もういない君の姿を探して
先日、三浦春馬さんの訃報について
ここに記した。
才能ある芸能人の死でさえ
今でもなかなか信じられないが、
まさか自分の身近に同じことが起こるなんて
あの時は1mmも考えていなかった。
ココに書き記した直後、
身近な人にも同じことが起こった。
きっと三浦春馬さんの周りにいた人も
何度も何度も思ったであろう、
「どうして」
「なにが辛かったのだろう」
「彼を救うことはできなかったのか」
その想いに襲われ、
しばらく心が迷子になった。
◇
彼とは去年まで同じチームで仕事をしていた。
異動してしまってからも、よく社内で会い、
挨拶と少しの話をしていた。
しかし最近は食堂でたまに見かけるくらいで、
話をする機会がなかなかなかった。
そうしているうちに新型コロナウイルスにより
こんな世の中になってからはテレワークも増え、
見かけることもなくなってしまっていた。
7月の上旬、
ふと、彼のフロアに行ったときに
彼のデスクのほうを見ると
部署ごとガランとしていた。
「最近見かけないなあ、、、
テレワークしてるのかな、元気かな」
と頭をよぎった。
しかし、そう思っていたときには
すでに彼は亡くなっていたのだった。
その数日後に社内の掲示板で知り、
事故にでもあったのかと思ったが、
違うと知り言葉が出なかった。
◇
彼は、
中途で入った会社での同期であったが
私よりも年齢は5つ以上年下で、
まだまだ若いのにどこか達観した
落ち着いた男の子だった。
私が業務での揉め事の間に挟まれ、
かなりストレスを抱えてしまっていたとき、
「大丈夫ですか?」
「ツノさんはなにも悪くないのにね」
彼からのその一言に
すごく心を救われた。
張り詰めていた心がふっと軽くなり
こんな年下の子に救われるなんて、と
涙が出そうになり、
「ありがとう」
と返すので精一杯だった。
◇
三浦春馬さんは、
「優しい」人であったという報道ばかりをみる。
とても周りが見え、相手が欲しい言葉を
かけられるような素晴らしい人だったという。
そんな三浦春馬さんの記事をみるたびに
姿が重なってしまうほど心の綺麗な人であった。
私自身、彼の言葉によって
どれだけ救われたか分からない。
誰にも気づかれない、
気づかれまいとしていた心のモヤに
どうして彼は気づいたのだろうか。
きっと私の他にもこれまで
心を見透かされたように
優しい言葉をかけてくるその存在に
助けられた人がたくさんいたことでしょう。
外ですれ違ったときに
目を細めて柔らかな笑顔で
挨拶をしてくれる姿
食堂で1人でも手をしっかり合わせて
いただきますと口を動かしてから、
食事を始めてる姿
心の綺麗な少年だと
何度思ったことか。
だから彼のことは異動後も
なにか存在が気になり、
時に癒しをもらっていた。
◇
あの時の感謝の言葉も伝えられていないのに、
どうして1人でこの世を去ってしまったのか。
どうして心の綺麗な優しい素晴らしい人が
この世を去らなくてはならないのでしょう。
いくら願っても考えても
存在は戻ってこないことは分かっているが
まだある彼のデスクや名前をみるたびに
時間が止まっているような感覚に襲われる。
これから先、
もう誰ひとりこんなかたちで
失いたくない。
後悔のない人生なんて難しいが、
優しい彼らを忘れず彼らの心の分まで
周りの人を大事に感謝をして生きていこうと
改めて心に誓った。
この世には優しい人が必要です。
どうか来世も優しいあなたのままで。