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これくらいでよかったのかもしれないと思う癖

久しぶりに、足の指をぶつけた。
ムっちゃ痛かった。
だけどヘルニアの方が痛かったが
瞬間最大風速で例えるならば
どちらもいい線行っている痛みだった。

くつに当たってやや痛い。
帰宅して5本指ソックスを脱いで確認してみた。
受傷からおよそ6時間
りっぱな青たんになっており、腫れも見られる。

おおお、痛い。

しかし、人間はこれまでどれほどの
角に指をぶつけていててててて
と向き合い
乗り越えてきたのだろうか。

きっと私も乗り越えられるはず。

でも、今晩は入浴はやめておこうか…。

そんなことを思いながら、
友だちの友だちの子どもさんが
白血病、というSNSグループ投稿を思い出している。

友だちが
「自分の子どもがと思うと言葉がでない」
と綴っており
そのあとの続く
返信が誰もなく。

私は
下手なことを言えないと思っているものの
いつか自分なりの答えのようなものを
投稿してもいい物かどうかと思っている
たぶん、
一緒に過ごした家族を比較的短い期間で
立て続けに病院で3人みおくり

自分を犠牲にして、
それなりのメンタル系の通院をし、
自分の家族もやや犠牲にして
介護のようなものをした後に
(介護と言っても実は内容は幅広い。子育てや家事といったものも、同じと思うが。)
無事みおくるということをすると

死を想像させる病と向き合おうとする人
向き合い切れていないと感じられる人に
なにか
自分なりのアドバイスのようなものをしたくなって
仕方がない。

「〇月に移植を予定しているが完全一致な提供者がおらず半一致の家族からの提供」と言われれば
『手術という治療の見通しがある、という状況は幸運なのではないか。
母親のがんが分かった時は打つ手なしでダメもとで化学療法、余命は半年』
という思考であり、
思い出すことに
3か月後には
『父親は食道がん。母の様子を見て治療に入る。』と言われ
はて、父の病気はどうなるのだろうと思い
大学図書室で
『食道がん』のページを開くと当時は『5年生存率20%』であった。
酒を飲み疲れて茶の間でつぶれる父親
煙草を一日20本以上吸う父親
の生存率が、この20%に入る、とは、とうてい思えなかった。

当時はこうしたことの経緯というものを
親しい友達に話した記憶がない。
話したけど記憶にないだけかもしれないが。

たぶん、口にしていたけれど、
ああ、そうだった。思い出した。

ものすごく気まずい空気が流れたこと。
私が母を亡くし、父も療養中と知っているはずなのだが、
自分自身の父親の文句を毎回毎回言う知人が気に食わず、
共通の友人にそれを言ったらば
「私の友だちのことを、そう言われても困る」
「私の友だちのことを悪く言う、あなたとは一緒に居られない」
ようなことを言われたのだった。
当時それはそれでショックだったけれど
いま改めて考えると、
そこまでして(お互いに他人のことがきっかけだったとしても)
一緒にいることが
重要という縁でもなかったのだろう。
離れるきっかけだったのかもしれない。
それをきっかけに、
人を見極める目を養っていったのかもしれない。


ぶつけた足の薬指は、はじめ
大したことはないと思っていたが
立派に赤黒くなっていた。
今日は、本当にもう、
何も考えず、注意を向けず
ぶつけたのである。

かつての友人との会話も
相手なら自分の言うことを受け入れてくれるという思い込みで
話したが
そうではなかった。結果
得た体験があるが。

友人のお子さんが病気、という迷える友人に
なんと返事を出すか。
下手なことは書けない、
自分が書かれてカチンと来ないように、
だけど嘘(思ってもいないこと)も書けない。
大変だね、大丈夫?という言葉は
本当に本当に大変な人にとっては
傷口に味噌塗り付けられるような経験だったと
思い返している。

40歳も過ぎ数年、
発した言葉がブーメランになって自分や周りに影響してくることが
だいぶわかってきたので
そのブーメランが良い意味で影響を与えるような
投げ方を
考えている。