#soar応援 #このsoar記事が好き
わたしの大好きなメディアsoarがクラウドファンディングをしています!
微力ながら応援させていただいたのですが、もっとなにかできないかなぁと思い、以前のハッシュタグキャンペーン、 #このsoar記事が好き を書こうと思います。
soarの記事はどれも本当に大好きで選べない〜どうしようかな〜と、twitterやnoteを読み返しながら書いていたら、8600字になりました。至福の時間でした。
ゆるりとお付き合いいただけたら嬉しいです!ぜひ気になった記事を読んでみて欲しいです。
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「安心して絶望できる人生」は、苦労を受け入れることから始まる。「べてるの家」のべてるまつりで学んだこと
人生には、こんな思いがけない落とし穴のような苦労が順調に訪れつづける。それに抗うことなく、コロっと苦労と一緒に転んでしまってみると、案外楽になれるのかもしれません。
“弱さ”ということを、“苦労”ということを、ときに人生に光を差してくれる“希望“のように思わせてくれた。北海道の浦河町という、小さな小さな町にあるその場所から届くメッセージは、この数年間、私の生きていく道しるべとなっています
「弱さの共有」「毎日いろいろあっても、順調に問題だらけ」
大切なことは全てべてるが教えてくれた。
大好きな「べてるの家」、大好きなsoar編集長工藤瑞穂さんのべてる愛が溢れる記事が大好き!
soarのべてるの家の記事は全部好き!それぞれの視点からみたべてるをたくさん知れて嬉しい。
病気は「隣人」だとべてるの家から学んだ。適応障害になった僕が始めた“自分助け”(鈴木悠平)
“困りごと”を周囲と一緒に研究し語り合う。べてるの家の「当事者研究」体験プログラムに参加してきました!
テーマは「爆発と金欠」!?病気を仲間とともに研究する、べてるの家の「当事者研究」を見学しました
「アベさんはモノを破壊しちゃうから、怖がっているメンバーもいるんだけど、本当はアベさんが悪い人なわけじゃない」
力強く言い放たれた「悪いのはアベさんじゃない」というこの言葉は、“人と起こった事象を分ける“という、べてるで実践している考えのひとつです。
カフェや畑に診療所も!精神障害のある人たちの地域活動拠点「べてるの家」を紹介します
生きづらさを“語る”ことが自分を助ける。べてるの家・向谷地生良さんが考える「苦労の主人公」として自らを語る意味
見えたり聴こえたりすること自体は決して病気じゃなくて、それが受け入れられない社会の中で起きるストレスで生きづらくなって『病的』になっている。人と違う形で世界を感じることは誰もが少なからずあるし、そういう可能性のある状態でみんな暮らしていると思うんです
「こんなこと言ったら周りから変だと思われるんじゃないか」そんな恐れが自分の声をおさえつける
「語って良いのだ」という安心がその人の生を肯定する
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“その人らしさ”はきっと、関わりあいのなかで立ち上がる。西村佳哲さん、工房まるの二人と考える「人の居場所」について
人と人であることだよね。支援者と非支援者ということではなくて。
人を変えたがる人がいるなあと思っていて。自分の思い通りにコントロールするって意味では、「人を良くしたい」ということさえ、そうなんだよ。本当、余計なお世話だなあと僕は思っていて。
人が関わりあうってことは、お互いに変わっていくってことだよね。人と人は関わり合いの中でお互いに育ちあうから、どちらか一方が育つってことがない。
スタッフが〝その人らしく〟いなかったら、利用者さんもその人らしくいようがないよね。
その人それぞれの持ち味がメンバーと関わって活かされたり発揮されたときに、出てくるのかなと。
そして、メンバーと関わっての気付きや発見は、必ず社会の役に立つものになっていると思っていて。だからもっと福祉関係者の人たちが、自分たちの気付きや、世に人が生きていくために何が必要か、というものの価値を表現しないといけないですよね。
