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日々のさえずり3

ここ数年海の写真をよく撮っている。ちょっと遠いけど程よい運動と思えばちょうどよく住まいから歩いて行ける距離で、その場所で過ごす時間が日々を生きる心の拠り所でもあった。

2024年の元日も当初の天気予報に比べて晴れていたので、日が沈む前に海へ行こうかと話していた。昼過ぎに彼がうつらうつらと眠ってしまい、一人で行くことも考えたのだけど思い留まって録画していた『響け!ユーフォニアム』を観ていた。観終えてぼんやりしていた頃合いでゆらゆらと部屋が揺れた。彼は起きない。わたしは念のため、という気持ちでテレビをつけた。

遠くのニュースや出来事に心がちりちり痛むとき「今、目の前に降りかかっていないだけで、いつか自分にも起こることなのだろう」と思って生きていた。大抵の災難は避けることができないし、できる限りの備えをするぐらいしか自分にできることはない、と。

あの日、間をおいて二度目の揺れ、そしてすぐさま大きな三度目の揺れのあと、NHKのアナウンサーがテレビのむこう側から「今すぐ避難!!!」と強く訴えるその時まで、本当のことはわかっていなかったと痛感する。どれだけ想像することが上手になっても、実際にその状況になってこそわかることは溢れるほどある。それを、日々生きることに必死になってすぐに忘れてしまう。

もしかしたら帰ってこれないかもしれない、と思いながら家を飛び出た。近くに高台がないのでやむを得ず車で避難したのだけど、同じく避難しているどの車両も信号を守り、いつも以上にみな道を譲り合う。海に沈んでいく太陽が照らす空はおそろしいほど美しくて、助手席で躊躇いながらもシャッターを切った。写真はまだカメラの中に眠ったままで、今のところ現像しようとは思えない。

避難所でお菓子パーティーをする賑やかな家族、かたや一人きりで眠るご老人、あるだけのポットでお湯を沸かしてくれているコンビニ、ちらと目に入るSNSのタイムラインでは各地の人々が動揺しながらも寄付という祈りを行ってくれている。

深刻な被害が少ない地域だったので、津波警報の解除と共にみな表情は強張りながらも普段に近しい生活に戻っていった。翌日買い出しで訪れた大きめのスーパーでは予約販売の正月用オードブルセット受取がつつがなく行われていた。その近くの入り口付近には防災グッズがワゴンに展開されており、「ブルーシート・ポリタンク・ケースの水は完売です」と書かれた案内が吊り下げられている。

何機ものヘリコプターが上空を飛んでいく音がする。夜になってもずっと。何かしらのサイレンも日がな一日鳴り響いていた。ご近所さんたちはいつもはしない井戸端会議で不安をかき消すようにおしゃべりをする。

寝ても覚めても後頭部のあたりがひとつも休まっていない感覚が残り、身体が緊急事態モードのまま今まで過ごしている。きっと誰もがそうなのだろう。「大丈夫、そんな心配せんでも大丈夫やって」と楽天的なことを言う父も、そうやって自身を守っているように見える。

人命救助のために危険な場所で最善を尽くす人々、その地で情報を発信し続ける人々、助け合い寄り添う人々。誰もが「生きる」という一点に向かっている。走っているか歩いているか、はたまた立ち止まっているかは別として、みなの向く先は同じ。

三が日とは呼べない三日間が終わり、今日から出勤という方も多かったと思う。わたしもそう。普段もそうだけど、休んでいる人が多いなかで働いている方々に改めて感謝の気持ちを。この三日間の中で出会った働く人々にはいつもより大きく「ありがとうございます」と伝えた。大々的に取り上げられることは少ないだろうけど、当たり前じゃないその事実にたくさんの人が救われています。


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