大きな愛に包まれて
「あたしのパパ、死んだの」
3歳の頃、わたしは父を無かったことにした。
そこから20年間、
男性を信用しなかった。
◇----
このタグを見かけ、数年ぶりにnoteを再開したことを機にせっかくなので何か書いてみようと思ったのだが、
振り返れば、「ゆたかさ」なんていう温かい言葉とは程遠い人生を歩んでいた。
幸せから目を背け、
ときには幸せそうな人を羨み、
どこか心の冷めた人間だった。
夫と出会うまでは。
◇----
物心ついた頃には、とっくに父はいなかった。
最後の記憶は、父が母を殴っていた光景。
母は私が生まれてすぐ、父の浮気で離婚した。
母にその詳細を聞いた記憶は全く残っていない。
しかし幼稚園で父の日の絵を描くとなったとき、
担任の先生に「父は死んだ」と言ったらしいと、
のちに母から聞いた。
きっと、
たった3年しか生きていない少女だった私には、
父は死んだのだと思うほかに
自分の身に起きている状況を把握する方法がなかったのだと思う。
それから歳を重ね、
小学生の頃には自分の置かれた状況を理解していたが、
そうして頭で理解してしまうにつれて、
男の人は信用できないものだと思った。
どんな素敵なドラマを見ても、
どんな人気のマンガを読んでも、
こんなのありえないと冷め切った自分がいた。
◇----
「ねえ、なんで彼氏作らないの?」
そうして20数年もの間、「恋愛」から逃げ続けていた私は周りから見たら浮いていたのかもしれない。
ときに友人からの好意を感じることがあっても、なんとなく交わし逃げた。
「友人」であれば一生がありえるかもしれないが、「恋人」になったら一生はないという恐怖に襲われ、とにかく逃げ続けていた。
女子高、女子大に行き、
仕事も編集者という忙しい仕事につき、
どんどん言い訳だけを増やし。
ただただ、もう自分の前から
人が消えるのが怖かったわたしは
必死に誤魔化し続けた。
◇----
そんな人生の中、いまの夫と出会った。
自分でもいまだに嘘みたいと思う話なのだが、
出会って5年以上、彼は毎日毎日
「幸せ」「愛してる」と言う。
ドラマやマンガ以外で見聞きしたことがなかった、そんな嘘くさい言葉を
「だって思ったことは口に出さなきゃ」
などとケロっと言い、恥ずかしげもなく発する。
きっと彼は、
わたしには想像できないほどの
たくさんの愛に包まれて
生きてきた人なのだと思う。
私の人生とは真逆のような
とても温かく「愛のゆたかな」世界に
生きていたのだと思う。
氷のようだった私の心は気づけば
そのあたたかさによって溶かされていた。
幸せの感じ方を知らなかった私はいつのまにか
彼の言葉につられるように「幸せ」と思えるようになっていた。
◇----
ゆたかさとは、
かたちのない漠然とした言葉に思えるが、
私は紛れもなく、
彼の「ゆたかさ」に救われた。
ゆたかさとは、
連鎖していくものだと思う。
ゆたかさとは、
ときに人を救うものであると思う。
私は彼のゆたかさによって、
人生の色を変えてもらった。
いまなら胸をはって言える、
「私はいま、幸せである」