このイベントに参加してとても穏やかな気持ちと同時にもっと頑張ろうと思えた。思い出深い、学びの多かったイベント記事。
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「アルス・ノヴァ」が示す、障害があっても“好きなこと”から道を切り開く生き方
空を見上げたり、石で音楽を奏たりすることを、純粋に楽しんで、自分を表現している彼らは、きっと社会が今まで「正解」だとしてきた価値とは違う「価値」に気付かせてくれる存在だと思うんです。
障害のある方のケアにとどまらず、新しい生き方や働き方を教えてくれる創造的でアートな場所。そんなアルス・ノヴァをたくさんの人に知ってもらい、全ての人の可能性が広がるきっかけになれば嬉しいです。
利用者様のエピソードがたくさん紹介されていて、とっても素敵!生き生きとしている姿、この場所だからこそなのだろうなぁ。
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頑張る理由もない、褒められることもない。ただ「好き」に没頭して生きる――福森伸さんに聞く「しょうぶ学園」の障害のある人たちの姿
電車の中で『ぎゃーっ!』て叫ぶと周りにびっくりされますけど、ここでは誰も振り返りませんね。むしろ隣で叫ぶのを手伝ったりする。全員で『ぎゃーっ!』って(笑)そしたら不思議と安定するんですよ
「あなた自分のこと好きですか?」って聞くと、「うん、好きに決まってんじゃん」って言うんです。「なんで自分が好きじゃないの?好きじゃなければ生きていられないでしょ」みたいな感じでキョトンとしますね
本当に素敵で、わたしが言葉に出来ることは何もないので、ただただ読んで欲しいです。
ライター鈴木悠平さんのツイートもとても素敵だったので載せさせていただきます。
生きるのに「物語」を必要としていない(ように見える)人たちのことを、私はわざわざ、文章でどのように描くのか。
難産でしたが、思い出深い記事になりました。読んでもらえると嬉しいです。
間違っても「知的障害の人は健常者にはないピュアな感受性を持っている」という手放しの称賛はしたくなかったし、かといって「障害のあるなしにかかわらず同じ人間だよね!」なんてナイーブな一般化もしたくない。
近くて遠い、隣人。言葉を多くはかわさず、共にあること。
「どうして頑張らなきゃいけないんですか。」
そう聞かれたら、なんと応えるか。
きっと報われるからと、「未来」のためにがんばること。
ただ「今」、自分が好きなことに没頭して積み重ねること。
どちらが正解かはわかりません。でも、きっとここにヒントがあります。
子どもたちが自分らしくいられる居場所を!知的障害のある人たちの感性を尊重する「しょうぶ学園」の新たなチャレンジ
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一人ひとり違ってあたりまえの“インクルーシブな学童”とは?障害の有無に関わらず子どもたちが共に育つ「sukasuka-kids」
こんな場所が増えたらいいなぁと思いながら、ライターの八ツ本 真衣さんの優しい文章がこの場所を伝えることにぴったりで、あっという間に読み終わってしまった素敵な記事。
障害のある子もない子も共に過ごす放課後の居場所「インクルーシブ学童」を取材しました。育ち合った子どもたちが大人になったとき、「互いに違う」ことが当たり前のやさしい地域ができるはず。
みんなを包み込む居心地の良さを、ぜひ追体験してください^^
彼女の書く文章が大好きなんだよなぁ。
次のあみのすけの記事も彼女が書いていて大好き!
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「聴導犬が私の日常に彩りを与えてくれた」耳の聴こえない人に寄り添う、小さくて頼もしいパートナー
いっしょに歩いていて、あみのすけがふと立ち止まって上を見上げたりするんですよ。それに対して『なあに?』って聞くと、目線の先には木の葉っぱがこすれていて、その音を教えてくれているんだなと。どんぐりがポトンと落ちる音なんかも、あみのすけが教えてくれました
あみのすけがとにかく可愛い。このエピソードが大好き!
