囚われ 砂鉄・空虚
熱狂している時でさえ人は自分を見失っている
自分自身から逃走しようとする囚われ
熱狂する事は恋の病とどう違うのだろう?
誰か1人に関心と利益が集中するとき、
たとえその人がどんなに素晴らしい人であっても
やはりカルト化してしまうことは避けられない現実なのかもしれない
誰かそのひとりに繋がる他の人々
それに続く人々はなぜかみな空虚になってしまう
誰かにコピーされたがる人間が砂鉄のように
連なる時、人間はみな空虚になっている
内なる洞察がふっと消えてしまう
自分自身の値打ちが一瞬にして蒸発するかのように消える
自分自身からの逃走
バラバラな、何もかもが異なる人たちが
もっと大きくて広い目標や
生き物としての根源的な在り方を追求しようと
それぞれバラバラに違った方法や
違う場所から向かう時
それぞれ違った生きがいや自分にとって生き延びるのに役に立つ技術や価値を見つけて
空虚さが満たされ
自分自身への洞察と自分の外の世界への繋がる
橋を架けることが出来るのだろう
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