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月モカ!!vol.285「思うがままに生きたらいいじゃない」

思うがままに生きたらいいじゃない。
という境地に至る背景には「もうこれ以上頑張るのイヤダ!」という心の、体の叫びがあった。
夏のわたしは芝プールが開幕するのでだいたいがあのプールに行けさえすればチューニングが整う。とにもかくにも「水の女」なんであるので執筆するにも銭湯やプールや湯船に潜るなどが必須でして、逆を返せば50メートルプールに好き勝手潜って浮いてを1時間もやっていれば体内に篭った全てのネガティヴ的なものや無意味な思考は放電されるのである。

(いつからか撮影禁止になったので↑こちらのリンクを貼っておきます。そうそう芝プールは17時すぎると一気に深くなる水深が魅力の一つであったら、今年は初日だけそれを堪能、翌日からは可動式の装置が壊れたようでこの夏まるっと水深は浅い)

2021年の東京タワー。オリンピック開会式の日。

とりあえずこの「月モカ」ではずっと言ってることだが2019年の6月からマジで1日もサボってない。女主人業、作家業、加えてYoutubeのどれもを死力を尽くしている。にもかかわらず求めている結果に全然到達しない。
「求めている結果」というのは色々あるけども、一番打ちのめされる「返ってこない結果」というのは収益であり、死力の努力に対して収益が全然なく生活が苦しいというのは「努力は無意味」という言葉を体現し続けるのみの時間が続き、心身を圧迫するものである。

思えば今まで水商売は頑張ったら頑張っただけ時給が上がったり手当がついて稼ぎに繋がったし、夢へ向かう努力も頑張れば頑張っただけの結果(例えば大きな賞を受賞し作家デビューする)とか(これまでの借金を一気に返せるくらいの印税)がついてきたけど、なんだかこの数年は「報われない苦労というものがある」ということを学ぶ修行の時間みたいである。
もちろんこれら全ては角度の問題で、7月には過去作が2作もKindleで復刻するという作家的には大きな嬉しいニュースもあった。
同時に暮らしの観点から見ると、電子書籍の契約では100冊売れても数万も入ってこない。これは当たり前のことで、昔は数千部を刷った分、一気に先にもらっていたから大きなお金になっただけで、価値が減らされたわけじゃない。しかし苦しい。たくさんの常連陣が皆一同にこの書籍を買ってくれたわけだけど、それが、すごく嬉しいのに生活は救わないという悲しさがあって「わたしはかつて職業作家ではなかったか」という気持ちにもさせる。
これがまた作家業だけで起きているのではなく、店でも起きている。
なぜ「こんな楽しい店を作って」
「日々お客さんは来てくれているのに」
赤字なのか!!!!涙
って気にもなる。

もうこれは結論出ていて「収益につながる店づくり」と「わたしの好きな雰囲気のお店づくり」が両立しにくいからである。だから自分はいろんなことがわかったままこの経営を進行しており、そのためには自身の報酬の半分は作家業で得たいわけなんだが、こんなかつて当たり前にしていた月の報酬の半額程度を執筆で稼ぐということができなくなってしまった自分への不甲斐なさもあいまって「諸々がしんどく」なっていたのである。

(この「宵モカ」を収録したより後になんか気分拓けたので最新の気分は今あなたが読んでくれているこのエッセイが最突端であり、明日くらいに更新される動画が最新の気分になります)

台風の日はもう店閉めてオフにしようと決めて近所の鳥兆へ。
お盆休みとってなかったからこれがわたしのお盆休みになった。

つまり現在のわたしは背景として書いた「行き詰まりの気分」を脱してスーパーチルなマインドになったのであるが、きっかけは8/8に「今日はライオンズゲートの日やし何かしようか」ということでとある場所へ参拝し、帰りに今年度の芥川賞&直木賞の本などを買って芝プールへ行き、帰宅したところが起点であった。(その日、数週間紛失していた大事な石が突如きのうまではなかった場所に再び現れた!)
実際のところはその日を皮切りに天気やこちらの睡眠時間の兼ね合いが芝プールのそれとうまく噛み合ってきて始終プールに潜れる状況が続いたそっちが理由かもわからない。
ともかく自分の中の「しんどい気がする雲」というのは8月8日あたりから晴れ始めた。

