月モカ_180806_0086

月曜モカ子の私的モチーフ vol.176 「町の病院」

入院も10日を迎え、本日ようやく退院できることとなった。最後の点滴をしながら綴る月モカである。
(胃及び腸の内視鏡検査の結果、大きな病気は見つかりませんでした、皆様ありがとうございます)
                           
入院したその日は腹水のあまりの量に、腸などが破裂した場合の緊急オペを考えて、院長先生は転院もお考えになったようだが、おそらくここで経過観察できそうであるとの判断でわたしはいつも通っているこのY病院に入院することになった。ヒエラルキーの上の方のお方からは「町医者で大丈夫?」との声も聞こえてきたのですが、わたしは自分が絶対的に信頼しているS先生が院長を務めるこの病院に入院できて本当に良かったと思っているし、家が近いというのもちょっとした荷物なんかを10分もあれば自分で取りに行けるし他人にあまり迷惑をかけずに済んで精神的な安堵となった。

                           
町医者。その言葉について考えている。
2012年に心臓の手術(不整脈を治すためのカテーテルアブレーション)をした時は、部位が心臓ということもあって、日本でも屈指の先生に手術してもらった。
その時もいつもかかっていた乃木坂の循環器の先生が「優しくて好き」だと言ったのだが父の「オペはとりあえず人柄の優しさよりも、とりあえず切ってる数が多い医者に切ってもらえ」との最もな説得を受けて大きな病院に入院した。おかげで根治して大変感謝しているけれども、病院内のすべてがどこかしら事務的で作業的で、執刀した先生は、本当に腕のいい先生であったけれど、ゆえにいつも忙しくていつも質問の途中で断定的に会話を打ち切るような感じであったことを思いだす。(でも感謝している)

                           
今回わたしは町の病院で10日間過ごしたわけだけれど、ここの看護師さんも先生も本当に温かく優しくて、素晴らしい病院だなと思った。
特に看護師さん。
看護師さんという職業に就く人が基本的にはそうなのか、ここの看護師さんたちがそうなのかわからないけれど、本当に心のきれいな方々ばかりだった。
なんでそんなこと分かる? それはわかる。
自分は執筆も夜の接客も含めて四六時中人と接したり人を描いたりしている。人の気持ちを考え汲み取ることが習慣になっているので、病室にいて廊下の方から聞こえてくるちょっとした会話を聞いていても、この人は今こう思っているけどこの人は今こう考えているな、みたいなことが手に取るようにわかる。ある種の職業病かもしれない。
                           
例えばレストランや、例えばクリーニング屋で、わかりきったことを長々尋ねたり、するなとお願いしていることをする人に対して、接客している側の態度って、笑っていてもイライラしていたり、優しい言葉を使っていてもムカついているのがわかったりする。
けれどここの看護師さんには一つもそれがなかった。
もちろん事象、に対して怒るというか注意することはある「**さん点滴踏んでるから!」とか「ベッドの上に立たない!」とか(これはわたし。笑 呼び出しボタン押す時にたってしまった)
当然個人の性格はある。ちょっとせっかちな人、ちょっと雑な人。

                           
けれども皆さん、患者さんに対して一貫して本当に親切だった。なんというのかな、下心のない親切なのである。
すごいな、と思ったし、おかげで心がとても休まった。
すごいな、と思ったのは、けしてゆとりのある環境で彼女たちが働いているわけではないことである。
日曜はいつもよりシフトが人が足りないので、ちょっと早めに朝の点滴が始まる。「こっちのシフトの関係でごめんね〜夜勤のわたしたちが朝の点滴までして帰るのです」
                           
また日曜の日中はすごく少ない人数で入院患者をすべてケアしている。
わたしのところに点滴に来ている際にも、ひっきりなしに呼び出し電話は鳴っている。けれど彼女たちがイラっとした顔を見せたことは一度もない。

わたしは2床室でOさんという女性とずっと一緒でもはや寮のような感じ、完全に仲良くなって日々を一緒に過ごしているのだが、Oさんは若く見えるしサバサバしているのにどこか色っぽいところがあって70歳を超えているのだが女っぷりのあるお方で談話室のマドンナである。
(石原真理子が元気に年をとったような感じかしら、雰囲気。元気にね。)
30年喫茶店を経営していたとかで、きっとすごく繁盛していたと思うのだけど、彼女と話して元気になる男性の患者さんがいらっしゃるのと、本人がじっとしているのが嫌いということもあって、だいたい「散歩してくるわ」と言っては、でも外出は禁止されているので廊下や談話室などをこまこまと渡り歩いていて病室にあまりいない。
                           
なので看護師さんが0さんに用があって来ても病室に彼女がいないことが多いのだけど、看護師さんは怒ることもなく「あら、また定位置かしら」と笑って談話室に行く。
部屋二つ離れた談話室から「Oさ〜ん、いたいた。ちょっと血圧計らせて」と声が聞こえて来る。すべてがのどかで、すべてが温かい。
                           
