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私(INTJ)の友人関係についての発見

 実はこの2年間ほど仲の良い友人にMBTIを聞きまくっていたのですが、その中で面白い発見があったので記しておきます。

*本記事には毒親要素が含まれます。ご注意ください



はじめに

 自分の交流関係は広くもなく、かといって過度に狭くもなく……といった具合です。小学校から変わらず、大体毎年クラスに仲がいい子が1、2人、運が良いと5〜8人くらいいて、その子達とのんびり過ごすという状況が例年の流れでした。

 で、ですよ。その小学校〜高校(大学は漠然とした繋がりすぎるので割愛)の友人のうち何人かは現在でも新年の挨拶やら誕生日のお祝いやらをする仲にあるので、思い切って「MBTIやったことある?」と聞いてみたわけです。

小学校編

 まず、小学校時代の自分の交流はまさに「狭く深く」が第一優先でした。
当時は部活に入ることもせず(正確には毒母に入った後辞めさせられたのですが)ひたすらに部屋で絵と音楽と読書に勤しんでいましたから、余計に合わない人と一緒にいるなんて耐えられない!みたいな子でした。
当時は「逆にこうじゃない人とかこの世に存在するんだろうか」くらいに思っていましたが、今考えると大分攻めてますね。両親ともにエセ陽キャなのにこの考えに自然と至るあたり自分らしいです。

 さて、そんな私にもありがたいことに友人はいました。
(というか明日一緒に遊びに行くその子達がまさにそうです。楽しみ。)
あまり積極的に交流関係を築こうとしていたわけではないので、人数自体は両手で足りるほどなのですが、この子達にMBTIを聞いたらなんとほぼみんな『NJ型』でした。特にXNFJ。なんてこった。

 小学校時代はガチガチに「気の合う人以外とは関わらない」を疑いなく徹底していた自覚はあるのですが、まさかMBTIすら揃うとは思いませんでした。結果的に成人しても連絡を取る仲なので、自分の合う合わないのセンサーはなかなか感度が良かったのかも。
Fiを今よりうまく扱えている気すらする。

中学校編

 小学校と中学校の大きな違いは部活ですかね。
自分は大人数のチーム戦な部活に入っていたので初期は大変でした。
しかし、最終的には学年問わず大団欒みたいな雰囲気だったので、個人的には人生で最も良い時期だったと思います。

 当然ですが今まで心を鎖国していた自分も、大人数の中でやっていかなければならないとあれば、よくわからない諸外国に門戸を開けざるを得ません。中学時代は人生で1番人間関係に心血を注いだ時期だったと思います。というか、今振り返るとかなり無理をして人と接していました。

 そんな自分の中学時代の友人は『SJ型』がやや多いです。
当時「自分には人間関係を築くための何かが足りてないな……」みたいなことを考えては落ち込んでいた記憶があるのですが、今ならわかります。
多分、圧倒的にS型の「気」が足りないのです。
当時は思いやりが足りてないんだろうか(実際足りてないと言われるけれども)と思って滑稽なピエロかと自問自答するほどニコニコしていたのですが、おそらく根本的に足りていないのはS型の精神ですね。

 これは自説なのですが、3割しかいないマイノリティなN型は他7割を占めるS型を、女性に少ないT型の女性はF型を、それぞれ交流関係の便宜上、どうしても習得せざるを得ず(それもかなり早い段階から)、そうでなければ、いじめに遭ったり、人間関係の構築がうまくできない……
 しかもこの時期だと、まだマジョリティ側はわざわざマイノリティの考え方に目を向けたりしない(劣等機能にあるNの必要性など感じない)ことが多いので、必然的にN型や女性T型だけが四苦八苦しながら「普通」のS型社会に馴染もうと必死になる……
なんて現状がある気がしています。

私のこの時期の異様な苦しさもここにあるんじゃないかなぁ。
確かに友達が倍増し、外出の機会も増えて充実していましたが、そのほとんどと卒業後に縁を切ったというのがやはり答えな気がします。
中学卒業後何とか第一志望に受かった私は、そのまま高校生になります。

高校編

 さぁ高校では再び鎖国政策に帰るのですが、この時期は

☑️家庭(不登校の弟とそれに怒鳴り散らす父、家事を放棄する母)
☑️部活(テスト期間にも関わらず部員に無断で部活の予定を入れる、意見がまともに取り上げられない等ブラック気味だった)
☑️コロナ(外出できずに精神を病む)
☑️体調不良(以上のことによる不眠、家のご飯のほとんどがレトルトになる)

の四重苦でしたので、正直小学校時代の穏やかな鎖国ではなく、戦火舞い散る中、必死に扉を押さえつけているような籠城戦でした。
はっきり言ってしまえば人生最大の暗黒期であり、青春を返してなぞと言わないから、もう2度とあんな目には遭いたくないというのが感想です。

 そんな荒れ果てた心の人間にも友達はできました。
なんなら、人生で初の「毒親について語れる友達」ができました。
高校が「良くも悪くも、地元で有名な頭のいい、おしゃれな学校」でしたので、必然的に持っている子がいる可能性が高いのです。「学歴差別毒親」を。

 そして、その友人と話しつつなんとなく気の合う人同士5人組ができたのですが、ここでも全員『N型』でした。高校時代にできた友人のうち、ISFJの子1人を除いてあとは全員N型です。
小学校時代と異なるのは、自身のFiの成長によって、NP型の子ともなんとかうまくやれるようになったことですかね。
しかしどこまでも自分はN型が好きだなぁ。

まとめ

 MBTIは科学的根拠に欠ける、という説をここ最近は信じていたのですが、今回の私の事例だけを見れば、案外そう簡単に「ない」と言い切ることも同様に軽率な気がします。
確かに、本人の行動基準の予知装置として扱うことは難しいと私も思いますが、一方である一定の指向性、価値観みたいな傾向については議論の余地があるのではないでしょうか。
ということで今回の記事を終わります。


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