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2024/2/4(お気持ち)

ツユ LIVE TOUR 2024『革命前線』の東京夜公演に参加しました。先に明言しておきますが、ファンではありませんし、今回のライブで凄く萎え散らかした側の人間です。また、誤解がないように書いておくならば実演良かったです。曲はこれからも聞いて良いのかもしれない。
ツユのことはプロセカに楽曲を書き下ろし『どんな結末がお望みだい?』をきっかけとして知りました。そこから気になりつつも流れてきた曲は聞く程度、情報も横目で見るという距離感で接していました。
ライブ参加の経緯としては、今回のぷすの大暴動でツユが活動休止すると聞いたことが最初でした。その次に「推しは推せるときに推しとけ」という言葉があるように(ツユは推しじゃないけど)気になり様のままだと良くないし、ぷすが何語るか気になる〜という野次馬的思考も芽生え、参加することにしました。1人で知らん空間に飛び込むのはしんどいということでメジャーやインディーズ問わず沢山のライブに足を運んでいる友人を誘いました。
結論から言うと、こんなに後味が悪いライブは初めてでした。私はライブやコンサート、クラブに足繁く通うタイプではなくて、会場の中で皆で同じ曲を聞く経験は、全体を通しても今回が人生で7回目でした。ですが、その数少ない経験値の中でも群を抜いて表現しがたい気持ち悪さに駆られました。歴戦の猛者である友人も現地で発言する際の言葉選びに悩んでいたので価値観にズレがなくて安心しました。

何が後味の悪さに起因しているのか、自分の中で反芻し、友人と会話を重ね、結論に至りました。今後の備忘録のためにも書いておきたくnoteを書いています。やっと本題です。一番書きたかったのは第二に、以降です。長い。

第一に、世界観に溶け込めなかったということを挙げます。先にも書きましたが、ファンではないものの今回のライブ開催決定前から何曲か曲は聞いていました。知ってる曲が演奏されれば誰だって盛り上がります。とあるタイミングで2曲連続で好きな曲が演奏されて私もテンション上がりました。しかし、その後演奏が続いていってツユナーの方々のテンションがあがっていく状況についていけませんでした。曲知らないからじゃん!という反論をされそうですが、知らない曲だって盛り上がれます。空気感に圧倒されて、体が動く経験を私はしています。斜に構えたきっかけでライブ参加を決めましたが、アンチをしたくて金を払ったわけではありません。盛り上がろうとしています。それでもついていけなかった。その決定打として挙げられる曲目が『いつか大人になれるといいね。』でした。この曲はそれまでの演奏群の中で1番の盛り上がりだったと感じました。合いの手があるというのもそうだし、キャッチーな曲で盛り上がるのは必然だと思います。それでもあの時点で1番というのは皮肉だなと引いてしまいました。一連の騒動を知ったうえで聞けばわかる。

第二に、アンコール関連全て卑怯だったということを挙げます。最初のぷすの『下剋上』歌唱。私は単純で純粋だからひとりで活動する!の意思表示かなって思いました。歌詞からして成り上がってやる!っていう表現なのは伝わったし、事前に活休(もしくは解散)という情報があるわけで、そんなタイミングのアンコールで礼衣さんではなくぷすが歌ったということはツユという枠を外れるぜ!というふうに捉えるじゃないですか。歌唱後はぷすの謝罪と釈明。ヘラヘラして開き直って何様なんだ?という気持ちでいっぱいでしたね。土下座してましたけど、土下座って普段各所でネタにされるくらい軽いんですよ。その後もぐだぐだ色々言って、その後のmiroさん礼衣さんからの釈明もあったけど、3人総じて何様なんだ?の気持ち。あんなに舐め腐った対応で許されると思うのもおかしいし、許すファンも酷い。ただの不安を煽った炎上商法じゃん。性格だから治らない、たぶんまたやるって言ってましたし、よくこれでファン盛り上がれてたよね。
どのタイミングかは忘れましたが、アンコールは東京公演が初って言ってるのも耳を疑いました。だって野次馬根性の気になり様の私と違って心配するファンは全国にいたわけでしょう。元々チケット取る気はなかったけど、活休が心配で不安でとにかく行ける範囲の公演を申しんだ方もいたわけでしょう。そんな方々への弁明はなし。ガーーーっと歌いまくってツアー新曲を歌ってはいおしまい。弁明も東京公演に行かないと聞けないわけで、いくらえっくすくんで解散しません書いてたって東京不参加ファンはどういう話があってそうなったのかわからないまま。解散しません!って投稿したり、ぷすの土下座を投稿したりするくらいなら正式な文面くらい出せば良かったんじゃないですか?

第三に、ユニット全体として活休・解散という言葉の重みを舐めてることを挙げます。ぷすの畑って合成音声&歌い手界隈だと勝手に思っているのでそれを前提に話を進めます。この界隈ってインターネットが基盤だからこそ、突然の引退や失踪、曲削除(非公開)、断りなしの活休が当たり前、にしたくはないけど当たり前だと私は考えてるんです。そんな界隈に身をおいていたら、いやおいていなくても1度でも活動していたら、活休・解散の重みって理解できると思うんですよ。1度発言したんだったら解散しろ!とまでは言わないけど考えの整理目的で活休しても良かったんじゃないですか?だらだら続ける人間が運営するユニットが、小さなライブハウスで頑張ってるバンドやユニット、動画投稿サイトで評価されずに藻掻いている方々よりも上にいて、評価されているという現実が受け入れられません。

あの空間にいて新規やライトリスナーが推そう!っていう考えにならないと思う(実際にライトリスナーの私はしんどかったし、ド新規の友人も無理って言ってました)し、炎上商法だから定期的にコアファンが離れていく(これも実際にツユの投稿をリポストした直後からおすすめタブにファンの投稿が流れてきていて、その中に今ツアー/今騒動を持って降りると書き込んだ方を複数見ました)と思います。今後数年後数十年後どうなっていくのか、これだけは気になります。

なんだかライブに行ってから自分が信じる音楽観が否定されてしまったような気がして能動的にリスナー活動ができなくなってしまいました。何をしたら気力が戻るんでしょうかね。時間でしょうか、それとも私の音楽観を担保してくれる音楽との出会いでしょうか。とにかくこのまま地団駄を踏んでいても私の負けな気がするので気楽にリスナー活動を続けていきたいです。


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