日々のさえずり 6
朝、いつのまにか明るくなっている。
つい一か月前は真っ暗だった時間、今ではそこそこの高さまで陽が昇っている。そうか、もう立春も過ぎているし、冬は遠のいていくばかりなのか、ということに気付く。冬がけっこう好きなのと、春に向かうこれからが苦手なのでほのかに苦しい。
出汁をとることがたのしくて仕方ない。カメラをはじめた時に近い何かを感じる。目の前の世界がこれまで見えていたものとは違う別の何かに塗り替えられるように、料理という行為すべてが新鮮でたのしい。大量のおでんを仕込むことも、はじめての時はやれ下茹でしたりやれ油抜きしたりと手間取ることもあったけど、2回目は少し慣れてお手製牛すじ串まで準備できた。ちょっといい練り物も金沢で買ってきた。とてつもなくほくほくしてしまう。大きな鍋にひたひたになったおでんたちを見ると、なぜか心まで満たされる。
自身の同一キャプションの投稿を一定期間で区切って振り返りまとめて投稿する、という総集編みたいなことを何度かやってみている。
こちらが直近の投稿。
当初は名刺代わりの気持ちでまとめていたのだけど、今回(3回目)は前回までとの違いが見えてきて単純に自分のためになるなぁと思いながら眺めていた。
ぱっと見てわかる違いとして鮮やかな写真が割と増えている。過去2件はくすんだようなトーンで統一されていたけど、今回はトーンがちょっと違う。明確な違いとして、別メーカーのカメラを使用した写真が混在しているからではあるのだけど、かなり「ふつう」で見たままの色に近付いた気がする。そのことを以前から自覚はしていて、ここ最近色味についてお声掛けいただくことはほとんどなくなったのだけど、個人的には向きたい方向へ体が向いている感じがして心がすっきりしている。色はすごくすきで、すごく大事に思っているけど、どんな風に大事にすれば自分の思う写真にとって丁度いいのかようやくわかってきた気がする。
ちょっと前のことなんだけど、よく足を運ぶ公園の生垣がすっきりなくなっていた。ある一角、10m程がぽっかり広々としていたのだ。理由はわからない。今後何かをするためかもしれないし、危険と判断されて取り払われたのかもしれない。わたしが責任を負う範囲の出来事ではないし、何か思い入れがある生垣というわけでもない。けれど、なんとなくわたしの心もぽっかりとしていた。それだけは確かだった。
そういうことがそこらじゅうであって、その度大なり小なり心はぽっかりとする。自分が思っている以上に「自分」という存在も世界における現象の一つのようなもので、周囲のさまざまなものと影響し合い混ざり合いながら存在しているのだ、と思った。
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