2020お盆休み1日目
今年の初春から放置していた荷物の片づけから始まりました。
その荷物(段ボール)には、主にドイツ留学時代の思い出の品が入っていて、最終的にほぼ全て処分することにしたのだけれど、念のため一通り中身をチェック。
すると、当時の日記をポロポロ発掘。練習を兼ねてドイツ語で書いてあるものもあり、自分の努力、健気さに我ながら嬉しくなりました(笑)
一方で、淡い恋心やら、なかなかドイツ語が上達しない自分へのいら立ちやら、自分の気持ちの深層部分に関してはやっぱり日本語で吐露していて、中にはポエムチックなものもあったりして、恥ずかしくもなりました。
でも、割と思いつめたように書いていることが、その日記を読むまではすっかり忘れていて、読んでも心の痛みがぶり返すようなこともなく、きちんと過去のものとして乗り越えられているんだなという安堵感も同時に味わいました。
そんなことを感じていたら、ふと思いついたこと。
絵日記をかく(など、自己内省をする)ことは、インプットとアウトプットの中間の状態みたいだということ。
これを思いついた時、頭の中に湧いたイメージは宇宙。
自分=地球、
自分を取り巻く外側の社会、「私(private)」に対する「公(public)」は無重力の宇宙空間
で、
自己内省している状態は、大気圏にいるということなのではなかろうか、と。
自分からは一歩離れ少し客観視はしているものの、完全に分離しているわけではない。ちょっと曖昧な状態。
この状態の時は言葉遣いや理論が粗削りでも仕方がなくて、
私が、完全な宇宙空間(公・public)で表現する前に気持ちや考えを絵日記にかく、
noteを書く時に一定のプロセスを踏む(詳しくはこちら⇒私のnoteの書き方)のも、
それゆえなんだとガッテン!しました。
だから何っていうことはないけれど、自分の中では腑に落ちました。
そして、この時の自分の状態を掴めた感じがして、また少し自分理解が進んだ気がします。