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「いじめられるほうも悪い」って本気で言ってる?~言いたいことも言えないこんな世の中じゃ~

いじめがニュースで取り沙汰されると、決まってこういう人が出てくる。

「いじめられるほうにも非はある」「なにもいじめた側だけの問題ではない」

さらにいじめがエスカレートして、事件性を帯びてくると俄然、

「自分たちが子どものころだっていじめぐらいあったが、ここまでの大問題にならなかった。今の子たちは心が弱い」

本気でそう思っているなら、それこそ大問題である。

他人に対して腹が立つ気持ち、優位に立ちたい欲求、――そんなものはきっと誰にだってあることだ。だからといって、「いじめられるほうにも非はあるはずだ」とする考えは受け入れられない。個人的に、そう思う。


予想外の部活入部

わたしは幸運なことに、いじめというものを身近に感じたことのない小学生時代を送った。他クラスではわからないが、少なくともクラスメイトたちはみんな良い子たちだった。

それが中学生に上がり、クラスが7つにも8つにも分かれるほどの大人数が集まると、まあ、いろんな問題が出てくるものだ。

わたしの場合、“問題”というのは“部活”だった。

ちなみにわたしは、本当は吹奏楽部に入部したかったのだが、なんの因果か、あれよあれよという間に口車に乗せられて気付けば演劇部に入っていた阿保の子である。

最初こそ「文化部だし、ゆっくりやってこ」と思っていたものの、そこはまるで漫画の世界のようだった(悪い意味で)。

基本、1年生は舞台に立たせてもらえないので裏方に徹するのが常だ。それから、発声や腹式呼吸、早口言葉の練習。

先輩がたの指導は非常に熱心だった(=いびり)。

たとえば――。

寝転がった状態で腹の上に分厚い本を数冊置き、そのうえで発声と腹式呼吸の練習をするとき。そんなときには決まって、本の上から足で腹を踏まれた。

それから、筋トレをするとき。腕立て伏せをしていると、背中の上から「はい、頑張れー」なんて言って座ってくる先輩もいた(怖い)。

まあ、話せばそんなことがポンポンと出てくるわけだが、「嫌だったらサボろう」「ゆっくりやればいいや」とのんきに考えていたわたしは、そんな怖い先輩を心底おそれていたので、それはもうめちゃくちゃ真面目に部活に取り組んだ。

その結果、2年生の夏に部長になってしまったのだった。


生真面目すぎた!~部長に昇格~

どのようにしていじめに発展したのかを話す前に、まずは部長に選ばれた経緯を説明したい。

先輩がたの独裁政治がまかりとおる部活とはいえ、この演劇部というのは部長を決めるときにだけはなぜか“公平に”と平等さを訴えかけてくるものだった。

ゆえに、部長選びはこのようなプロセスをたどることになる。

①劇とダンスのオーディション。

②2年生ひとりひとりに「部長になりたいか」「(答えはともかく)もしなってしまったらどうするか」「部長になった場合、誰が副部長(2人)だったらうまくまとめられそうか。また、その理由を答えよ」とアンケートが取られる。

③1年生ひとりひとりに「誰が部長ならついていきたいと思うか」と訊ねる。

④以上のことから、卒部する3年生で話し合い最終決定を下す。

こんな感じで、意外としっかりしたプロセスを踏んでいる。

なお、当時の2年生は11人(幽霊部員含)。うち、1人を除いては全員「部長、やりたくないです!」と答えたそうだ。もちろんわたしもそのうちのひとり。

とはいえ直接的に「やりたくない」とは誰も言えないので、「夏休みは塾の夏期講習があって部活になかなか顔出せなくなるので」「長期休暇のときは祖父母の家に帰省するので」といった具合に遠回しに伝えるだけである。(※長期休暇は年末年始を除いて毎日部活なので、部長か副部長は必ず顔を出さなければならない)

この、みずから「やりたいです!」と答えたひとりが、のちのち部活に大きな波紋を呼ぶことになるのだった。


「部長は嫌われて当たり前」!?