今気づいたのだけれど、URLがaminosukeなのも可愛い。
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障害のあるなしに関わらず、その子なりの”幸せ”がある。それを一緒に見つけたい。早坂マリさんと2人の兄弟の日々
自分の子と他の子、もしくは障害児と健常児を比べることなく、どんなときも目の前にいるこの子をしっかりと見るということ。
そして、その子ができることを少しずつ伸ばしてあげるということ。それが子どもの、ひいては家族の幸せにつながる。
本当に素敵なご家族で、障害のあるなしに関わらず幸せがあるという言葉は、わたしが働いている法人の理念でもあるので、嬉しく思いました。こう言い切ってくださる方がいるから、わたしはもっと頑張りたいと思えます。
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ギャンブル依存症になって憎んだ父も、いつか幸せになってほしくて。依存症経験者のサポートをする金井駿さん
僕自身、自分の経験と向き合いながら「依存症になっても、誰もが回復して心地よく生きられる」仕組みづくりを、人生をかけて実現していきたいと思います。
“ギャンブル依存症になって憎んだ父も、いつか幸せになってほしくて。”って本当に素敵すぎる。
“依存症”はサポートが必要な“病気”であること。相談先があり、回復の可能性がある病気であること。たくさんの人に知ってもらえるといいな。
アルコールもギャンブルも薬物も万引きも、そのほかにも依存症になるものは色々あって、全てそれは病気なんだよ。ちゃんと治療が必要なんだ。
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「クスリをやめたい」その思いでつながった仲間のおかげで、今生きています。“薬物依存症”のPenさんが歩んでいる回復の道のり
とても丁寧に優しく語ってくださったpenさんのお話しを読むことができてとても良かったです。語ってくださって、本当にありがとうございます。
薬物依存症にとって本当に必要なことは、刑罰ではなくて、支援。いろんなニュースを見て、いつも心が痛くて、でも、それをうまく伝えられなくて、心苦しかったのだけれど、こうやって、とても丁寧に優しく記事にしてくださり、とても嬉しかった。これからはこの記事を読んでもらえたら良いのだ。
感情が心まで伝わってくるぷるすあるはさんの絵も大好き!
最後に「通報されない・説教されない・薬物についての話ができるところ・ドラッグで困ったときの情報があるところ・どんなことでもOK!電話・LINE相談も」などの関連情報や平安の祈りが載せてあるところもsoarの素敵なところ。
平安の祈り
神様
私にお与えください
自分に変えられないものを 受け入れる落ち着きを
変えられるものは 変えて行く勇気を
そして 二つのものを見分ける賢さを
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暴走族、女子少年院…消えない過去も“私に必要だった”と受け入れたい。出所者の支援をする中村すえこさん
人は自分では自分の変化に気付きにくいもの。でも、本来「変わりたい」と思ったら人はその時点で既に変わっているものなのだと思います
忘れてしまいたい過去がある。
変わりたいけど、変われない。
私もそう思っている一人です。だからこそ、その気持ちを大切に生きていこうと思います。1年後、5年後、もしかしたら10年後、今とは違う自分に出会うことを楽しみにしながら。
人は自分の変化には気づかない。グラデーションのようにゆっくりと移り変わるものだから。
ずっと変わりたくて変われないままの自分を責めてしまう夜、この記事を読んで心を落ち着かせる。大丈夫だと思える。
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私にとっての正解は、私だけが知っている。髪を抜いてしまう「抜毛症」を公表して生きることを決めた土屋光子さん
ダメだと分かっているのに、やめられない自分を責める必要は全くありません。治っても治らなくてもいい。
大切なことは、自分の奥底にある気持ちから目を背けないこと。そして、自分を否定してしまわないこと。
これらの言葉に本当にありがとうございますという気持ちで、わたしにもダメだと分かっているのにやめられないことがある。なにがわたしにとっての正解なのかは分からないけれど、自分を否定しないで生きられる選択をしていきたい。
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「あなたの人生は、あなたのもの」そう子どもに伝えられたら。LGBTの親へのカミングアウトを通して考える、家族での対話の大切さ
「不幸じゃなかった」という言葉を口にするまでに、この子がどれだけの苦労をしてきたのかっていうことを、初めて実感したから。カミングアウトのとき、あの子を否定しなくて本当に良かったって、心から思いました。
あの頃、泣いたり、苦しんだり、考えたりしていた膨大な時間があったから、今は変わることができた。その時間はとても大切で無駄ではなかったんだよ
どんなに誰かが僕を異常だと思っていても、僕が彼を好きになったというこの感情が、こんなにも美しいっていう事実は世界で僕しか知らない
太田尚樹さんのこの言葉がずっと残っている。クスッと笑ったりちゃんと泣いたり、何度も読み返している大好きな記事。
