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私の職歴書 vol.4_絶望の失敗体験から学んだ計画を立てることの大切さ
はじめに
こんにちは。
株式会社エイチームコマーステックの望月と申します。
株式会社エイチームコマーステックは、名古屋に本社がある株式会社エイチームのグループ会社で、私は代表を務めています。
私は社会人経験20年以上となかなかのベテランになってきましたが、3年前に設立されたばかりの若い会社で経営デビューし、日々奮闘中です。
そんな経営者として未熟な私が、成長するために様々なインプットや思考を繰り返す中で、気づいたことや分かったことなどを発信するnoteを毎月書いています。
何を伝える記事か
社会人として20年以上働いてきた私は、今でこそ計画や段取り、事前準備を大切にしていますが、社会人のはじめは行き当たりばったりで仕事をするタイプでした。
仕事の進め方を実際に変えることができたのは2社目の楽天に入った30代のころですが、無計画な仕事による不都合や失敗体験は2年目から始まっていました。
この記事では、計画性のない仕事がどのような負の連鎖を生むのか、私の実体験を踏まえて紹介します。
私の失敗体験が、計画の作成に苦手意識を持っていたり、必要性がわからないと感じてる人に、少しでも貢献できれば幸いです。
私の職務経歴
2001年 ファーストリテイリング(ユニクロ)に新卒入社
2008年 楽天に中途入社
2015年 エイチームに中途入社
ファーストリテイリングではユニクロの店長を7年半、全国6店舗を経験してきました。
この記事では、ユニクロに入社して2年目に起きたことを書いています。
楽天や現職のエイチームについての経験は、また別の機会に書きたいと思います。
新店舗への抜擢
ユニクロに入社し、店長として初めて任されたお店を新人にしてはうまく運営できていた私は、愛知県名古屋市に新たに作るお店の店長に抜擢されました。
もともと人に恵まれ、助けられて成果を出してきた私にとって、ゼロから自分でやらなければいけない新店舗の仕事は相性が悪く、あらゆるタスクを渋滞させました。
新店舗をオープンする上で、店長がやるべき仕事は、スタッフの採用育成と売り場作りです。
採用は、新店舗の予測売り上げから曜日別、時間別の要員数を算出し、それをカバーできる雇用形態や時間で契約できるスタッフを確保するのがゴールです。
着任した名古屋は、全国でもトップグループに入るほどの採用困難地域で、採用の進捗を見ながら計画を微修正していかないと要員を満たすことはできません。
それまで採用に困った経験もなければ、綿密な計画を作ったこともない私は、全く集まらない応募にも、特定の時間帯が埋まらない採用状況にも特に危機意識は持てず、お店のオープンに向けて時間だけが過ぎていきました。
もう一つの仕事である売り場作りも苦戦しました。
売り場を作るには、商品のレイアウトから取り扱い商品と在庫数を決めて発注し、納入された什器を組み立てて商品を陳列していくという作業が必要で、考えることも手を動かすこともたくさんあります。
特に陳列作業は、何百種類の商品を数百坪の店内に並べていく作業なので、オープンに間に合わせるためには綿密な計画が必要でしたが、こちらも危機意識が低く、かなりずさんで行き当たりばったりな進め方をしてしまいました。
採用も売り場作りも無計画のまま進めてしまった私のお店は、周囲の店長や上司であるSVの協力でなんとかオープンを迎えられたものの、その後に大きな代償を払うことになります。
止まらない負の連鎖
オープン3日間のセールは開店前に行列ができるほどの大盛況で、その場所にユニクロがあるということを近隣のお客様に知っていただくことができました。
その効果もあって、オープンセール後も引き続き多くのお客様に来ていただけるお店にはなったものの、売上は早い段階から失速していきました。
まず、必要な採用を完結しないままオープンを迎えてしまったため、スタッフが足りませんでした。
スタッフがいなければ、入荷商品が店頭に出せず、お客様が求める色やサイズが欠品して買えません。
店頭に商品がなければお客様はスタッフに在庫を確認するので、数少ないスタッフは接客に時間を割いてしまい、よりいっそう店頭の欠品が悪化していきます。
次に、少ないスタッフを効果的・効率的に動かすための計画がありませんでした。
店頭で扱っている数百種類の商品にも、売れ行きは大きくバラつきがあり、お客様の問い合わせもそれに連動しています。
そのため、まずは売れているものの店頭欠品を埋め、次に週末のチラシに向けた商品を補充する、というように優先順位をつけて段階的に進めるべきところを、手当たり次第に出していきました。
このような無計画な作業によって、少ないスタッフが営業時間の間ずっと在庫確認で売り場と倉庫を行き来するようなお店になってしまいました。
今となっては、多くの問題の根底にあるのは計画と準備不足であることが明確にわかりますが、この時の私はただただ忙しい毎日に流され、落ち着いて深く考えるということに頭が向きませんでした。
毎日を乗り越えて翌日の開店時間を無事に迎えることに必死になりすぎて後始末ばかりだった私は、問題を解消できない状態がしばらく続き、オープン以降2回の誕生日の瞬間を倉庫整理で迎えたことは苦い思い出です。
地獄に仏
結論からいうと、オープンから1年半が経過したころ、お店の運営はある程度の安定軌道に乗り、私はキャリアアップとして更に大きな規模のお店に異動が決まりました。
負の連鎖が止められず、思考停止に追い込まれて毎日を必死に乗り越えてきた状況から、なんとか這い上がることができたのです。
そんな状況をどうやって脱出したのか。
それは、学生も主婦もパートも関係なく、すべてのスタッフが最高のチームとなって働いてくれたからでした。
長らく苦しんでいたスタッフ不足は、自らの意志で正社員と同じくらいの時間を働いてくれた学生スタッフや、ご家族との時間をなんとかやりくりして週末に出勤してくれるママさんスタッフの協力によって最悪の状況を抜け出すことができました。
それでも正社員や準社員については、全員が朝から深夜まで連日働いてもらうこともあり、とても過酷な勤務であったにもかかわらず、最後まで付き合ってくれたことも大きく、今でも感謝してもしきれません。
また、スタッフの当事者意識の高さは、出勤面だけではなくスキルの面でも表れており、誰もがほぼすべての業務を習得したマルチプレイヤーであり、近隣でも珍しいハイレベルなお店になっていました。
どれくらいすごいかというと、当時はお店の生産性を人時売上高(当日の売上÷当日の総出勤時間)という、「スタッフ一人が一時間あたりいくら売り上げたか」という指標で測っていたのですが、全国のユニクロの標準に対して、私のお店では2倍を超え3倍近くになる日もあり、それでも営業を無事に終えられていることを不思議に思った周囲の店長から、よく問い合わせを受けていました。
最後に
どん底に落ちた私とお店を救ってくれたのは間違いなくスタッフでした。
しかし、この時の私はそれを理解できず、自身の強みがチームビルディングであるとしばらくの間盛大に勘違いし続けることになります。
一見すると成功体験に見えるストーリーですが、実際はスタッフそれぞれの出会いと、その想いが一致した奇跡のチームが生み出した成果であり、私自身の能力とはかけ離れたものでした。
この、再現性がかなり低い成功体験で自信をつけてしまった私は、それからしばらくの間、自分の強みがわからずたくさんの苦労をし続けることになります。
現在の私は、むしろチームビルディングやマネジメントが得意ではないという自己分析をしており、当時とは正反対の評価です。
20年の間になにがあってそうなったのかについても、機会があればnoteに書こうと思います。
長文にお付き合いいただき、ありがとうございました。