さて、こんなプロセスを経て、無事に(?)部長に昇格したわたし。本当に嫌だった。

個性的なメンバーを真面目すぎる自分にまとめられるとは思わなかったし、なによりこの部活には代々「部長は嫌われる」という噂があった。実際、ひとつ上の部長も、さらにそのひとつ上の部長も同級生からひそひそ悪口を言われていたのを間近で見ていた。

そんなのはごめんだ。

でも、なってしまったものは仕方ない。なにより、顧問は基本的に部活に寄り付かないので、部費の管理~リハーサル会場の予約、オーディションなど、部活に関するすべてのことは部長に一任される。

例のみずから「やりたいです!」と答えた生徒は、独裁的――つまり、これらのことを好きなようにしたかったのだ。ただし、リハーサル会場の予約や部長会への出席など、面倒臭いことはそっちのけで。

特に、オーディション。

部長になった場合、その気になればオーディションも思うように操作できる。自分が目立ちたければ部長の権力を使って主役になればいいし、嫌いな後輩は舞台に出さなければいい。

要は出来レースを作ってしまえばいいのだ。

わたしが部長になった日。この日から、先輩がたからの束縛はなくなったものの、さらなる地獄を経験することになった。

自分だけが「部長になりたい」とはっきり口にしたにもかかわらず、部長にも副部長にもなれなかったことが、きっと彼女の中ではとても悔しいことだったのだろう。


仮入部の時期でも変わらぬ彼女

まず、彼女は徹底的に部長と副部長、そしてそれと仲の良い同級生と後輩を徹底的に無視することからはじまった。

先述したとおり、もともと「代々部長は嫌われる」というジンクスは誰もが知ることだったので、「ついにはじまったか……」と不穏な空気を感じた。

言うことを聞かない――というと、仮にも同級生にあまりにおこがましいことかもしれないが、事実、部活には遅刻してくる、本番前の練習を妨害してくる、かといって何も任せないと暴言を浴びせかけてくる、というのはまだいいほうで、今後一生忘れないであろう一番大きな問題が起きたのは、3年生に進学した春。

新入生が入学してきた、仮入部の時期だった。

すでにその時期には、彼女+もう1人と部長+部員という2つの派閥が出来上がっていて、関係は最悪だった。

なお、この「+1人」というのは、1年生のころに「先輩、あんたらうざいんですよね」と先輩に向けて言い放ち退部していった同級生である。それが先輩がいなくなったと見るや、2年生の半ばになって舞い戻ってきたのだ。そう、“彼女”に呼び戻される形で。

あくまでも仮入部なので、長期間を要する演劇指導はなかなかしづらい。ということで、基本的にこの期間はいつもウォーミングアップでしている簡単なダンスをしたり、筋トレをしたり、交流を深めたりすることに専念した。

そんな中でも、やはり彼女(+1人)は何もしない。それどころか、部室の端で大声でわたしたちの陰口を叩いているのが聞こえてくる。

雰囲気が悪いのを後輩に見せるのは良くないだろうということで、彼女たちには仮入部の1年生たちのダンス指導をお願いすることにした。代わりに、わたしたちはその数週間後に控えている舞台で使う小道具を作ることに(後輩指導と小道具制作どちらがいいかと聞いたら、小道具は嫌だとのことだった)。

同じ部屋でやるとまた喧嘩になりかねないので、部室とドア続きにある隣の部屋で作業をすることになった。


部長、当たり屋と化す(寸前)?

やがて1年生が帰り(仮入部期間中はやや部活動の時間も短め)、隣の部屋にいながらも部室にほんのりとした静けさが戻ってきたのがわかった。

と、思ったのも束の間。

突然、勢いよくドアが開かれた。勢いがすぎるあまり、ドアが壁に跳ね返って戻っていくほどの乱暴さだ。

「てめえ! 何してんだよ!」

怒鳴られた。

わたしより体の大きな彼女が大股で、さらに拳を振り上げながら詰め寄ってくる。それを見て、瞬時に殴られると覚悟した。

咄嗟に足に力を入れたものの、覚悟していたはずの衝撃は一向に訪れない。おそるおそる彼女の様子を観察すると、握り締められた拳は宙で止まっていた。

「何してんだよって……何? 次の舞台の小道具準備してくるって言ったし、わかったってそっちも言ってたよね?」

「はあ? そんなん知らねえから! 部長のくせに後輩指導サボってんじゃねーよ!」

「いや、だから、そっちが小道具嫌だって言うから後輩指導をお願いしたんじゃん。それにちゃんと後輩指導のために数人はそっちに残していったし、人数は足りたでしょ? 副部長もひとりいたし。小道具作るのだって、正直期限ギリギリだよ。同時進行しないと間に合わないし……」

「そんなこと言ってんじゃないんだわ」

「じゃあどういうこと?」

「あーあ、馬鹿に何言っても通じないんだな。いいよ、お前、もうここから出るな」

「は……?」

(※本当はもっと長いやり取りがあったが、簡潔に書くとこんな感じ)

彼女+1人は出ていった。残された脱力感に、思わず嘆息する。後ろを見れば、控えていた後輩が学校から支給された防犯ブザーを握り締めていた。

どうやら何かあったら、すかさず鳴らすつもりだったらしい。

かく言うわたしも、足に力を入れたのは殴られたときに踏ん張るためではない。少しでも殴る素振りを見せたら、拳が当たらなくても(たとえ寸止め程度であっても)わざと後ろに吹っ飛んで被害者アピールをするためだった。

