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「あれは、ごほうびだよ」①

雪が降った。積もった。コストコで買ったソリを持って、山に行った。
公園の、山。
気分はリュージュ。
長靴と毛糸の手袋。
今、北京オリンピックだ。

学生時代、ハンディキャップのある人のボランティアに、いそしんでいた。
学びがあったが、癒やしもあった。
役に立つことができている、という
自己満足かもしれないけど。

はじめて、自治体の長のところに
表敬訪問というのに訪れたのは
学生最後の年だった。あと一月もすれば卒業、
その半年ほどまえに
打診されたのは
ボランティア団体の全国大会の引率者を必要としていて、それに参加できないか
ということだった。
「4年に一度の冬の大会」があった。
その種目の専門性があったわけではなく
私は、もっぱら
長靴でゲレンデを移動して、
選手の身支度、スタートやゴールを補佐するのが常で、
専門の道具をつけての技術指導は
その道のプロに等しい人がいて
携わっていた。

宿泊を伴う大会に、
生活指導の部分での女性を
確保する必要があるとのことで
私に白羽の矢が立ったようだった。

日本でのオリンピックも行われた、その会場へは
二泊三日、(行きは5時発帰宅は23時着)冬の日本海沿岸を貸切バスで移動した。
見たことのない雪景色と、
雪道と、雪の降り方に
無事着くのだろうか、
皆一体どうやって暮らしているのだろうかと
クエスチョンマーク、
そして
このタイミングで参加する、参加できるって、、、。

5年生存率20%の食道がん(90年代当時)の父を3年で見送り3ヶ月経つ頃のことだった。コーチの打診に、「はい」と返事をした頃の、父の様態、このまま入院期間が続くかと思っていた気がする。
「卒業までは死ねないな」
と言っていたので。

めでたいこととめでたくないことの極を
味わう生活で、
周りからかけられる言葉をどう取っていいのか
混乱していたが
表には出さず、ひとりで、
その、名前のつけられない気持ちを
噛み締めていた。
そういえば、当時はさらに
年下のきょうだいが
チンピラのようなやつらに軟禁される事件もあり
(脅されても、本人が、ついていってしまえば意思があるとみなされ
民事となり警察不介入、と説明された。)
ほんとうにしっちゃかめっちゃかだった。
(軟禁開放後、絶妙なタイミングで寮付きの仕事が、飛び込んできたのであった。なのでその後は付きまとわれることが不可能になった)
のちに、
チンピラのようなやつらのその後は
数カ月後に
私は職場で開いた地元新聞に
名前を見つけ(別件で逮捕)
本当に驚いた。
だが同じようなことをいろいろなところでやっていたのじゃないか、、、。

あまり体験が極端だと
めでたいことすら
感動とか
感謝とか、
感激とか、
刺激として

受け付けられなくなるのかもしれない。
ただし、
仕事は果たして、
無事帰宅したのだった。

つづく。