眠るための毎日(文フリ38 U-09無料配布)
このnoteは、文学フリマ東京38に出展にされた東京のつくばナード出版会・N2Aさん(U-09)の無料配布物に寄稿したものです。こういった文章は初めて書いたので色々と拙いところがあると思いますが、温かい目で見てもらえると助かります。では、どうぞ。
最近、真夜中に公園でブランコを漕ぐことに熱中している。
ブランコは、良い奴だ。成すことやること全てが明確で、周りには子供の若さと気力、陽気で満ち溢れている。対して私は、将来の不安でずっと陰気である。世の就活熱だとか、地元の幸せ者の戯言とか……多くのことにあてられて、気が滅入っている。
こんな私でもブランコに乗れば少しぐらい陽の気を拝借できるかと空で足を動かすけれど、聞こえてくるのはブランコの金属が軋む不快な音と土浦から来る乱痴気騒ぎの後始末だけ。あの後始末のサイレンは、食指を伸ばすのかブランコにのる私にまで意識を向けてくる。そうしたときは眼の前のウエルシアへ足を向け、あたかも深夜労働をしていた顔に切り替える。世界は、疲れた顔の人間には優しい。
そうして流れ着くウエルシアは、いつも混沌としている。ドラッグストアとか名乗りながらタバコ酒は売るし、薬売り場より食べ物売り場の方が大きい。そんなウエルシアも歪さを認め、タバコの販売はもうじき取りやめるようで、喫煙者にとっては悲しい話かもしれない。私は、タバコを吸う人間ではないので気に留めることでもないが、世界がより窮屈になること自体には悲しさを覚えてしまう。
そういった悲しさを右手に、いつも朝ご飯に食べるヨーグルトを左手に持って帰路につく。その道程で私は、空に浮かぶ28日周期のことを考えつつ、暗い世界を眺める。毎日通るその道は、常に微弱な変化を繰り返していて、毎日違う顔ぶれを見せてくれる。野生の生き物たちが顕著だ。タンポポの花や綿毛、名前も知らない鳥たちの地鳴きやさえずり。時の変化により少しずつ彼らの声や姿に変化はあるが、かわらず春の温かさを通して世界に愛を振りまいている。それに対して私は、ちっとも変わりはしないし、毎日将来の不安でずっと頭を抱えたままだ。
家についた私は、部屋の散らかりを感じながら眠るために準備をする。明日は今よりちょっとだけ、掃除でもいいから頑張ってみよう。こんなことを考えながら、今日も眠りにつく。
あとがき
次は、もっと長編のものを書いてみたいですね。
つくばナード出版会さんありがとうございました。