やろうとしたことは完全に当たり屋のそれである。

でも、それぐらい精神的には限界だったのだ。


閉じ込められてパニック

なんだかよくわからないが、とにかく虫の居所が悪かったらしい彼女(+1人)。

鬼気迫るその迫力がこわくて、彼女たちが部屋から出て行ったあともしばらくはそこに閉じこもっていた。というのも、帰るのには彼女たちが占拠している部屋(部室)を通り抜けなければならないからだ。

窓からそっと様子を見てみると、彼女たちはわたしたちの通学鞄を好きなように殴ったり蹴ったり、窓の外に放り投げたり(!)している。

愕然とした。(いや、まずその鞄はいったい誰の……!)

数十分ほどもするとやることがなくなったのか、2人は帰って行った。――ガチャリ。施錠する音がかすかに耳に届く。

「ねえ、今、鍵閉めたよね」誰かが言った。言いたくはないが、きっと心の内に不安を感じたのはひとりだけではないだろう。

なぜなら、その部屋は外鍵になっているからだ。つまり、外から鍵を閉められたら中からは出られない。

加えて、部室は学校の最奥にあった――そして、我々の演劇部は校内の見回りも任されていたため、閉じ込められたとして、ちょっとやそっとのことでは気付いてもらえないということになる。

呆然とそこにたたずむわたしたちの耳に、外から楽しそうな彼女たちの声が聞こえてきた。「もしお前らのクラスに演劇部の奴らがいたら、明日からいじめといてー!」

空はすでに、紫色に侵食されていた。


教師との軋轢(そして大人不信)

結局、助けが来たのは夜も8時をまわったころだった。

生徒が知るよしもなかったことだが、見回りを生徒(演劇部)にまかせたうえで、教師による最終チェックもちゃんと行われていたらしい。

その日の担当は第2教頭だった。

部室の窓から懐中電灯の明かりがチラチラと反射するのを見つけて、思い切り助けを呼んだ。わたしたちが閉じ込められていることに気付いた第2教頭はそれはもう驚きの表情を浮かべて、なんと言ったらいいかわからないというふうに、けれども鍵を開けてくれた。

それはそうだろう。号泣する2年生に、なんとか励ます3年生の姿。わたしは泣けなかった。それよりもずっと、腹立たしさが勝っていた。

演劇部に限らず、この学校の部活動は夏は18時半まで、冬は18時までというふうに活動時間が決められていた。それにもかかわらず、なす術もなく閉じ込められていた生徒たちはそれぞれ、残業をしていた教師たちに車で家に送り届けられることになった。

わたしを連れ帰ってくれたのは、“彼女”の担任である女性教師。

それまで話したことは一度もなかったが、第2教頭から何があったのか聞かれたので成り行きを説明したところ、わたしが車を降りる際にその人はポソリと言い放った。

「こんなことぐらいで、学校に来なくなるだなんてやめてね」

悔しくて、情けなくて、そこではじめて涙が出た。


警察沙汰寸前~いじめへ――

家に帰ると、騒ぎになっていた。

当然だ。

いつもなら、どんなに遅くても19時前後には帰宅している娘が帰ってこない。そこでたまに帰りに立ち寄っていた仲の良い友人の家に電話をかけてみると、どういうわけか、友人もまた帰宅していないと言う。友人宅は学校から徒歩10分ほどの距離にあるので、何かあったのかといよいよ心配になってきた。

当時はまだ携帯電話も持っていない時期。連絡手段はなく、またさらに別の友人宅に電話してみるとこれもまた帰っていないという。

先述したとおり、学校から生徒ひとりひとりに防犯ブザーが支給されるような地域である。

現に、小さいころはちょっと様子のおかしな人においかけられたり、後輩は露出狂に遭遇したりもした。

親いわく、保護者同士で話し合い、あと少し待ってなんの音沙汰もなければ警察に相談するところだったそうだ。

そこでようやく、わたしは学校での出来事をすべて説明することになる。親は憤慨。でも、「何もしないでほしい」と訴えたのはほかでもない、わたし自身だった。これ以上、いろいろ引っ掻き回さないでほしかった。

翌日、「こんなことぐらいで」と言われたのがあまりに口惜しくて、わたしは嫌々ながらも学校に行った。

だがしかし、部活には行かないと心に決めていた。

勝手だと思われるかもしれないが、わたしの当時の心境はこんなものである。

「わたしは部長になりたいとか言ってないし」「間違ったことも言ってない」「そんなに部長になりたいなら、譲ったって全然いい」「“こんなことぐらいで”ってないがしろにされる意味もわからない」

