夏の終わり、鬱の終わり?

昨日はニューカレドニアにてカニさんとツーマンでした
台風消えてくれて本当にありがとう
台風やっつけてくれて本当にありがとう、九州の山
足向けて寝られへんな、言うたけど完全に西に足向けて寝てたわ

8月が終わった
ライブが出来るのが当たり前ではないということを身をもって実感した夏でした
いつでも人間が元気で、世界が味方とは限らない

9月になったから今日は靴下とスニーカーを履いて長ズボンで出てきた
いや、普通に暑い

昨日は友達が家に泊まりにきてくれてたし、昼間も人と予定があって、夜はハードレイン出勤だったので割とずっと人といた

ハードレインはのんびりの日だったのでひとりでずっと脳みそをぐるぐるさせていた
小BADから入って、うーん、まあ頑張って生きるしかねえなあ、やれやれ、まで
緩やかな上り坂

なんだか元気ぶっているけど全然いつでもまたド鬱に入る可能性はあるんだよな

この脳みそを持って生まれてしまって、死ぬことを諦めたのでこれは生きてる間きっとずっと付きまとう

生きていればいいことがあるから!とか、そんなポジティブな理由で死ななかったわけではない
本当に死にたかったけど怖すぎたし苦しすぎたからやめただけ
失敗して生き残って下手に障害が残ったりしたら最悪すぎるからやめただけ

生まれたから生きる、じゃなくて、死ぬの怖すぎるから生きる
生きるならなるべく自分がつらくないほうがいい
あと別に自分のこと、嫌いじゃないし

考えすぎ、と言われるし、実際そうだと思う
とても厄介だけど今は自分のこの脳みそが割と好きだと思える
そういえばガチヤバド鬱のときはまともに考えることすらできなかった

人から、こんな自分でも生きているから大丈夫よ、思い詰めないでね、的に励ましてもらえることがある

いや、違うのよ、めっちゃありがとうなんだけど
性格が違いすぎるから、きっと考えすぎ人間は考えすぎ人間同士でしか慰め合えない部分がある

基本的にネガティブだけど、だからこそ考えすぎることでなんとか自分の哲学を打ち立てて良い方に持っていけているところはある

今日出た結論は、ひとまず自分自身に対して己が強いふりをしておかないと、ちょっとつらいときに崩れてしまう
は?それくらい私は炎なので燃やせますが?と思っておくと、大丈夫やったりする

でもガチ辛いときはいったんめちゃくちゃ落ち込むターンやってあげないと長引く、ということもわかった

私が立ち直ってきたのはめちゃくちゃ人のおかげなので、これからはなるべくハッタリでもつよ女ムーブかまして少しでもみんなの世界を大丈夫にしたい


私が歌うのは自分のためだ
歌を歌うのが好きで、言葉を並べるのが好きだから
でも私が歌ったら喜んでくれる人がいる
それならそれは使命だろ
無理なときは無理だけど
今は無理じゃないからやるよ

まあ別に自分のためなんだけど
歌ってる自分が好きだから

みんなに言いたい、私は大丈夫、みんなが大好き

私の好きな人間、私の押し付けを受け入れてくれる人間
これ食べる?で食べてくれる人、
遊ぼや、で遊んでくれる人
嬉しい、大好き


昨日やっと11/20の誕生日ライブのフライヤーができた

まって
めちゃくちゃ可愛くないですか?

私は自分の絵と文字が好きだ
人の似顔絵描くのめっちゃ好き

実は私は自分の好きなところが結構ある
なのになんで自己肯定感低めなんだろうな?

ガチ太陽の人って、自分という存在を無条件に認めて愛しているから本当に羨ましい

何かしらにもたれかからないと生きていけない
それが完全に自分自身、もしくは他人、に振れると厄介だ
今までそのバランスが多分うまくいってなかったんだろう

本当に、何事もバランス
みんな言うてるからいい加減うるせー、と思うけど、みんな言うてることって大体本当のことなんだよな


みくのしんが読書する記事がまた新しく出ていたので今日読んだ
今回は山月記
私のような人間にはかなり刺さる内容だった

みくのしん、最初はテンションがちょっと苦手だったんだけど、感性がピカピカすぎて心が洗われる、いまかなり好きだな
リンク貼っとこ

布教布教、かなり長いけど時間あるときにぜひ読んでみてほしい
ひねくれた私たちにはうってつけ


ゆるく強く生きていく、ということがきっと許される、許せよ
私には助けてくれる人がいるし、その気になればつよ女ムーブだってできる


なんとかなりますように、私もみんなも
秋は美味しいものいっぱい食べようね

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?