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つらくても、いつか必ず笑える日がくるから。妻をがんで亡くし、シングルファーザーになった木本努さんが始めたひとり親家庭のサポート
きっといつか乗り越えられるよって言うのは違う気がするんです。悲しみはずっと抱いててもいいから。僕に言えるのは、『今は涙いっぱいかもしれないけれど、いつか必ず笑える日が来るから』っていうことですね。
この言葉が大好きで悲しい気持ちになった時に読み返します。
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誰かを亡くした悲しみは、”乗り越えるもの”ではなく”大切に抱きながら生きていくもの”。グリーフケアを広めるリヴオン尾角光美さん
亡くなった人たちが生きていた証拠を持っている私たちが生き続けて、生をつなげること。それはとても尊いこと。
私たちは生きていても、亡くなった人たちとのつながりを感じ直せるし、新たに紡いでいくこともできる
大好きな人たちの大好きな人が亡くなったとき、この記事があって良かったと思った。
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誰でもみんな「回復する力」を持っているーー新井陽子さんに聴くストレスやトラウマとのつきあい方
代替のきかない自分と、うまく折り合いをつけていくこと。自分と向き合い、自分の心が感じていることにしっかりと耳を澄ませること。
わたしたちには生きていくための「強さ」が備わっている。誰でもみんな回復する力を持っている。ということは本当に救いだよなぁと。つらくなったとき、読み返す記事。
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誰かの役に立ちたくて、「自分だからできること」を考えた。発達障害のある私が見つけた自分を活かす働き方
このコラムもとっても素敵なのですが、現在の活動、応援ソングライター/シンガーソングライターのyu-kaさんがとっても好きです!
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“より良くする”だけが人生じゃないから、涙だって大事。自身の特性も弱さもまるごと受け入れて生きる小竹めぐみさん
その日そのとき自然に生まれた会話や触れ合いを大事にしたいなと。そのまんまで向き合おうって思うようになりました。
この言葉でわたしも利用者様に対して自然体で関わっていきたいなと思えた。
人って、変化するときは、勝手になるべき姿になっていくと思っています。
落ち込んだとき、自分に嫌気が差したとき、どうしてもまず一番に「こんな自分は嫌だ、自分を変えたい」と思ってしまうことがあります。けれど、それよりも今自分が感じている感情を知って受け入れることが大切なのかもしれません。
自分の素直な気持ちに従って、生きること。それは、想像してみるだけで、とても自由で心躍るものです。
一度、止まってみるといいんじゃないかなと思います。頑張って生きている大人が多いけど、止まることができない人も多いなと。
泣くことも大事だし、嫉妬することも大事、それに一人でふさぎ込む時間だって。
より良くすることだけが人生の醍醐味ではないと思うんです。
生き方がとっても素敵で、猫と一緒に笑っている写真も大好きで、こんな風に生きていきたいなぁ。わたしはこういう人に憧れるのだなぁ。そう思った大好きな記事!
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私はひきこもりだった。今でも人と関わるのは怖いけど、人との出会いは悪いものじゃないって思うんです。ひきこもりUX会議・恩田夏絵さん
自分の人生は、自分で決めるしかない。
どんなに辛くても、人生に責任を持ってくれる人は自分の他にいないから。
それでも、苦しいときに自分の足で立つことがどんなに難しいかも分かるから。
そのなかでも自分の人生を描いていくためには、私はこういう人間だってことを、自分の頭と身体を使って実感していくことが大切。
自分の人生を自分で生きているという強い想いが伝わる、こんな風になりたいなぁ。
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“生きづらさ”と一緒にどう生きる?東藤泰宏と鈴木悠平が語る、自分の物語の紡ぎかた
僕は30年間ずっと、”マイルドな生きづらさ”とでも言うべきか……病気の診断や社会的マイノリティとしての属性があるわけではないけど、ずっと「周囲にフィットできないなぁ」という感覚を抱えて生きてきて
そういう、名前のつかない生きづらさを感じている人に読んでほしいな
他の人たちと比べて「自分は大したことない」と、”過剰な謙虚さ”を持ってしまうんですよね。診断があってもなくても、自分が自分として「苦しい」「辛い」と感じているのは事実なのに。
傷ついた気持ちや悲しみは、そもそも他人と比較するものじゃないんです。それは人それぞれ、完全に固有のものだから、症状の重さやエピソードのレベルは関係ない。うつじゃなくたって、みんなもそれぞれに辛かったり、苦しかったりするよね。
診断がもらえない生きづらさをずっと抱えていて、わたしのこれは甘えなのだろうか、生きづらさなんて言っていいのだろうか、もっと大変な人はたくさんいるのに…と思ってしまうわたしには、ぴったりの記事。
「もうちょっと、自分のことを受け入れてあげればよかったのかな」と思いはじめていました。自分の感情を、過小評価しなくていい。
鈴木さんの「ヘロヘロだけど生きてるぜ」が好きです!