きっかけは経営が厳しくなったことで昔からコツコツ貯めていた山崎12年をまとめて売ってお金を作ったことであって、この「山崎そろそろ売るしかない」となったタイミングでまさにそれがトントン拍子に売れる流れ(知り合いの先生が懇意にしている銀座のラウンジにあげたいとまとめて買ってくれた。銀座のママさんは得しかないし、わたしは持っててもボトルで入れるような客層じゃないから誰もにとってよい取引となった)が生まれて8月とりあえずお金のことを心配しなくて良くなったたことで、わたしはこのお金を「未来への種銭」と受け止めたわけなんだけど、その時にふと「イーディの経営と作家業に関して譲れないコンセプトや世界観があるんであれば、別にそれと稼ぎを連動して考えず、お金は別なところから持ってくるような感じで捉えたらよいのではないか」という考えが浮かんだ。

もちろん8月にたまたま山崎が売れて8月を凌げたのはただのラッキーであるからこれが来月もあるわけじゃない。でも、なんていうか「一生懸命取り組んでいること」は「お金となって返ってくるはずじゃないか」という呪いによって自分は自分の努力がなし崩しになってる感じがしてしんどいのであれば「お金だけを」切り離して考えたら良いのじゃない?

月曜は栞さんが晩飯をやっています。

なんか今の自分て作家になる前の20代半ばの時の感じに心境が近くなっていたなあと思って、というのは、女優を志して女優になれないまま時が流れているとき、わたしは一分一秒二十四時間自分のことを「目標を全然達成できないダメなやつ」と思う。そうするとそんな自分に休息などもってのほかって感じに感じて、バイトで疲れて起きれない、つまりは真っ当に「休むべき時間」すら人生をサボっているように感じる。そんな状況でお腹が空いて何かを食うと「女優になれてないのに何か食ってさらに太る気?」って感じになって、つまりは24時間ずっと自分が自分を肯定できなくて自責している感じになって、その自責が強い時は食べたものも吐いてしまったりして、自分を痛めつけてしまっていたのである。もちろんわたしはそれを抜け出した、大きな賞を獲り30歳手前で作家デビューを果たしたことで。やっと一瞬休んでいいのだと思った。やっとフジロックに行っても「楽しんでいいのだ」と思えたし、たらふく食べても「作家だし女優じゃないから別に太ってていい」と思えた。その安心で逆にするする痩せた。人生ってすごく不思議である。気を張って頑張れば頑張るほどうまく行かないことがある。

わたしはもう十分な大人だから「とことん病む」みたいな20代前半のやり方をお代わりしたくない。笑。なので早めに幸福方向に舵を切ろうと思った。

つまり「儲からないなら逆に好き勝手やらしてくれ」というやつである。
わたしは社美緒さんが発信しているホスト改革動画が好きなので、あれを見て「ごもっともやな」と思うこともたくさんあったが、今は逆に振りたい。だってわたしそんなに大きなお金を動かしてるわけじゃないんだもの。
Table Charge 500円のお店でホスピタリティ高めの接客をしている(元々セット料金が高い夜のお店で働いていたから)。だったらもう閉店時間には閉めていいんじゃない?(←そういうレベル)休日くらいは誰のLineも返さなくていいんじゃない? 価格設定に対して頑張りすぎやろ。
まあそういった感じに考えた。

