張った時のことを話していると、自分が真面目で目標を持っているアツい人に思えてくるし、アルコールで気分が高揚していることもあって、心地よい。
 そんな話をして帰り、酔っ払って嫌々シャワーを浴び布団に倒れ込み、次の日の昼を迎えると、すごく虚しい。自分が昨日語っていた自分や、就活を頑張っていた頃の自分と、今の自分があまりにもかけ離れすぎている。こうして時間を浪費している自分がかっこ悪く見える。


 星野源のエッセイ『働く男』を、ほんの少し読んだ。共感した作品として紹介していたメキシコ映画で、星野源は、夢を追う努力を大してせずに周りに当たり散らかす迷惑な男に自分を重ねていた。その登場人物の弟は堅実に真っ直ぐ夢を追い実現させている男だった。迷惑な男に共感ができる星野源が素敵だと思った。
 私がもしその映画を観たら、弟の在り方に感銘を受けて、「私ももっと頑張らないと」とその感動を口にしている気がした。いつも綺麗な方に目が行く。最初はかっこ悪くて泥臭い部分があったとしても、努力を続けて夢を実現させているキャラクターに自分を重ねる。自分はそういう人間だと思う。汚い部分も美化して自分の中に落とし込む人間だと思う。自分を過信して、自分を過大評価している人間だと思う。なんとかして自分を最終的に良い方に当てはめたい人間なんだと思う。
 自分の汚い部分をそのまま見て、言い訳を見つけずに、綺麗であろうと必死になってみたい。出来ない自分は出来ない自分で良いと思い込んで逃げて自分を肯定するのではなくて、もっと貪欲に行動を起こしてみたい。

 好きなことの追求や自分のなりたい自分の実現に向かって、少しがんばってみようかな、と思った日。

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