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月曜モカ子の私的モチーフvol.259「美しく生存する」

どうも。先週は更新できなかったモカコです。実はがんこエッセイの締め切りがしまっておりまして(先週)、月モカを書こうとするとまだ書けてないそっちのエッセイが気になり、しかしがんこエッセイの今月号わたし的に、上手に書けるのか?! というハードルが高く、後回しにしまくっていたら月曜をロストしました。
月曜をロストしましたがつい二日ほど前に「がんこエッセイ」の2月号は脱稿しました。タイトルは「彼女94歳」まだ組版中のデザインですが雰囲気こんな感じですお楽しみに!

まだ組版中なので色味などここから変わる可能性あります〜

ところで今日の月モカのタイトル「美しく生存する」に関係があることなのですが、本日自分のお店——とはいえわたしは休みで栞珈琲が営業中——の2階で初めて作業というか月モカ書いてみています。楽しい!

まずは窓を背にして座ってみた。

先日1階の本棚を整理したので、その流れで2階に移動した書籍などを少し整えて、そのまま月モカに突入。トップに置いた写真の本棚には知り合いの文筆家の書籍などをまとめたよ。直木賞受賞者だらけの本棚ですが自身がオーナーということで一番見晴らしのいいところに自分の本を配置してる。笑。一番仲良しの文月悠光ちゃんの新刊はまだ自宅で繰り返し読んでいるとこなので、また今度こちらに面おきする予定。
バリウムを10月に飲んでから腸内フローラが破壊されたようでトイレにとても時間がかかるようになってしまい、小学生の頃そうだったようにトイレに本を持ち込み始めた。実は子どもの頃わたしの読書聖域はトイレだった。
原点回帰してここ数週間は悠光ちゃんのデビュー作の文庫版「適切な世界の適切ならざる私」を読んでいた。今は最新作「パラレルワールドのようなもの」を読んでいる。トイレで読んでいるということはわたしにとって最も素晴らしい書籍への称号なのだがトイレで読まれていることを悠光ちゃんがどう思うのかわからずLineなどはできていない。

すごい速読なので本をあっという間に読んでしまうタイプなので、こういう風に何度もなぞるように繰り返し彼女の言葉と向かう作業が楽しい。
16歳の文月悠光の言葉に数週間繰り返し衝突し、
ここ数日は改めて29歳の彼女の懐へ転がり込んでいる。
思えば悠光ちゃんは友達で会って話したり、会話ができてしまうので、このように書籍の中で言葉としての彼女と会うというのは、逆に貴重なことなのであった。これも楽しい。

栞珈琲は月曜日にランチを始めました!

で、美しく生存。そう、わたしの最近の目標は「美しく生存」それだけ。
美しく、には肉体や魂だけでなく心の豊かさや気高さも含まれる。つまり美しく生存するには日々幸せでなければならない!
そしてわたしはいま、日々とても幸せなのである。
この「美しく生存する」という目標は「売れる」とか「儲ける」とか「賞を獲る」とかよりも自分にとって性に合うのだと知った。
何よりも「生存」ということが日々現在進行形という特性を持つがゆえ、いつだって”今”を全力で生きなくてはならないのである。豊かで安全な飲み物や食べ物を肉体に入れ、寒い日には銭湯であったまり、気分良く歌いながら髪を乾かす。そう「美しく生存」するためにはその行為を何かの後回しにするとか下敷きにするとかが全くできないのであった。常にそれらが進行形で進んでゆく限り。

その後こちらのテーブルに移動しエッセイ書き書き。

ただ自分自身も「美しく生存」だけに目標を定めるまでは結構長い旅路があった。レディオを構築しなければいけなかったし、本を作らなければいけなかった。それら全ては「やりたい」ことであり「しなければいけない」ことではなかったけれど、コロナ渦でお店が開けられない時間を利用してなるべく迅速にそれらを遂行しなければならなかった。
事業再構築補助金も申請しなければならなかったし、店も開けられる時は開けなくてはいけなかった。店で出す料理を作らなけらばならなかったし、その食材を買いに行かねばならなかった。

そして頑張って本を出したからには「売れて欲しい」とか「たくさんの人に読んでほしい」とかいう願望も生まれてしまう。するとわたしは、本を売らねばならなくなり、本を宣伝せねばならなくなった。

思えばコロナの時期ーーまだコロナの時期かもしれないがーーわたしみたいな二足のわらじ的な人間には「今しか小説書けない」とか「今だ引越しをするのは!」とか「今のうちにこれらを全部進めておかないと」みたいな時間の制約の中でとにかく2019年の店だけやっていた時と比べるともう目が回る忙しさで、なんかもう「したいこと」が時間に追われて「ねばならない」に変わっていく、それらになんだかもう疲れてしまったのかもしれない。
或いは、大切なことに気がついたのだ、とも言える。

1階の宵巴里ブース。

六本木の芋洗坂で働いていたとき、仲の良い和尚さんに「欲を抑えるってどういうことなんだろう?」って聞いたときに「足るを知ることだ」と教わった。その言葉にいま一度大きく頷いている。

