日々のさえずり2
「写真でさ、“映え”はすきじゃないけど、ある種のわかりやすさは必要なんだなと思って」と、彼が言った。ここ最近自身が撮影した写真を現像していて思うことがあったらしい。昨今の“映え”はあくまで定型文やひな形みたいなもので、だから結果としてわかりやすいけど、そうではないわかりやすさというのは伝えるための誠意に近いと思う。もちろんだけど「わかる人にだけわかってもらえればいい」と思うことが誠意がなくて悪いというわけではない。そういう気持ちでいることも結構あるし、それで十分な写真もたくさんある。それはまた別だ。わかってもらえないことを嘆くのであれば、相応にできることをするべきだと思う。
「年末年始はどう過ごそうか」についての大きな方向性がついに決定した。ウォーキングをすること、身体に負担の少ない食べ物を食べること、たくさん寝ること。つまり、健康的な生活をすること。普段のお正月と真逆の目標が出来上がってしまい、「ちゃんとできるだろうか」と不安になっているのは多分わたしだけではないはず。
日常的に「どうでもいい話」をするのが割とできない。所謂雑談のことなのだけど、自身の情報を適度に開示し不快に思われない程度の距離感を保ちつつ相手になるべく喋ってもらうよう事を運ぶ、みたいな一連が上手じゃない。「自身の情報を適度に開示する」の時点で不得意で、そもそも自分のことを知ってもらわなくていいしな…という気持ちが奥底にある。透明人間になれたらいいのに、と思うこともしばしば。
そんななので交友関係は当然狭く、親しい人はごく少ない。けど、まれに奇特な方はいて、湖の奥底に隠れて生きているようなわたしを見つけて根気よく覗き込んでくれることがある。そうやってくれる人に救われている。わたしもいつか、と思う。
うつくしい心、は決して無知からは生まれない。
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