映画「リメンバー・ミー」
期待していただけに残念である。私はメキシコやペルーにも旅行へ行ったことがあるくらい南米の文化(見た目が?)が好きで「ピクサーが死者の日をテーマに映画を作るなんてステキ♥ 絶対見る!!」と思っていただけに、本当に何とも言えない気分になる。
この映画は、酸いも甘いもかみわけた大人が見て「感動した!」「家族ってやっぱり大切!」と涙したり、家族がうまくいっている子供たちが見て「おじいちゃんやおばあちゃんのこと大切にしたい」「亡くなったおじいちゃんやおばあちゃんのことを知りたい!」と思うようになるがテーマであれば(そうなんだろうけど)、文句もつけようもないくらい素晴らしい作品である。
しかし、一方で家族関係に苦しんでいたり、血縁関係がいない・わからない子供たちが見たらどう思うのだろうか。
とにかく「家族(血縁)が大切!」の一本で押してくるので、見ていてウッとなってしまった。1年に一度、先祖が帰ってくる「死者の日」、日本で言うところのお盆をテーマに持ってきているから仕方がないのかな。まぁ、屁理屈こね女の感想と思っていただければ…。
主人公のミゲルは天才ギター少年でミュージシャンを夢見ているが、ひいひいおばあちゃん(イメルダ)の時代から家族で靴屋を経営しているため、将来は靴屋になることを暗黙の了解で決められている。さらに、イメルダおばあちゃんの時代に決められた絶対的な家訓があり、ミゲルの家ではエレナおばあちゃんを中心に「音楽禁止」が厳格に守られているのである。
………おいおい、これっていわゆる毒親・毒家族じゃないの? まさか天下のピクサー様がそんな…こと……ないよね? なにか犯罪になりそうなことだったら全力で止めるが、音楽だよ? ギターだよ? 家族にとやかく言われる必要あんの?って感じである。しかも、ミゲルは家業の手伝いもしており、ギターも自作し、金銭的な面でも家族に迷惑をかけていない。ミゲルは素直でめっちゃいい子なのです。
将来、靴屋を継ぐことに対しても、無言の圧力がすごかった。「継ぐ」とみんなが決めてかかっているので、ミゲルは何も言えなくなってしまっている。家族がうまくいってるからこそ言い出せないこともある。そこを突いている感じが匂ってきた。これもどうなんだろう? 変に感じるのは私だけなんだろうか? 自分だったらめっちゃイヤやわ—。無理。時代や文化の違いなのかな?
さて、場面が変わりまして「死者の国」。ミゲルはひょんなことから「死者の国」へトリップしてしまうのです。そこで、ひいひいおばあちゃんのイメルダや、他の祖先と出会います。家訓を作ったイメルダおばあちゃんに「音楽禁止」の家訓を止めてくれとお願いするも聞き入れてもらえません。死んでなお子孫を支配してくるとは……。もう勘弁してくれって感じ。ネタバレになるので書きませんが、「音楽禁止」を家訓にした理由がなんともビミョー!!! それ、夫婦で解決してって感じなんです。子孫にはまったく関係ないし、ミゲルからすると、とばっちりとしか言いようがないのです。
さて、次に「死者の国」では2つの規則があるのです。
1:生者が死者の国で日の出を迎えると帰れなくなる。
2:生者の国の祭壇に写真が飾られていない者は死者の国から出られない。
「1」は物語によくある設定なのでよいのですが、気になるのは「2」ですね。「2」には続き(?)があって、「生きている家族に忘れられると、死者の国からも存在が消える」というものなんです。
この設定、おいおーーい!って感じなんですよね。人間、悲しみが深いほど、防衛本能が働いて記憶に蓋をしてしまうこともあるし、写真を飾ることも出来ないくらい深い悲しみを抱えている人もいる。病気や事故で過去のことを忘れてしまうこともある。「忘れる」って一体なんなんだろう? 生きてる人間が存在を忘れたら本当に消えてしまうの? 屁理屈と言われてもこれはちょっと待って!である。
そう考えている時に思い出した歌がある。BUMP OF CHICKENの「Ray」という曲。
あまり泣かなくなっても ごまかして笑っていくよ 大丈夫だ あの痛みは忘れたって消えやしない
これが歌詞の一節。私はやはりこちらの歌詞を支持したい。私が読み取れていないだけかもしれないが、今作ではここまでのラインの話も描かれていなかった。ただ、これも死んでしまった人のこと大切に思うからこそ響く歌詞。
今も昔も家族関係や出自などで、つらい状況に立たされている子供たちがたくさんいると思う。その上でこんなに大々的にやっているアニメから「家族が大切」「血(先祖)のつながりが大事」「家族を忘れないで!」というメッセージが発信されてきたら……。想像するだけで胸が痛む。自分の考えが悪いのかな?って思う子供もいるだろう。こうやって色んな所から心に小さな傷をつけら続けているんだろうな。本来なら大人が一番守らなければならない存在なのに…。
物語は諸刃の剣だと思う。人の心を救うこともできれば、どん底に落とすことさえできるのだろう。私は物語だからこそ、世界中で傷ついている子供たちに寄り添う内容にしてほしいと願うのである。物語全部をマイノリティ(…とくくりますが…)の子供たちに向けろと言っているだけではなく、そこにほんの少しでよいから、そんな子供たちを救うエッセンスを足して欲しかった。今回のレベルで留まっているのは想像力の欠如だと私は思う。
ジョン・ラセターよ、耄碌しよったか……。今作に全体的に漂うのが年寄りのたわごと、良く言えば「願い」みたいな内容なんだよねー。口が悪いけど言っちゃう。だから、タイトルが「リメンバー・ミー」なんだろう。しかしねー。
「家族・先祖が大切」なのはわかる。それはいい。私もそう思う。賛成。だけど、そうじゃなくても、きちんと幸せに「死者の国」で暮らしている人もいて欲しかった。それくらい描けるのでは? ピクサーのような大手で才能豊かな人材が世界中から集まっていて、全世界に発信をするアニメ会社には大きな責任があると思うのです。そう思うと怒りを通り越してなんだか悲しいね。。
死んでまで家族や血の繋がりに縛られたくない。だからこそ、今、生きているこの世界で家族や周りの人を大切にするべきなんじゃないだろうか? ちゃんと伝えたいことを伝えるべきなんじゃないだろうか? 死んでしまったら終わりなんだから……。
さらに、死んでも先祖たちが陽気に楽しく暮らしてるのは救いだけど、死んだんだから現世のことに縛られず、もっと自由になってくれていいよー!と子孫としては思うのですね。
今回の癒やしは、ヘクターの声が大好きなガエル・ガルシア・ベルナルだったことかしら。わざわざ字幕版で見に行ったしね。ゲロマブだぜー♥ 音楽はもちろん(マリアッチ大好き!)メキシコの風景、死者の日の風景は大変素晴らしかったです!
しかし、書くのにめっちゃ時間かかったわー。でも、自分の気持ちが整理できてよかった。スッキリスッキリ。お付き合い、ありがとうございましたー!