月曜モカ子の私的モチーフvol.256「いつかどこかで出番があるなら」
12月号のがんこエッセイ(Tokyo発シガ行き⤴️)を書き終えた。
思っていたよりも断然いい感じに書けた。嬉しい。
なんかもう「アタシ小説家」とかって感じをやめにして、今後はちょっと作文の上手い酒場女主人という感じに書き続けていってもいいのかもと思える満足度でございます。
(後半に書きましたがそんな風に思えるような、名乗らずともどこかで誰かが見てくれているのだと感じ入る出来事がありました)
さて。この月モカのカバー写真を最初は悠光ちゃんの新刊の写真にしたんだけど、今回はその感想エッセイではないので、その時用にとっておこうと、
再び変更しました。
とにかく文月悠光ちゃんの新作は、すこぶる、そう、すこぶる!
予想に違わず、とんでもない!!! 大傑作でしたが、トコトン言葉に向き合い言葉という言葉を尽くした渾身の詩集であるがゆえ適当な言葉で語りたくない。あと勢いに任せてダダダと読んでしまったので、もっかい時間をかけて丁寧に読み直してから何か語ろう。
語るのも野暮ではという世紀の大傑作だから言葉を尽くしては語らないかもしれないが(そうよ語るだけ野暮なの)語らなくても宣伝はしたい。
さて。「物にも第二の人生を」がモットーゆえ、お菓子や靴や雑貨の箱という箱をとっておいているわたしは人間や物にはハマればスターというポジションや配置や役割があると信じている。そしてなるべく、全てが愛しまれ活躍する場所に配置されていれば、その場所のエネルギーは掛け算になっていくと思っている。ちょうど今サッカーのW杯の真っ只中で夜な夜な試合を見ているせいか、さらにそう思う。ポジションと投入のタイミング、輝いてくれると信じて託すこと、また選手同士の組み合わせなど、全てが重要で、おろそかにできることなど一つもない。そんなわけで、わたしはなるべく店のグラスなども不要になって出品されているレトロなものなどをヤフオクで買ったり、サイズを間違えてデカすぎたガラスの灰皿をなんとか智慧を絞って「キャンドルホルダー」としてスタメンにするなど、日々工夫している。
また少し自分に噛み合わないデザインや雰囲気のものも、だからと言って新しかったり使えるのに破棄したりはせず、なんとか何かしらとコラボさせて「お気に入り」になるように努力してみたりする。
また前回の「断捨離」の続きであるが、わたしはものを捨てるときまずは「十分に活躍した」ものからサヨナラしていく。引退!勇退、というようなさよなら。(たまに「ジェインの毛布」のごとく捨てがたいものがあり、その時は「ジェインの毛布」のように何かに奉仕する形のさよならにする)
基本、ものが捨てられない人間なので断捨離のコツを掴むまで時間がかかったが、最近のわたしは「今の気分に合わないし生かし方が今はわからないけど十分に活躍していないもの」に関しては「一旦仕舞う」というやり方をとっている。
それと同時に「長く仕舞っていた」アイテムについても再考する。
W杯的に言うともしかしたら「今こそこの選手が輝く時」かもしれないのである。そんなわけでバイエルライターを制作した際に、ずっとお気に入りすぎて仕舞い込んでいた「リカフリカ」のマッチを最前線に投入。
(リカフリカ、は2010年に麻布十番のbar インフォキュリアスで行われた画家accoによる個展です)
気に入りすぎて仕舞っていたものを第一線に投入すると同時に、
使い方がわからなくて「流石に何年も仕舞っているしもうさよならしようか」と思っているものについても再考する。
自宅の模様替えなど時々やると良いのは、やるたびに「こんなの前の自分には思いつかなかったぞ」という配置や考えに出くわすこと。
同じ自分でも日々色んな朝と夜を超え、視点は少しづつ変わっているんだなって感じる。そして不思議なことに「急に」使い勝手がよくなるアイテムがある。例えば二年前のお誕生日にファンのみきちゃんがくれた口紅の色移りを防ぐ透明のグロス。当初なかなか使うタイミングを逃していたのだが、8月に宵巴里の刊行祝いに頂いたNARSの口紅がどことなく「濡れない」ので(そのマットさこそが味なのだが喋る仕事なので……)それと組み合わせたが最後どハマりして、今は他の口紅をしても最後にそれを塗る。
またこれは肌につけるものゆえ賛否両論あると思うが、母が2018年のクリスマスにくれたパッケージ可愛すぎるアイシャドウがパレット配色的にはどう使っていいかわかなくてまっさらのまま仕舞っていたのだが、
これまた宵巴里デザイナーの松本さんが先日くれた青緑のシャドウと組み合わせたらいいかも!となってから、今は毎日使っている。
いつかどこかで出番があるなら。
そのとき精一杯輝きたいって、みんなが思っていることではないかな。
そしてそのための準備を、みんなめいいっぱいしている。
運命のタイミングってわからない。
わたしは女優になるために10歳から準備してきたけど、
ふと出番が来て大舞台に躍り出たのは小説だった。
そして今度は直木賞など獲れるように、めいいっぱい頑張ってきたけど、
次に回ってきた出番は「女主人」というやつだった。
それでも出番というのがそうそう巡っては来ないことをその時には知っていたから、時を授かるもったいなさに、もちろんまた最善を尽くす。
いつかどこかで出番があるのなら。
これはもう「人事を尽くして天命を待つ」に近いことなのだよなあとか思ったりして。
だってモノに例えるとさ、仕舞っている間にそれらは進化したり形態を変えたりしない。(基本的には)
それら「個」は、最初からその個性のままそこに在るわけで。
それがちょっとした組み合わせや、ちょっとしたアレンジや、ちょっとしたタイミングで、自宅のスタメンになり、スターになって輝く。
いつかどこかで出番があるのなら。
けれど忘れないで。
出番がなくても輝いている。
出番がなくても、ここにいる。
後から知ることもあるから。実は出番があったことを。
実はすでに輝いていたこと。
——色気ない境目は全部奪って雲にあずけた
あたしは鎖を脱ぎ去って 広がり始めた空の海を宙むきに泳ぐ——
23歳の6月に無知さゆえFlyerの中に溶かしたわたしの言葉を、性懲りもなく31歳「魔女と金魚」の中に放り込んで、43歳、その箇所に印をつけた女の人がファンだと言って来てくれた。「サインお願いしてもいいですか」
わたしはあの日Flyerの中に溶けた言葉を、今、もう一度そこに書いた。
出番は、来ていたんだ。わたしの知らないところで。
「いつかどこかで」じゃなくて「今」「ここに」出番がある。
今、ここで、執り行われるじぶんの人生の一分一秒が、大舞台であり出番なんだな。こんな風に答え合せに20年、かかることもあるから。
——色気ない境目は全部奪って雲にあずけた あたしは鎖を脱ぎ去って
広がり始めた空の海を宙むきに泳ぐ——
月モカvol.256「いつかどこかで出番があるなら」
(栞珈琲 at GREEN ROAD/2022.11.19.sat)
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☆モチーフとは動機、理由、主題という意味のフランス語の単語です。
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