〜優しい世界に救われる〜映画「ワンダー 君は太陽」
あーーっ、泣く。否、泣いた、泣いたーーー。開始5分で泣いた。それからはノンストップ涙。製作者サイドからの「泣かせてやろう」、「ここで泣けよ!」みたいな圧力はまったく感じなかった。だから自分で勝手に泣いてやったわ。今、予告編を見直しただけで泣いたわ。
こんな優しい映画ある?こんなのアリなの?
もちろんアリよ。大いにアリ!!本当に最高だった。毎年、夏休みに放映するか、課題図書ならぬ課題映画に即刻すべきである。全人類が見るべし。
主人公のオギーは10歳。パパとママ、お姉ちゃんとの4人暮らし。学校には行っていない。それは……人と違う見た目。生まれた時からの先天性異常で手術を繰り返したが人と同じような顔にはならなかった。人からジロジロ見られるのは当たり前。そんな生活にも慣れっこ。だからといって傷つかないわけではない。
しかし、オギー(ジェイコブ・トレンブレイ)は10歳。一生自宅にいるわけにはいかない。家族以外の人と関わって生きていく必要があると決心した母親(あのジュリアロバーツですぞ!)は、オギーを学校に通わすことを決めるが、父親のネート(オーエン・ウィルソン)は本人が嫌がっているからと反対するが、オギーは学校へ通うことになる。
しかし、父親が危惧した通り、オギーはその見た目から猛烈ないじめを受ける。彼に触れるとオギー菌が移るなど、お決まりのセリフからいじめがスタートする。『お決まりのいじめ』……それが人をどんなに傷つけることか。そして、いじめをやっている本人たちも知らず知らずに傷がついている。
校長先生からオギーのお世話係を任命されたのが母子家庭で育つジャック、いいところのお坊ちゃんのジュリアン、ちょっと勘違いな女の子シャーロットの3人。その中のジュリアンから執拗ないじめを受けるオギー。その中で唯一ジャックだけがオギーのユーモアに富んだ頭の良さや優しさを発見し、徐々に友達になっていくのです。
人の目が大いに気になるお年頃の子どもたち。仲良くなりたくてもグループ関係があったり、照れがあったり、思ってもいないことを言ってしまって落ち込んだり…。これは『障害がある・なし』に関わらず、誰もが通る道だ。そんな子どもたちの心の動きが鮮やかに描かれており、本当に泣けるのです…。(40ちゃいの涙腺は破壊しました…)
ただ、ここも『家族』が結束してるのです。父親は会社員(かな?)でユーモアセンス抜群。母親はイラストが上手く、美術教師を目指している。姉は『世界一手のかからない子』という愛称をもち、みんなオギーをこよなく愛している。しっかりとした収入があり、夫婦関係を含めた家族関係は抜群に良い。いじめられても、障害があっても肯定し守ってくれる家族がいる…。これは子供の成長において最大の支えだと思う。もし、それがない家庭にオギーが生まれ育ったと考えたら……もはや恐怖である。
さて、今作にはもう一人の主人公がいます。それは、オギーのお姉ちゃんのヴィア。なんともまぁーー別嬪さん!生まれ変わったらこのお顔、または中条あやみちゃんでお願いします!神様、プリーズ!!頼んだぞ!!
ヴィアはオギーの良き理解者。弟のことをとっても愛している。それは変わらない。でも、家族の目線はすべて弟に注がれる。そのため『お姉ちゃん』として親を困らせてはいけない、わがままを言ってはいけない、甘えちゃいけないと自分の心に蓋をしている。
この写真の構図が姉の立場、家族の立ち位置をよく表している。いつも家族の一歩後ろにいるヴィア。しかし、役者さんてすごいな~、このシーンだけでも家族の力関係、性格までわかってしまう。
ヴィアも年頃の女の子。恋愛もするし、親友と思わぬところから仲違いしてしまうこともある。勉強や進路、将来のことも考える。時には無性にイライラすることもある。無条件に甘えたい時もある。
姉のヴィアを通して、これまであまり語られてこなかった(と思う)障害を持つ兄弟・姉妹の心情が、こちらにまで流れ込んでくるようであった。ただし、「障害」にクローズアップするのではなく、ヴィアの成長を通して、複雑な感情が描かれているのです。
ヴィア、オギーだけでなく、登場してくるすべての人の人格や想いが、見ているこちら側に流れ込んでくるようであった。この映画、素晴らしすぎる!好きすぎる!!誰なの監督は??と思って調べたら、映画『ウォールフラワー』の監督でした。「やはり、あなた様の所業でございましたか……」と変な日本語になるくらい素晴らしい映画『ウォールフラワー』の原作者であり監督の映画。この映画を気にいった人は絶対に見て欲しい作品です。
泣いて泣いて目が腫れて映画館から出てきたら、バッタリ仕事場のカップル(??)に遭遇。40ちゃい、一人映画で目がパンパン。神様、そんなアタイに何の試練でしょうか?生まれ変わったら、ヴィアまたは中条あやみになりたいって言った罰でしょうか?