見せびらかすつもりはなかったのだが談話室にしか机がないので、なるべく人のいない時を選んでそこで「かぐらむら」にサインをしたり梱包したりの作業をしていた。隣の部屋に入院しているマダムが「作家さんなの」と話しかけてきてくれた。作家名は昭子さんとおっしゃるの?と聞かれたので、あ、これは本名で、と伝えると、なんとそのお方「わたしも昭子なの。昭子と書いて**と読むの。だから病室の表札見てご縁があると思って」とのこと。そんなご縁があったので、昭子さんに「かぐらむら」と「蝶番」を差し上げる。

                          
「蝶番」に“昭子さんへ”とサインをしながら、そうだなあこの本を、書いた中島桃果子の中にいる昭子にはまだ捧げていなかったなあと思い、なんだか10年目の儀式の気分。
「昭和16年にね、牛込で生まれてね牛込で育ったの」
ここにはそんな人たちが多い。
わたしが図書館で調べて書いている時雨さんの時代に重なるようにこの街で生まれた人たち。この昭子さんは時雨さんが亡くなった年に生まれた。そしてわたしは時雨さんが生まれた100年後に生まれた。
昭子と昭子はこのY病院の談話室で交流する。

                           
主治医のS 先生も必ず朝夕顔を出してくれる。
昼間はぎっしり外来が入ってるその合間にこうやって入院患者を診て回っているのだなと入院して初めて知った。
いつもものすごく丁寧に診察してくれる先生である。
たまたま母が生まれた甥のことで東京にいたので台風の中、病院に駆けつけてくれて1週間の絶食やら何やらで身も心も「先生、この子をこの機会に1から心まで全部綺麗にしてやってください」と言うと「娘さんそんなに性格悪いんですか!」と返すとんちの効いたところがあって、笑、先週の月曜に外出が許可された際も「家帰ってお酒飲んだりしないでよ」と笑える冗談を言う。このとんちの効いたS先生がこの病院の院長先生だということも入院して初めて知った。この病院全体の和やかで朗らかな気配は、院長先生の人柄もあるのかもしれない。

                           
看護師さんは優しい。それはもしかしたら命のはかなさをこの目で見続けてきたからかもしれないとふと思う。
悪態をついて面倒だと思った患者がふっと突然亡くなることがある。退院したはずの人が急変してまた入院することがある。ここの入院患者で現在はいちばん元気であろうわたしだって、なぜ腹水が溜まったのか、その理由がはっきりしない以上、また急変する可能性だってある。
元気そうな人がずっと元気とも限らない。
                           
彼女たちはそう言った「命の心もとなさ」を誰よりもよく知っているのではないか。だからこそ、点滴の針を刺す、お膳を運んでくる、他愛もない一瞬を、
場合によっては2度と戻ってこない一瞬として、大切にしてくれているのではないか。そんなことを考えた。

                           
病室は個室じゃなかったけど、個室じゃなくてよかったと思っている。生きている人がそばで寝起きしていること。
その命の存在に励まされる。
病院の夜はいつも暗く、おばあちゃんやおじいちゃんの付き添いで泊まった時ですら自分を飲み込んでゆくような気配があって恐ろしかったけれど、
ここではずっとOさんと一緒だったから、安心して眠れた。
カーテンごしの寝返りの気配。夜中にトイレに行くスリッパの音。
それらが“ここに生きている人がいる”ことを教えてくれる。
                          
「えー。今日退院しちゃうの?」
                           
Oさんのその気持ち、わかるなあと思う。わたしがもし残る方だったらきっとそう思う。
「あら、でもよかったわね」そう言いながら、わたしがまだこれから荷造りですぐに出るわけじゃないとわかったOさんは談話室へ出かけていく。
「あそこで待ってるって言うからさ、ちょっと行ってくる」
ニコッと笑うOさんはとても女っぷりがよくて魅力的だ。
39歳の小娘は、ここでは誰の目にもかからない。笑。
                                  ビバ町医者!!
町の病院が、果たしている役割の偉大さよ。

退院の瞬間、昭子さんとOさんがエレベーター前まで送ってくれた。
10日間の入院でわたしたちはすっかり同士だ。
「どうぞ頑張ってね」
温かすぎる町の病院、大先輩たちの激励に背中を押されてわたしは扉の外の世界へ飛び出る。

       <モチーフvol.176「町の病院」/イラスト=MihoKingo>

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☆モチーフとは動機、理由、主題という意味のフランス語の単語です。
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中島 桃果子 / Mocako  Nakajima
長く絶版になっていたわたしのデビュー作「蝶番」と2012年の渾身作「誰かJuneを知らないか」がこの度、幻冬舎から電子出版されました!わたしの文章面白いなと思ってくれた方はぜひそちらを読んでいただけたら嬉しいの極みでございます!