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文章を書くということ

自分は文章を書くのが好きなのだけど、自分の文章があまり好きではない。
仕事柄、アカデミックあるいは説得性を持たせた文章、或いは少し背伸びした文章になってしまう。まぁつまり偉そうな文章。あとは、言葉選びがたまに独特だな、伝わらないな、と思うこともある。まぁつまり変な文章。

自分の気持ちを素直にストレートに、等身大で文章にしたい。
そのような文章を目にすると、あ、いいな。と思う。
そんな文章は、触れた事実に真っすぐ向き合っているものが多く、余計な比喩や拡大表現は必要ないことが多い。経験の深さ?事実との向き合い方の違い?何だかんだと考えてしまう。

人の生活スタイルは様々だけど、そこで感じることは同じようなものがあるかもしれない。苦しい気持ちや困難を乗り越えた経験を共有することは、誰かを勇気づけるかもしれないし、逆に発信した方も共感を得られ自分を肯定する気持ちが増すかもしれない。

楽しいことや嬉しいことを共有することもまた、自分がどのようなモノゴトに魅かれるのかを明確化でき、その後また同じようなことに取り組むときの解像度が増すようになるかもしれない。「楽しい」とか「面白い」を因数分解していき、自分の感性を探っていくことは、時間と気持ちに余裕がないとできないことかもしれないけど、自己理解の一手段として有用なのかもしれない。

自分の気持ちを表現することって恥ずかしいし、難しい。
そういえば、好きなアーティストの楽曲に「言葉と心」というものがあるのを思い出した。


頭の奥の“もや”を
文字にして ことばにして
音にして 伝える事

僕は君じゃない
君も僕じゃない
それは変えられないから

手探り探して行く
その面倒こそがそう
こころのことば

面倒でもこころに近い言葉を選んで伝えていくことが、自分と違うあなたと向かい合うということなんだと、そう捉えられる曲だな。

話が逸れてしまったけど、自分はこれからもなるべく等身大の文章を書いていきたい。言葉にすることの大事さを、この歌詞をもって改めて感じ、それでも時たま武器になってしまう言葉と、上手く付き合っていこう。

おわり

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