ここまで生きて来れちゃったから。
人を助けていないあなたも、あなたなのだ。
ワークと切り離された、もっと素朴で、何も形容されていない、ただ「ある」存在としてのあなたを、誰も消すことはできない。
このnoteを読んですぐに思い出したことは、そういえばわたしは、福祉の学生だったとき、「人から必要とされるソーシャルワーカーになりたい」とずっと言っていたなぁということだった。
利用者様の支援を仕事にしてから、格段に生きやすくなった…と、思っていた。
環境の変化が激しいときの自分の心との付き合い方
先日開催されたこちらのイベント第2週目のゲストには、このnoteを書いてくださった、ゆうすけ先生をゲストにお迎えしました。
4週連続のイベントどれも本当に今考えたい大切なテーマですが、わたしは特にこの2週目『環境の変化が激しいときの自分の心との付き合い方』を本当に楽しみにしていて、このイベントへの期待の気持ちも書かせていただきました。
わたしは障害者支援施設で生活支援スタッフをしています。
主に知的障害のある方が入所している施設ですので、勤務は24時間のシフト制です。
知的障害への支援がとても好きで、毎日楽しく仕事をしています。
その気持ちに変わりはありませんが、この新型コロナウイルスの影響により、仕事へ向かう時、利用者様と接する時、普段とは違う緊張感とプレッシャー、大きな不安を感じるようになってしまいました。
ニュースでは毎日、感染者数、死亡者数、施設での集団感染など、不安を煽るような事柄がたくさん流れています。
もちろん情報として必要なことだと分かってはいるのですが、私たちの仕事は自粛ができません。
スタッフ個人が、どれだけ不安を感じていても、シフト通りに仕事へ行かなくてはいけません。
私はどうしても、
“他のスタッフもみんな頑張っている”
“利用者様の生活のためだから”
と、自分の感情よりも周りのことを気にしてしまいます。
これから先も、このウイルスと付き合いながら暮らしを支えていかなくてはいけません。
そのためには、自分の感情に蓋をせずに、不安な気持ちとも、うまく付き合っていくことが必要なのだと感じています。
こんな状況の今だからこそ、自分の心との付き合い方を学びたいと思いました。
「すべての対人関係に絶望する必要はない。諦めないこと。」
当日のレポートはこちら!
トークセッションに参加していながら70人の前でボロボロと泣いてしまったのは、ゆうすけ先生の「すべての対人関係に絶望する必要はない。諦めないこと。」という言葉を聞いてから。
わたしはこの状況の中でそれでも頑張らなくちゃ、やらなくちゃといっぱいいっぱいになり、疲れてしまって、大好きだったはずのKAIGO LEADERSの運営も続けられないなと思い、お休みすることに決めていました。
でも運営をお休みしても関係が続くだろうか…それが一番怖かったのかもしれない。だから、ゆうすけ先生のこの言葉を聞いて重ねてしまった。
確かにわたしは今まで誰からも必要とされてこなかったし、人間関係を築けなかったし、切りたくても切れない関係性に苦しんできたけれど、でも、今はもう子供じゃないから、自分で選べるし、大切にだって出来るのかもしれない。
「かもしれない」って少しの希望を持てたような気がして、心地良い時間だったなと久しぶりにあたたかい気持ちで眠りについた。
利用者様の生活を守るために、自分の生活を犠牲にしている
あれから日常に戻って、『自分の心との付き合い方』を学んだはずなのに、すぐにまたしんどさがやってきている。
なんで周りのみんなは頑張っているのにわたしは頑張れないんだろうという思いだけが大きくなってきて、苦しい。
そうか、そうだったのか、“犠牲”だと自覚出来ないほど、当たり前のことだと思い込んでいた。
だってそれがわたしの仕事だから。これでお金をもらって生きているから。
高齢者ではないものの、障害者もリスクが高い方々だと思う。そんな方々に3密と言われてしまうような距離感で接するしかないわたしたちの仕事。
わたしは車通勤なので、ここ数ヶ月電車は乗っていないし、旅行なんてもってのほかで、大好きな映画館も岩盤浴も水族館も、コンビニさえも行っていない。
公共交通機関を使って通勤しているスタッフもいるし、生活のためにスーパーに行くことは必要なので、これらは職場から強制されているわけではない。
それでもわたしはここ数ヶ月間、文字通り、職場と自宅の行き来しかしていない。
ここまでするのは、ただただ怖いのだ。
わたし自身が感染することではなくて、利用者様に移してしまうことが。そして、利用者様にもしものことがあったら…と考えると、仕事に行くことが本当に怖くなる。
この恐怖がしんどさの理由だと思っていたが、恐怖と一緒に自分の生活を犠牲にしているからこんなにつらいのか、と、このツイートを見るまで気づかなかった。
少しの体調不調で仕事を休むことも大切だけれどみんながそれをやってしまったら、一部のスタッフだけに負担がかかり、利用者様の生活を支え続けることができなくなってしまう。休むことは大切だし、無理しないことも大切だとそんなことはわかっているけれど、無理しないってなんだろう?
どうしたら無理しないで、利用者様の生活を支え続けることが出来るのだろう?
頑張り続けるしかないのだ。他のすべてを犠牲にしてでも。でも、じゃあ、わたしは何のために生きているの?
何度も思う。
なんで頑張れないんだろう。
他のスタッフだって、みんなしんどいはず。しんどい中でちゃんと頑張っているのに、なんでわたしは…
自分の不幸な状態が変わらないなんてファンタジー。
なんでわたしはってすぐに思ってしまうけれど、それさえも思い込みなんだよね。思い込みで、自分を不幸にしているのは自分なんだよね。
わかっているけれど、わかったから、じゃあ、どうしたらいい?
元々引きこもりのわたしは家の中で出来る好きなこともたくさんある。読書もYouTubeもお風呂も、飼い猫もいる。
そうやってちゃんと一つ一つ、自分を癒すことを着実にやっていかなくちゃね。
心安らぐ時間を確保して過ごしていかなくちゃね。
4月にこのnoteを書いてからただひたすら前向きに頑張ってきたつもりだ。実際に強いストレスにもなんとか耐えてきたのではないかと思う。5月には悲しい出来事もあって今だに受け止められていない、そんなこの約3ヶ月間。
今、どっと落ち込む期間になったのだろう。好きなことを休みたくなるくらい疲れてしまった。
外に出なくても人と直接会えなくても自分に水をあげる方法はたくさんあるはず。そして、これらはすでにやってきている。ずっとやっているつもりだったけれど、そろそろ限界みたいだ。好きなことも楽しめなくなってきた。
このnoteに書いてある通りのことがわたしに起こってきていて、もしかしたら今は疲憊期にいるのかもしれない。
だとしたら、今のわたしにできることは、
感情焦点型:悲しみや怒りや不安を表出し、付き合い方を模索する
これなのかな…と思って、このnoteを書いてみた。
ただ書き殴っただけでたぶん今までで1番読みづらいnoteになってしまったなぁという自覚はあるのだけれど、何度読み返してもなかなか整理出来ないので、もうこれで良しとする。
だって、
今は苦しくて当たり前。自分を責めない。こんなに環境が変化しているのだから、「仕方ない」と考える諦めも大切です。
「コントロールできること・できないこと」を明確にして、コントロールできることに集中し、できないことは諦めてしまいましょう。できないことについては「違う捉え方はできないかな?」などと認知再評価型のコーピングをしてあげることも大切です。
だそうなので、認知再評価型コーピングしてもう少し生きてみよう。