よくスピリチュアルな動画やサイトで「感謝こそが一番波動を上げる!」とか言われるけど、感謝こそ「心の奥底から湧き上がってくる」もので、自分の波動を上げるため、つまり自分のためにすることではない。

でも「足るを知る」と感謝はひとりでに湧いてくる。
それは足るを知って「足りないもの」を見るんじゃなくて、
あたりまえに今自分が持てている日常が「無くなる」と考えた時にその尊さを知るということで、凍えに凍えて風呂に浸かった時に「うおおおおお幸せ〜〜〜」「風呂がある〜〜〜」って思えるっていうことかなと思う。

がんこエッセイの1月号(↑)に書いたけどわたしは入ってくるはずに250万円を年始にロストしてフィンランドにも行けなくなったし、店の存続すら今とても危うくなった2023年を過ごしている。
だけど「もしかしたらイーディ今年で終わるかもしれないんだから悔いなく生きたい」と思うと、もう全ての作業がとっても楽しいのです。笑。

イーディ2階

続かなかったどうしよう!とかはもう心配しても仕方なくて全力を尽くしてダメだった時は、何かしらで働いて借金返しながら、書くことを続けてくだけだから(紙とペン、パソコンさえあれば続けられるこの執筆という作業の尊さよ!)、そういうマインドになるというよりは、
階段下の納戸掃除も「もし店がなくなったら今日のことも懐かしく羨ましく思い出すんだろうなぁ・・・」と思うだけでもう今がその未来には失われた唯一無二の「時」なのだという気がしてきてその掃除すら最高に幸せなのである。

なんていうのかな。
「このアタクシが根津の路地で終わるわけがない」とか
「このアタクシの書いたものが800部もはけないはずがない」とかって、
どういう思い込みで、どういう状況にならないとわたしは幸せと思えなかったんだろうか、と最近思う。
まあ自身を女主人というよりは小説家として考えていたんだろうね。
(つまりこれは職業スタンスの問題で根津で働いている人を見下ろしていた話ではありませんよ)

しかし根津で終わるわけないアタクシが根津の路地すら続けてゆけないかもしれないいま(つまりは女主人の才能にも欠けている!)
自己評価高すぎたのではないか、とか、笑、
なんか「虚構の幸せ」に向かって汗水垂らして頑張ってしまっていたのではないかなと思ったり。

人は自分すらも何かしらの古い思い込みで騙してしまっているんだと思った。最近わたしは栞に言ったのだけど、わたし達はもしかして作家とそのファンという相性なのではなくってもしかしたらビジネスパートナーとして最高の相性だったのかも、って。
一緒に暮らして店も一緒にやって、同じ哲学でお客様をおもてなしできる。
わたしたち割といい人。軒先じょーじで生誕祭するってわかったら、本来そこまでしなくてもいいかもしれないけど大きな看板とか頑張って書いたり、丁寧に朝からお店掃除したり、しちゃう人たち。

生誕祭は大盛況の爆誕祭となりました笑

いろんなハプニングやトラブルがあっても最後は全部自分の腹に落とし込んで咀嚼していこう、という考えも互いに持てているので、とにかく愚痴る暇があったら何かしらの努力をしなさいよという考えも似ている。

こんな関係性って本当に見つけようと思って見つかるものじゃないから、栞の存在ってわたしの人生の財産なんだけど、
それでもわたしは彼女は小説家としてのわたしのファンだから、彼女が喜んでくれるような作品を書き続けてこそ価値があるんだって思っていた。

でもふと思った。もしかして未来にこのように一緒に一つの方向に向かって力を合わせられる、感性の近さがあったから、
彼女は「誰かJuneを知らないか」を誰よりも深く理解してくれたんじゃないかって。あの出会いから今があるけど、インターステラー的に遡れば、
今のためにあの日あの本屋に「誰June」は並んでいたのかもしれない。

そうやって今の自分を構成している要素、わたしの周りに当たり前に存在してくれているもの達を「思い込み」を外して見直してみると、なんだかとても足りていることを知る。今最も足りてないのはお金だけだな笑!

とか言ってたら古い芋洗坂時代からのお客様早Pが上梓祝いをくれた!!!😭

まあそんなことを思うと、とても「明日死んだとしても幸せな人生だと思えるように生きよう」って感じになって、
目標が「美しく生存する」だけになったわけ。

今日わたしは自分の店の2階で月モカを書き、美しく生存しています。笑。

            月モカvol.259「美しく生存する」


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☆モチーフとは動機、理由、主題という意味のフランス語の単語です。
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中島 桃果子 / Mocako  Nakajima
長く絶版になっていたわたしのデビュー作「蝶番」と2012年の渾身作「誰かJuneを知らないか」がこの度、幻冬舎から電子出版されました!わたしの文章面白いなと思ってくれた方はぜひそちらを読んでいただけたら嬉しいの極みでございます!