中村マサトシ×中田裕二 IRORI石巻ライブレポ(あるいは不要不急との再会について)
シンガーソングライターである中村マサトシさんと中田裕二さんが、宮城県沿岸部を回る二人旅ツアー<ミヤギ・コースタル・セッション>。3月11日、宮城県・IRORI石巻で開催したライブを観てきました。
二人は、宮城県にてそれぞれバンドを結成し、以降盟友として交流を続けています。宮城県を拠点に活動する中村マサトシさんと、宮城県にゆかりのある中田裕二さん。2011年、東日本大震災を受けて、それぞれの地でそれぞれの方法で応援してきました。そして、2021年10月から、<ミヤギ・コースタル・セッション>を始めます。
今回のライブは奇しくも3月11日。震災から12年目の地で奏でた二人の音楽をお伝えします。前半8割がライブレポ、後半2割が「支えが欲しいときに、何らかの事情でライブに行けないこと」への心持ちを書いています。
※当然ですが、録音をしていないのでMCなどはあいまいです。ご了承願います。あまりにも内容がズレていたら、コメント欄かnoteのお問い合わせフォームでご連絡いただくと助かります……!
(以下、敬称略)
オープニング〜黙祷
「中村マサトシです!」「中田裕二です!」
午後2時30分、客席との距離も近く、和やかなムードで始まった<ミヤギ・コースタル・セッション>。互いにアコースティックギターを手に取り、最初に演奏した曲は、狩人のカバー「あずさ2号」。二人のセッションではお馴染みのオープニング曲だ。
「(初めて二人の「あずさ2号」を聴いた観客に)上手くてチビったでしょう?」といたずらっ子のように笑う中村。<ミヤギ・コースタル・セッション>を始めとした二人のセッションは、“本気”のカバーが名物なのだ。
二人の確かな演奏能力と、曲の世界観を的確に捕まえる中村のメインボーカル。変幻自在に寄り添う中田のハモリ。今日はこの音楽を持って笑いと涙と元気を届けにきた。
「3月11日という日に、こうしてライブを行わせてもらって、ありがたく思います」神妙な面持ちで中田は言う。
「そろそろ時間ですね」と中村。
12年前、最初の地震があった午後2時46分、外ではサイレンが鳴り響く。
演者と観客、みんなで黙祷を捧げる。
サイレンが止まり、みんな顔を上げる。
これまでに思いを馳せ、ここからは新しい思い出を重ねにきた。
次からは各自のソロコーナー。じゃんけんで勝った方が先行である。
先行:中田裕二
最初の曲は「ひかりのまち」。東日本大震災を受けて、チャリティーソングとして作られた曲である。前奏のフレーズを何小節か弾いた後、なぜか中田の手が止まる。
「最初に演奏したいって言ったのに……ごめんなさい」そう涙を滲ませた。
仕切り直して、優しいフレーズを紡ぎ出していく。伸びやかに、だけど時々詰まりながら歌う声が会場いっぱいに広がっていった。演奏後には「12年間お疲れ様」としんみりと呟く。
続いて、哀愁を帯びたメロディーが日本の情景を思わせる「薄紅」。穏やかな田舎の景色が広がる「おさな心」。「東北の風景を思わせるような曲を選びました」と中田。
そして、先日に発売が発表されたニューアルバムの『MOONAGE』から、リード曲である「ハグレモノ」が披露された。ラテンのメロディーに、生きる意味を問う歌詞が踊る。
新曲のビートに魅せられた会場に、バンド時代の曲である「いばらのみち」(椿屋四重奏)が鳴り響いた。駆け抜けるようなギターリフがソロパートのラストナンバーへ導いていく。
中田ソロには欠かせない「誘惑」。不器用な恋の駆け引きを巧みに歌い、会場を艶やかに彩っていく。
後攻:中村マサトシ
「裕二の後はやりたくないんだよなぁ……」と中村。アコースティックギターを手に取り、最初に歌ったのは、浜田省吾のカバー「もうひとつの土曜日」。続いてルイ・アームストロングの「What A Wonderful World(邦題:この素晴らしき世界)」。
器用な顔芸と共に朗々と歌い、一気に中村のペースに引き込んでいく。会場が晴天のような明るい雰囲気になるのは、中村の人柄と音楽が成せる技だろう。
「普段は真面目な音楽もやっているんですよ」と「舟を出す」を歌い出す。地元に舵を下ろしてきた中村だからこそ見えた、震災を取り巻く絶望と希望が力強く奏でられていく。
歌い終わりには「ね?真面目でしょう?」と会場を和ませることも忘れない。
タイトル未定の新曲、「斜陽」と続き、やわらかな中村の歌声が、観客をあたたかく包み込む。と思えば、ギターをかき鳴らし迫り来る「ヤケニ」で、聴く人の心をヒリヒリと乱していく。
表情豊かな中村の音楽は「Life story」にバトンを渡し、これまでとこれからを手を取り、生きゆくエールを送っていく。