もともとそのつもりではあったが、休み時間に“彼女”から人づてに「もう部活に来るな」と言われた。はじめて、部活をサボった。一緒に閉じ込められた友人も一緒に。

翌日。

友人と2人で廊下を歩いていたら、“彼女”とすれ違った。すれ違いざまに「キモいんですけど~! あーあ、あんな奴らが生きてる意味わかんねー!」と暴言を吐かれた。(鈍感なわたしは)一瞬、それが自分に向けられた言葉だとわからなかった。

友人に「言われたね」と苦笑気味に言われて、はじめて気が付いた。

以降、あることないことを囁かれたり、わざと肩をぶつけられたり、「部室まで来るように」と呼び出されたので仕方なく行ってみると黒板いっぱいに悪口が書かれていたり、部活で撮影した全体写真でわたしたちの顔だけ塗りつぶされていたりと些細なことが続いていき――。

典型的な“いじめ”に形がよく似ていることに気が付いたわたしは、最終的に体育着や勉強道具を毎日すべて持ち帰る(いわゆる“終業式状態”)という対策を取っていた。

なお、「お前らのクラスに演劇部の奴らがいたら、いじめといてー!」と叫んでいた件だが、彼女は彼女でいまいち人気がなかったのか、実現することはなかった。不幸中の幸い。


なぜ辞めなかったかって?

こんな話を聞くと「さっさと辞めれば良かったじゃん!」と言う人もいるだろう。でも、それはできなかった。

なぜなら、顧問からの許可が下りなかったからだ。

一度、直談判に行ったことがある。「部活に未練もなにもないので、辞めさせてください」と伝えた。

すると顧問は「いや、でも先輩があなたを部長と決めたわけですし、私の一存でそれを許可することは……(もごもご)」と言う。先輩たちが決めたから、とは言うが、その先輩たちはもういない。

ならばと「じゃあ、部活を辞めるのは無理でいいです。部長を“彼女”に譲ります。先日、何があったかは先生もご存知ですよね? 見て見ぬ振りですか?」と。それに対しても、「じゃ、じゃあ後日、ミーティングを……(もごもご)」とうつむくだけだ。

最終的にはミーティングを開いたことにより、両者不本意ながらも部活に戻ることになったわたしたち。だからといって、関係が良好になるわけもない。

“彼女”は「待ってました!」とばかりに、暴挙に出た。飲食物持ち込み禁止の学校だったにもかかわらず、わざわざ飴を持ってきて、たまたま顧問が様子を見に来たときに食べはじめたのだ。

これが大問題になった。

大問題になって、部活動は1週間の活動休止。休止中には校内でボランティア活動。加えて、部室を貸してくれている先生がたや副顧問、その他かかわりのある先生がたに頭を下げにいくことになった。

それでも“彼女”は自分でやったことであるのを棚に上げて、「いや、そんなん知らないし。部長なんだからお前ひとりで謝りに行けよ」と知らん顔(嫌がらせでやったのだから当然といえば当然)。

困り果てた顧問が「申し訳ないけど、ひとりで行ってほしい」と言うので、わたしは泣く泣く、各先生がたに「部員を管理できていなかったわたしの責任です。申し訳ございませんでした。以後このようなことが二度とないように……云々」と頭を下げるはめになった。悲しい。

わたしはこれを“いじめ”とまでは思っていないのだが、見る人によれば“いじめ”だったらしいし、少なくともそれに近い何かであったのだろうとは思っている。


まとめ:いじめ体験をしてみて感じたこと

ここまで話しておいて言い訳じみているかもしれないが、わたしは決して今さらこのことに対する愚痴をこぼしたいわけではない。

ただ、これだけははっきりしている。

やられた側は、当時の出来事を許そうが許さまいが、一生記憶には残っているということだ。

現に、成人式で再会した彼女はまるで何事もなかったかのように「わっ、元気? 久し振り! あのころはさあ~……」と話しかけてきた。やったほうは覚えていなくても、やられたほうは忘れない。

そう考えると、少し怖くはないだろうか?

まあ、たしかに当時のわたしにも悪いところはあったのだろう。だからこそ、いじめ問題がニュースで取り上げられて「いじめられる側にも問題がある」と心無い言葉が飛び交うたびに、ドキリとしてしまう。

でも、違う。違うのだ。

たとえ誰に非があろうと、誰がなんと感じようと、それが“いじめられていい理由”にはならない。

いじめは“いじめ”ではない。

れっきとした犯罪行為の集合体だ。

わたしは今後一生、机の裏に油性ペンで書かれた「死ね」という文字を忘れないだろう。(気付いたのが卒業式の日で良かった)

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