そうしてわたしはこの状況を全て逆手に取った「バカンス」に突入することにしたのである。笑。5年以上必死に走り続けているので2ヶ月くらい「休んでる気分で」運営したっていいでしょう。笑。
(わたしの場合はコロナ禍の休業の時が「今しか書けない時」であったためすごい勢いで何冊も執筆したり番組を作ったりしたのでコロナ禍がめちゃくちゃ忙しかったんだわ)
不思議なものでそうやって「なんとかサボろうか」と思って色々考えていると実は週末に何がなんでも2人がいる必要はないことに気づいたりする。
そんでもって栞と色々話した結果、9月は栞珈琲が平日も開くことになった。サボり先行で生み出したシフトで逆に店の可動域広がったやん。

そんなわけで目下作成中の新しい週間スケジュールの雛形。

それで当初は「店のことを頑張るのを控えて執筆に邁進する」つもりの8月9月でいたが、それも取りやめすることにした。今わたしは仕事がないから締切がないのである。逆に本当に書いてみたいものなどをあれこれ吟味して自分のペースで書きすすめるチャンスじゃないカ!!!
仕事があった時は締切が立て続けに来るから、本当はあれでよかったのか考える間もなく書いて、修正が入ったら直して「もう少し考えたくても」その時間はなかった。もちろんその瞬発力や「ここで終わる!」みたいな胆力は職業作家には絶対必要なんで、その時はそれでよかったんだけど、とにかく今はその時欲しがっていた沈思黙考タイムがやっとあるし、
5年前と違って今は発売になったばかりの復刻過去作や、まだまだタイムリーと言える「宵巴里」もあって売る本がないわけじゃない。とある雑誌から声かけてもらっているし、なんなら宵巴里の翻訳だってもう少しで完成するので「いま稼げてなくても」わたしはちゃんと作家活動しているのだ。怠けてるわけじゃないし、逆にここいらでいったん休んだほうがいい。

そんなわけでわたしは8月と9月とのんびりと過ごしながら、今話題の「光る君へ」を一気見したり朝ドラを一気見したり、あと源氏と平家のことなどちょっと詳しく知りたいから調べたりしたいと思っています。

最近、起きたらどこかのリゾート地のおしゃれなロビーカフェなんかでかかってそうなボサノバやハワイチルな音楽などを流して、自宅旅行を楽しんでいる。美味しいアイス珈琲(もちろん栞珈琲)を飲みながら窓を開けて入ってくる風を楽しんでいるとき、陽が沈む貴重な時間に色づいていく東京タワーを眺めながら水に浮かんでいる時、世界がとても美しくて、とてもとても幸せを感じる。

なるほどわたしは「お金がない暮らし」にストレスを感じていたのではないんだな。妄想上手だからお金がなくてもどこへでもいけるのです。
つまりお金ではなく「頑張ってるのに報われていない気がする」ことにストレスを感じていたんだな。そして「報われる」定規をお金に設定していたから売り上げが上がって欲しかったんだな。というか経営者なら「黒字にするべき」という呪いの中にいたんだな(これはまあそうすべきなんですが笑)

でもよく考えたらひと月分の生活費なんてあれこれすればなんとかなるんだから「イーディか作家業で」稼がないといけない決まりを自分に課さなくていいやろ、江戸時代の町人みたいに「お金ちょっと足りないね。なんかしよか」ってことでお金稼いで、それで好きなことしてたらいい。その好きなことがイーディ(店)と書くことなんだから、しんどくなったり思い詰めるほど「好きなこと」にまつわる収益で自分を追い込む必要はない。

こんなふうに素敵マンスリーがあればシチリアにもアドリア海へも一瞬で行ける。白ワインかサングリアがあって美味しいカルパッチョやオリーブでもあればフライト代はもっか不要なんです。笑。

それではみなさん、また次回の月モカで会いましょう〜

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中島 桃果子 / Mocako  Nakajima
長く絶版になっていたわたしのデビュー作「蝶番」と2012年の渾身作「誰かJuneを知らないか」がこの度、幻冬舎から電子出版されました!わたしの文章面白いなと思ってくれた方はぜひそちらを読んでいただけたら嬉しいの極みでございます!