ひとそれぞれ、旦那撤退する
なんのことはない、雑談である。
話題を降ったのは私。
数分前にネットで読んだ記事を聞かせた。
「某二世元俳優が、3回目の離婚をしたんだってさあ。今回の、理由は、お財布にお金がない。奥さんのパート代5万円。」
「あっ、そう」(バタン)扉閉まる音
表情が変わったのを見逃さなかった。
離婚の原因になり得ると知らなかったのだろうか。
「あれも、これも、すべて、素晴らしい!!」で、よいのは、成り立つのは、
大人の立場から、子どもの立場への眼差し、
なのかもしれないと最近気づいた。
子供を養う同士の大人が、場合によってはそれをやると
わが旦那のように
経済的責任を免無意識にれようとする流れになりかねない(個人の正確です)。
ただ、この旦那をみていると、幼少の頃からよっぽど肯定しかされてきていないのか、それとも、無関心だったのだろうか?
ムラ社会さながらの田舎で育った祖父母に、(共働き両親に代わって)育てられた私からすると
びっくりするやら日本語通じないやらということが多い。
しかし最近になり、
旦那流子どもの自己肯定感は、
やりたいといったこと(やりたそうなこと)を見届けるところにあるのかもと思いはじめた。
けっして頭ごなしに否定したり、はじめからできないよ、という場面を見たことがない。
そこは、なるほど、よいなあ、と思っている。
(そりゃ、大黒柱受け取らない宣言するくらいなら余裕あるよな、なんて野暮なことはいわないよ、、、)
某二世元俳優の話して、部屋から撤退していった旦那。そして、明日からまたワンオペである。
がんばれ、私、がんばれ、子どもたち。