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“甘える”のがむずかしい。

長女の性なのだろうか。“人に甘える・頼る”という行為が本当に苦手だ。
ちょっとキツイと思っても無理して頑張る。
そもそも、人を頼るよりも自分でやった方が早いなと思う。加えて、自分のせいで他人に負担をかけることに引け目を感じているのだ。

仮に困っていたとしても、周囲に「今私ピンチです!助けてください!」というヘルプサインをどう出せばいいのかがわからない。

だから『あざとくて何が悪いの?』とかを見ると、「可愛いな」と思う前に「つくづく世の中の人は誰かに甘えるのがうまいよなぁ」と感心しまくり。

思えば私は、昔から我慢グセがある。
小学生の頃、よく両親や祖父母に「長女なのだから/いとこ内で一番年上なのだから我慢しなさい」と言われ続けてきた。最初は「なぜ自分だけが?」という怒りの気持ちもあったのだが、習慣とは怖いものでいつの間にか私の思考回路は“他人の幸せが自分の喜び”という考えに変わり始めていく。気づけば色んなものを弟やいとこたちに譲っていた。そしていつの日からか周囲の人を気に掛けるのが自分の役割だと思うようになっていった。周りから見ればだいぶ使いやすくて大人びたガキだったはずだ。

中学・高校に上がると、家族だけでなく友人にもいろんなものを譲り始める。遊ぶにしても、何か食べるにしても全ての選択権を友人任せ。
せっかく友達と過ごすのだから、友達には笑顔で気持ちよくすごしてほしい。そのために私が取るべき行動は友達と合わせることだと信じていたのである。
友達と合わせることは私にとってそこまで苦ではなかった。友達が喜んでいる顔を見るのが私にとって何よりも嬉しかったから。「周りを見れる自分」というのに酔っていたのかもしれない。

他人の気持ちに寄り添えるという性格も相まって、私は友人内で「みんなのお母さん」的な立ち位置を確立していった。私はそのポジションを誇らしく思い、自分の役目を全うしようと一生懸命頑張っていた時期もある。

しかし、就職活動で自己分析をしていく中で、私はふと気づいたのだ。
「人に合わせすぎて自分の正解がわからなくなっている」ということに。
他人を優先しすぎて自分が見えなくなっているのではないか。
自分の心を封印してまで相手に合わせてしまっているのではないか。
私は他人が大変そうにしているときは気づくのに、自分の大変さには全く気付けない。自分のしんどさや辛さ・痛みを見て見ぬふりをし放置した結果、ある時私のキャパが爆発した。そして私は心身ともに限界ギリギリの状態まで追い詰められてしまったのである。

“早く大人になってしまった子”というのは、その分自分の気持ちを素直に表すのが下手な傾向にあるらしい。私はまさしく“早く大人になってしまった子”なのだろう。成長していくにつれ素直に自己表現ができない人になってしまった。
だからこそ今回ボロボロの状態になったことで、初めて自分の正直な気持ちを知れた気がする。

ただ、元の状態に戻るにはだいぶ時間を要した。
今までの疲れや負担が一気に自分の体に押しかかってきたのだから無理もない。
一時は限界すぎて再起不能なのではないかと思っていたが、周囲の人々のサポートもあり現在では元気になった。

他人が喜ぶ顔が好きで、そのために自分が頑張ろうというスタンツは今も昔も、たぶんこれからも変わらない。ただ、他人ばかりを優先させるのではなくもっと自分を顧みることも大事だと感じた。どん底の状態になってみて初めて「人に頼ったり、甘えたりすることの重要性」を学んだ。

相変わらず正しい甘え方・頼り方はわからない。だけど、周りを見渡せば、自分のことを気にかけてくれる人がきっと誰かいる。彼らに話をちょこっと話を聞いてもらうだけでも心は軽くなるはずだ。
甘えとは若干違うのかもしれないが、そういうちょっとしたところからでもやってみたい。

私たちはもっと自分の心に素直になってもいいのだ
心がパンクし、自分を見失う前に定期的に人を頼って息抜きしていこう。