何の変哲もない Love Songs
KANさんがいなくなってから、そろそろ1年が経つ。
以前、noteで書いた差し入れの店は、今春、閉店しますよ、というメールが入り、予定通り5月頃に閉店した。最後にもう一度、と思い注文しようとしたら、想定以上に注文が入ったようで、すでに受付が終わっていた。いずれ再開するかもしれないとのことなので、その日を待とうと思う。
さて、KANさんの出したディスコグラフィーである数多くのシングルやアルバム。その中には、入手しにくいものもある。特に活動休止して渡仏、3年ほどの休止期間の直後に出した弾き語りアルバム「何の変哲もない Love Songs」は、オフィシャルサイト開設記念に出された限定盤で、現在では入手が困難になっている。レーベル名は「KIEV RECORD」、名義もKANではなく、本名の木村和(きむら・かん)。このアルバムには、「何の変哲もない Love Song」「東京ライフ」「君が好き胸が痛い」「牛乳のんでギュー」「君を待つ」「月海」「50年後も」「雪風」の8曲が収められている。
愛する人への何気ない日常の大切さを歌った「何の変哲もない Love Song」、上京したころの都会の殺伐のなかで生きる「東京ライフ」、長い片想いを語った「君が好き胸が痛い」、脱力系ラヴ・ソングの「牛乳のんでギュー」と続くわけだが、後半に収められている「月海」と「50年後も」は、KANさんがいない今となっては、辞世の句のようにも感じるし、聴いていて心を揺さぶらされずにはいられない。このアルバムが出た当時、KANさんは47歳で、今の私とそう変わらない歳なんだけれど、ここまで諦念の観があらわれた曲をかけるとは。
「月海」では、こんなフレーズから曲がはじまる。
「♪ひとつひとつ散らばった思い出をすべては運命だと 割り切ってみるにはまだ若すぎる」
そして、
「♪君はいないんだね 君はいないんだね それが現実ならば 奇蹟など起こらない」
「♪そしてこれからぼくは いったい何をうたえばいい」
で締めくくられる。
続く「50年後も」では、
「♪明日の朝 もしも僕が死んでいたら 君はどうする」
で始まる。
これは、正直びっくりする歌い始めだ。「月海」のあとだから、余計にびっくりする。
最後の曲は「雪風」。
すべてがなくなったあと、すべてを包む雪。
このアルバム、2005年にリリースされたのだけれど、その後のKANさんの方向性が、しっかりと打ち出されているように思えてならない。
彼をこんな気持ちにさせたのは、いや、ここまですべてを悟った曲を詰め込んだのは、「愛は勝つ」の大ヒットによるのではないかと、私は思っている。若くして、大ヒット曲に恵まれると、一発屋と呼ばれないようにと、次もヒット曲を作らなければ、と思うアーティストもいる一方で、KANさんはそうではなかった。そこそこ経済的な余裕も生まれたし、自分の好きな曲を書こう、そして自分をわかってくれる人が聴いてくれればそれでいい、そう思ったのではないか。そして、フランスへ行き、音楽院に通ったのも、純粋に自分の夢に正直だったのだろう、と思う。その後、リリースされた「何の変哲もない Love Songs」は、あと、自分にできることって何だろう、実はやりたいことはだいたいやったかな、という感じがして仕方ないのだ。
KANさんがいなくなったことは悲しいことではあるけれど、このタイミングがKANさんにとって不幸だったかというと、そうは思えないのだ。やりたいことをやって、きれいなカタチで、みんなに忘れられないカタチでいなくなったのではないかな、と思う。
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