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「絶望のなかにも必ず希望があるんだよ。そう伝えるのが僕の役目です」ーー被災地の先生と子どもを支えるスクールカウンセラー・岡田太陽さん
日本で一番不登校が多くて経済的に厳しい状況のまちに行っているので、こちらの心がめげそうになることもいっぱいあります。そんななかでも、「あっちが明るいよ、あっちに行けばきっといいんじゃないか」って言いたい。
自分はいくらでも帰り道に泣けますよね、「何もできなかった」って。でも子どもの前では、やっぱりそれを見せるわけにいかない。時に見せることが必要なときもありますけど、やっぱり「それでも生きてりゃいいことあるさ」っていうふうに気持ちを向かせたい。
「絶望に打ちひしがれて死んじゃうよりは、生きてた方が何かいいことあるよね」っていう希望を、僕がほんの少しでも感じさせてあげれたらいいのかなって思っています。
とても素敵な笑顔で悩みながらも支援をし続けている姿がとても素敵。
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突然の病気や介護。“何かあった”とき頼れる存在がいることを知ってほしい。ソーシャルワーカーの横山北斗さん
誰にでも思わぬ困難に出会う可能性はある。そのときに、ためらわず「自分がよりよく生きる」ための手段を使ってほしい
とても分かりやすくソーシャルワーカーを知れる記事、ソーシャルワーカーがもっと身近な存在になれるといいなぁ。
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いつか迎える最期の日まで、“生き生きと暮らす”お手伝いがしたい。介護の仕事をとおして高栖望さんが願うこと
感じていること、心掛けていること、とても素敵で、似たような想いを持って、頑張っている方のお話を読むことが出来て、もっとわたしも頑張ろうとなれます。
介護の仕事というと、どうしても“高齢者の身の回りのお世話をする”という認識で捉えられがちです。でも望さんの働く姿を見て、介護は“人がよりよく生きるためのお手伝いをする仕事”なのだと、私は感じました。
人は年を重ねれば、どんどんできないことが増えていきます。そのなかでも、できることや得意なこと、好きなことに目を向けていく。
何気ない日々のなかに“喜び”がある生活をつくっていく。
こんなかたちで介護という仕事があるのならば、年をとることは怖くないかもしれない。
この取材を通して、私はそんな風に思うことができました。soarとなんら変わりなく、きっと「人の可能性を広げる」ための介護の仕事はあるのだと思います。
工藤さんが書いてくださった最後のこの言葉が本当に嬉しくて、わたしもここでコラムを書かせていただきたいと思った、大切で大好きな記事です。soarを好きになったきっかけです。
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ということで…
生きづらさを抱える私だからこそ、できることがある。障害がある人の「幸せへの支援」を仕事にする叶世美奈さん
恥ずかしながら、でも、自信を持って、大好きで大切な記事です!
soarでコラムを書かせていただいたことは本当に貴重な体験になりました。
たくさんの方が読んでくださり、嬉しい言葉をいただけるたびに、ここに書いたことに恥じないようにこれからも頑張りたいと思えます。
本当にありがとうございます!
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これからも大好きなsoarに支えられてわたしは生きていくのだと思います。
そんなsoarの挑戦を心から応援しています!