セッション〜エンディング
ステージに中田も合流しギターを手に取る。二人のセッションが再び始まった。
最初に演奏したのは、上田正樹のカバー「悲しい色やね」。粘度を持った中村のボーカルが曲の世界に引きずり込み、中田の抜けるようなボーカルへと続いていく。二人の石巻ベイブルースが響き渡る。
「玉置力を上げていかなきゃね」と中田。玉置浩二の「メロディー」で優しいハーモニーを奏で、疾走感あふれる「田園」と続いていく。
ここで中村がハンドマイクを手に取り、中田のギターをバックに「渇望」を歌う。この曲は、中村のために中田が提供した曲だ。「(中田)裕二の曲の複雑さときたらね!」と中村。そこで中田が、「歌が上手い人に曲を提供したい願望があるんですよ」と答える。
再び中村がギターを手に取ると、二人の青春を駆け抜けた、THE YELLOW MONKEYの「SO YOUNG」が始まる。静かに語りかけるような導入から、訴えかけるような大サビまでドラマチックに歌い抜く。
ここで「中村スタイルね」(中村ボーカル、中田ギター)とハンドマイクを手に取り、シャ乱Qの「ズルい女」を歌い上げる。中村のサービス精神旺盛なステージパフォーマンスと、無駄にクオリティの高い中田の演奏で、観客のマスクの下には笑みがこぼれていただろう。
最後は、河島英五「酒と泪と男と女」で、2本のギターと二人のハーモニーが、しみじみと語り出す。この曲にて、モノマネあり笑いあり、涙ありのステージに幕を閉じた。しかし二人の別れを惜しむように、手拍子は鳴り止まない。
あたたかい拍手と共に戻ってきた二人が、アンコールで演奏したのはORIGINAL LOVEの「接吻」。日が暮れてきた石巻に、薄明のようにきらめく中村の歌声と、黄昏を思わせる深みある中田の歌声が溶け込み、会場は多幸感に包まれた。
「今日は本当にありがとうございました!」中村と中田がそれぞれ客席を見渡し、お辞儀をする。会場いっぱいに鳴り響く拍手に見送られ、二人はステージを後にした。
これからも二人は、ひかりのまちに舟を出す
音楽は全ての人を救えません。
3月11日という日を、静かに過ごしたい人もいるでしょう。
ライブを行うことに疑問を抱く人もいてもおかしくはありません。
その一方で、音楽に強く救われる人もいます。
中田裕二が「ひかりのまち」を演奏したとき、会場からはどこからともなく、すすり泣く声が聞こえてきました。中村マサトシが「舟を出す」を演奏したとき、海の残酷さと美しさがありありと見えてきます。
強く心を動かし、癒される人がいるから、音楽は無くならない。だからこそ、これからも二人は音楽で人に寄り添っていくのでしょう。
“好き”のしっぽを手放さずに現場へ向かえ(個人的な話)
最後に個人的な話です。ライブレポだけ読みたいよ〜という方はスルーしてください!
私は宮城県民なので二人ともなじみがありますが、中田裕二さんはバンド時代からのファンです。
妊娠〜出産を経て、子どもが預けられるようになったとき、またライブに行けたらなぁと思っていたら、まさかのコロナ禍。身内が医療関係者だったため、中田裕二ソロ10周年記念ライブは泣く泣くオンライン参加。
そのライブでは、一夜限りでバンドが再結成されました。うれしいと思うと同時に、人も場所も前から押さえていただろうし仕方のないことだけど、チケット抽選すらできないタイミングでなんで、と複雑な思いを抱えたものです。
なので、今回のライブは2018年のラジオイベント以来、約5年ぶりの参戦となります。(中村マサトシ×中田裕二セッションはMEGAROCKS2017ぶり)
オンライン配信や音源で散々聴いてきたものの、やはり直接聴く音楽の破壊力は比べものにならず、それこそ「ひかりのまち」で号泣する女が爆誕したのは言うまでもありません。(震災当時、宮城県沿岸部に住んでいたのも相まって)
ライブは不要不急のものではありますが、ないと感情の一部が失われるものなんだな、と実感させられましたね。また、ソロ10周年記念ライブを聴く機会を失った事実も、演奏を聴いたらチャラになってしまうような凄みもありました。
これを読んでいる方のなかでは、基本的対処方針が変わったとはいえ、ライブ参戦などは各自の事情があり、叶わない場合もあるでしょう。ですが、どうか“好き”のしっぽを手放さずにいて欲しい、と願わずにはいられないのです。なんとか生きていたら、いつかは再会できるのだと思います。
ご興味あったらこちらもどうぞ
▼2021年、ライブに行くに行けなかったときの感情をどうするか考えていました。
▼「ひかりのまち」について個人的に思うこと。
▼2011年周りの私の音楽体験について。(震災について描写あり)